第1494話「助けるため」

 突風が空を突く。赤髪を広げ、体を捻ったカミルが勢いよくモップを叩き込む。アイは胸を反らせてそれを避け、足を広げて下段へ。肉薄。


「『ショックハウリング』ッ! はぁあああっ!」

『ウザい!』


 モップをぐるりと回しながら、箒が地面を叩く。巻き上がった骨片がアイの砲声に巻き込まれて吹き飛ぶが、それによってカミルは難を脱する。『ショックハウリング』の効果範囲ギリギリを貫く、針に糸を通すような精密な動きだ。

 ――強い。

 アイはジリジリと炙られるような焦燥を覚える。

 彼女とて伊達や酔狂で〈大鷲の騎士団〉の副団長を冠しているわけではない。ましてや、兄の威光を借りているなど、冗談でも言われることを許さない。アストラの妹である以前に、自分はただ純粋のFPOにどっぷりと漬かる廃ゲーマーなのだから。

 幾度となく対人戦もこなしてきた。〈アマツマラ地下闘技場〉に入り浸り、対エネミー戦とは異なる戦い方にも習熟した。アストラのプレイデータを用いた。レッジのプレイデータを用いた。チャンピオン・トーカのデータを用いた。それらとの勝率が十割となるまで戦い続けている。それでもなお、生身のプレイヤーと戦うのは難しい。だが――。


「まさか、ここまでやるなんて――ッ!」

『勝手に見くびるんじゃないわよ!』


 NPC。しかも戦闘系ではないはずのメイドロイド。そんな彼女が、なぜこうも倒れない。レイピアを突き出せど当たらない。擦りすらしない。だというのに、向こうのモップは――掃除道具だ!――急所を的確に抉ろうとしてくる。


「どこでこんな、戦い方を!」

『こっちはレッジに毎日振り回されてるのよ。アンタ一人くらい余裕なんだから!』


 カミルの輪郭がブレる。


「しまっ」


 下腹部に重い一撃。胸が凹み、空気が漏れる。重い。モップがレティのハンマーに匹敵する質量すら持っているようだ。


「――ぁあああっ!」


 だが、負けるわけにはいかない。


『……ふんっ』


 咄嗟に取った受身。スキルレベルが低ければ、受け流せなかっただろう。だが、アイは耐えた。

 地面を抉る深い傷は、カミルのモップの衝撃を物語る。アイが戦意を失わずに睨みあげるのを、カミルもまた鋭い視線で睨み返す。


「あなたの戦い方、対人戦のそれじゃないですね。もっと人型から離れた……クリーチャーのようなものを想定しているような」

『そうよ』


 戦いの中、その一挙手一投足から滲み出す違和感があった。カミルの棍術は自分よりも遥かに大きく、複雑な体型のものを想定している。それはタイプ-ゴーレムよりも更に巨大なものだ。

 カミルは頷き、アイは察する。


「原始原生生物、ですか」

『ウェイドの仕掛けてくる警備NPCもあるけど。まあ、七割くらいは農園の世話ね』

「とんでもないことを言ってくれますね……」


 原始原生生物。レッジが当たり前のように使っているから忘れがちだが、非常にレアな代物だ。植物こそ彼が流出の元となって多少市場にも広まっているが、動物に関してはまだ見つかってすらいない。あの、黒神獣たちでさえ“原始原生生物”ではないのだ。

 かつて、生命の生まれる余地すらないほど混沌としていたこの惑星イザナミ。そこにやってきた第零期先行調査開拓団が、大規模な惑星改造テラフォーミングのために播種したという強力な遺伝子改造生命体。それこそが原始原生生物だ。

 地形を塗り替え、環境を歪めるほどの強大な力を持った相手――例え弱毒化されているとはいえ、それでも管理者が危険と判断し武力行使で押収しようとするそれらを一人で世話するなど、メイドロイドの範疇を超えている。


「公式チートってやつですか」

『なんですって?』


 アイは立ち上がる。

 レッジの一番側にいる彼女が、羨ましい。NPCにそんな感情を向けるなんて、と戸惑う気持ちもあるが。何よりも彼が、カミルを大事に思っているのだから。


「すみません、カミルさん」


 レイピアを構える。真っ直ぐに、歪みなく。彼女の瞳に闘志が燃える。


「諦めませんから、私」


 足を踏み出す。否、爆発させる。人口筋繊維の一本一本に意識をなじませ、動かすのだ。関節を経るごとに力は増大し、タイプ-フェアリーとは思えないほどの脚力が発揮される。

 愚直なまでの直進。部下の悪癖が移ったか。

 否!


「『沈黙の楽曲』」

『――!』


 静寂が落ちてくる。

 4分33秒の封殺。テクニックの発声、アーツの詠唱、言語を介する全ての行動が無効化される。

 カミルが驚いていた。困惑の驚きだ。

 彼女は調査開拓員ではない。八尺瓊勾玉こそ胸にあれど、天叢雲剣も、八咫鏡も持たない。スキルシステムはあるが、テクニックは使わない。アーツなど、もとより。そんな自分に対してあまりにも無力な、無力化工作。ゼロにゼロを掛け合わせたところで意味は――。

 否。


「効果範囲の外側からなら、撃ち抜けるのさ」


 その楽曲が奏でられるうちは、何人たりとも音を発することは許されぬ。アイも、カミルも、草木でさえも。風は止み、空気は静止する。音という振動が姿を隠す。

 故に、


『――ゃああああっ!』


 楽曲が途切れ、カミルの悲鳴が空気を揺らす。彼女の横腹を、燃える火球が叩いていた。骨塚に転がる彼女を、アイは荒い呼吸で見下ろす。


「申し訳ありません。ただ、仲間と協力するのは、そちらが始めたことですので」


 卑怯とは言わないでくださいね。そう言って、アイはカミルの背後へ走り抜ける。

 残されたメイドロイドは、骨塚の縁に立つタイプ-フェアリーの機術師を睨む。七人の機術師による輪唱詠唱により、その火球は姿すら隠していた。音もなく、長大な距離を駆けて正確無比に最も防御のあつい脇腹を叩いた。

 NPCが行動不能となれば再起はない。それが分かっているからこその手加減。それをするだけの余裕。


『まったく、嫌になるわ……』


 それでも肋骨のフレームにヒビくらいは入っているだろう。

 カミルは骨塚に仰向けになり、朝日の滲む空を見上げた。

 今回こそ、自分が彼を助けに向かうつもりだったのに。そんな悔恨を胸に秘めながら。


━━━━━

Tips

◇不可視の火球

 風属性、水属性、火属性、雷属性、地属性の複合した攻性機術。姿を目視できない火球を放つ。単純ではあるが効果的なアーツ。単純に見えて、難解な術式である。


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