第1503話「愛する君の為」
「――これは」
目を覚ます。ずいぶんと久しぶりのような気がするが、そうでもないのだろうか。
「アイ?」
「レッジさん! と、とりあえずこちらへ!」
差し伸べられた手を、深く考えるまもなく掴む。小柄な彼女だが、ずいぶんと強い力で引っ張られ、ずるりと体が引き抜かれる。その感触で初めて、俺は巨人の首に埋まっていたことを思い出す。
ということは、俺は助けられたのか。周囲にイザナギはいない。彼女の言っている事が正しければ――。
「アイが助けてくれたのか?」
「そっ、いや、……その、あっち」
アイが顔を真っ赤にしながら、隣を指差す。そこには顔まで真っ赤にしたレティが唇を抑えて立って――。
『出て来ましたねレッジこのバカーーーーーッ!』
「ふごべらっ!?」
視界の外から飛び込んできた鉄拳によって吹き飛ばされる。宙を舞いながら見えたのは、怒り心頭といった顔のウェイド。真っ直ぐに伸びた腕が威力の強さを物語る。管理者機体の膂力の全てを余す事なく注ぎ込んで、俺を殴り飛ばした。
「れ、レッジさーーーん!」
アイが叫ぶ。俺は巨人の肩から呆気なく落下していた。
まだ体が十全には動かない。ずっと麻酔を受けていたかのような倦怠感がある。このまま受け身も取れず、呆気なく潰れるほかないか。
「レッジさん!」
赤い影が近づいてくる。
ハンマーを握ったレティ。頬を赤くしながらこちらへ。
「レティ、ありがとうな。助けてくれたのか」
「うぎゅっ。そ、そうですよ! レッジさんはレティがいないとダメですからね!」
彼女の手を掴み、引き寄せる。
地面が近い。彼女はハンマーを地面に叩きつけることで、落下ダメージの相殺を狙っているようだ。だが、その時。
『『『術式的隔離封印杭、拡大侵蝕対抗術式展開』』』
突如として世界が止まる。
「へぁっ!? な、何が起こってるんですか!?」
レティが俺の手を握ったまま、周囲を見渡す。軽く身じろぎ程度はできるが、まるで蜘蛛の糸に引っかかったかのように空中で止まっている。見れば、巨人の肩にいるアイとウェイドも。それどころか、巨人自体も見えない糸によって封じられているようだ。
世界中の時が凍りついたかのような、異常な現象。アーツで出来ることではない。それに、直前に聞き覚えのある声があった。
「ブラックダーク、クナド、ポセイドン」
『クックック。ようやくの帰還を歓迎しよう。黒き瘴気の渦巻く鏡の泉は、汝が秘めたる異界の狭間。長く囚われれば自我の輪郭さえ失いかねん』
『……とりあえず、無事に分離できたみたいで良かったわ」
『ここからは、ボクたちに任せて!』
管理者専用機――いや、T-1たち指揮官が使う特別機から三人の少女が飛び降りてくる。彼女たちは第零期先行調査開拓団の管理者、そして術式的隔離封印杭として汚染術式を封じていた人柱だ。ブラックダークの合図に合わせ、二人が巨大なアーツのようなものを展開する。
「な、なな、何がどうなってるんですか!?」
「よく分からんが、助けがきたらしいな。俺たちは見物といこう」
状況は何も分からない。身体拘束の結界のようなものは巨人を中心に一定の範囲内だけで効力を発しているようで、周囲に調査開拓員たちが続々と集まって来ている。その中には、ボロボロのカミルやナナミ、ミヤコ、ラクトたちもいる。
軽く手を振って見せると、カミルがぷいっとそっぽを向いてしまった。随分起こってるみたいだが……どうしたんだろう。
『古に蒔かれた小さき種が、悠久の時を巡り巡って、割れたか』
『ここまで育てるなんてね。育つだけのポテンシャルがあったのもびっくりだけど』
『すごいよ。汚染術式なのに安定してる。これなら――』
巨人の肩に降り立ったブラックダークたちは、何やら話し合っている。そして、おもむろにお互いの手を繋ぎ、輪を作った。
『術式解析、中和、反転、解剖』
『くっ、この封印されし黒龍の右腕が疼くッ! やはり大いなる鳴動を抑え切るには負担が!』
『うるっさいわね! さっさと同調始めなさいよ!』
三人は歌うように、軽やかな旋律を奏でる。意味の汲み取れないメロディだが、どこか安らかな気持ちになる。
『ラーララー』
『ラララララー』
『ラララーラー』
音楽が紡がれるたび、光の輪が広がり、巨人を締め付ける。
暴れ回っていた龍に轡がはめられ、手足が胴に拘束される。歌が高らかに奏でられ、ギリギリと金輪が締め付ける。やがて、巨人の体表に青く、謎の文字が走り始めた。
「あれは……」
「塔で見た言語ですか?」
オトヒメが使っていた記号群。魔法を使う際にも出てくる、古代エルフの伝統的な模様として伝えられる文字だ。それが黒い巨人の体内に染み込んでいく。歌声が流れ込むほどに、巨人の末端が白んでくる。
「浄化されてます……」
「汚染術式を除去してるのか?」
汚染術式の除去は難しい。それ専用の施設として〈コノハナサクヤ監獄闘技場〉があるくらいには。第零期の管理者たちだけで浄化できるのならば、すでにそうしているはず。であれば、これはまた違うのだろう。
とはいえ、何が起こっているのか完璧に理解することはできない。
ブラックダークたちが凄まじい力で巨人を抑えていることしか、分からない。
『ウェイド、ちょっと来なさい』
『なっ、なんですか!? 私の行動は正当な理由に基づいたものであり、なんら違法性は――』
『別にそこを責めたりはしないわよ。とりあえず、手を出しなさい』
クナドに呼ばれ、ウェイドが恐る恐るその手を握る。
すると、巨人の体が急激に泡立ち、収縮する。一瞬にして黒い直方体へと変化し、縮小。長辺50センチほどへと変化する。
黒々としたそれが、ウェイドの胸へ飛び込んだ。
『ひょえええっ!?』
『大丈夫。毒ではないから』
驚くウェイドを、クナドが落ち着かせる。今や、三人は空中に浮いていた。アイとウェイドも同様だ。
目を白黒させていたウェイドは、やがて困惑した様子で周囲を見る。
『こ、これは……』
『汚染術式の純化結晶体から抽出、分離したモジュールシステムよ。今回見つかったのは、統一エネルギー理論循環方式世界型次元展開による圧縮密度極限の法則を利用した恒久的エネルギー管理法則みたいね』
『な、なんですって?』
『要は、とても効率のいいエネルギー管理プログラムよ』
俺たちを置いて話は進んでいる。
俺たちが育てたヴァーリテインが黒神獣化するにあたって、その内部に持っていた第零期先行調査開拓団の残滓とでもいうべきものを拡大させた。凶暴性を増したそれを、ブラックダークたちが鎮圧し、その内部にあった残滓を抽出し、ウェイドに渡したという解釈であっているだろうか。
『中枢演算装置〈クサナギ〉のアップデートアドオン〈クシナダ〉。――上手く使いなさい』
あの黒い立方体は、超高密度の情報集合体だ。それをウェイドを通して本体である中枢演算装置〈クサナギ〉へ実装した。なるほど。
「T-1め、最初からこれを狙ってたのか」
龍を鍛え、もてなし、弑する。
これによって、各地に分散した第零期先行調査開拓団の超技術を回収する。それが、俺の突飛な計画にすんなりとイエスを出した指揮官側の思惑だったらしい。
「レッジさん? つまりどういうことなんですか?」
「そうだな。聞いた限りだと――」
……うん? ちょっと不味くないか?
ウェイドが、こちらを見る。その手には生太刀。
〈クシナダ〉の実装により、ウェイドは超高効率のエネルギー管理ができるようになったわけで。それはつまり、生太刀の弱点が消えたわけで。
『つまりレッジを思う存分しばき倒せるというわけですね! 覚悟!』
「うをっ!? ま、待て――」
巨人が消えたことでブラックダークたちの役目も終わる。拘束が解けた瞬間、ウェイドが刀を引き抜いて落ちてくる。俺は慌てて身を翻し、地面に着地して逃走を始める。
「ちょっ、レッジさん!?」
レティが何やら叫んでいるが、反応している暇はない。ウェイドの号令を受け、周囲の警備NPCたちまで殺到しているのだ。
俺は起きたばかりの体に鞭を打ち、必死になって走り出した。
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「れ、レッジさーーん……」
あっという間に遠くへ消えていくレッジとウェイドを見て、レティは呆然と立ち尽くす。そこへ軽い着地の音がして、アイが現れた。その顔は呆れや怒り、そして無念の混ざった複雑なものだ。
「とりあえず、おめでとうございます」
「うっ」
熱くなっていたとはいえ、アイを捩じ伏せて前に飛び出したのは事実だ。彼女からの率直な思いまで、聞いてしまっている。面と向かって言われると、羞恥と情けなさが込み上げてくる。
「どうしてあのタイミングで日和ったんですか」
「うぇっ。そ、それはですね……」
キスをすれば、レッジは目を覚ます。
あの時、レティはレッジに最も近づいていた。唇を伸ばし、そして一番に、間違いなく触れた。彼の――彼の額に。
むしろ落下の勢いも合わせて、激突というのが相応しいようなキスだった。
その結果が、あれである。
「つまり、まだ私にも勝機はあるってことですよね」
「そんなっ!?」
ウェイドと警備NPCの群れに追いかけられ、ナナミに飛び乗って逃げ回っているレッジが見える。カミルがミヤコの上に立ち、怒声を浴びせている。手を合わせて陳謝しているレッジの額に、赤いキスマークが付いていた。
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Tips
◇〈クシナダ〉
中枢演算装置〈クサナギ〉へインストールすることで、その機能を大幅に拡張することのできる超高密度情報集合体術式。元々は第零期先行調査開拓団によって生み出されたものだが、混乱の中で散逸した。術式的隔離封印杭の管理者による分離抽出が必要であり、サルベージ作業は非常に繊細なものとなる。
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