第1489話「眠れる森の俺」

 見覚えのある空間にいた。

 鏡面の果てしない湖に立っている。空には突き抜けるような青が広がり、両端は白みがかって溶け合っている。何もない、ただ美しい空間。そこにイザナギが立っていた。


「久しぶりだな」

『うん』


 しばらく見ないうちに成長した彼女は、俺も超える背丈になっていた。2メートルをギリギリ超えているだろうか。肩幅なんかも相応にがっしりとしている。腰のあたりから太い尻尾が伸び、地面に触れている。頭の側面から伸びるツノも太くツヤツヤとしていて立派なものだ。

 ともかく俺はウェイド達によって討たれるつもりだったわけだが、こうして生き延びている。いや、生きているといっていいのか分からないが。

 ここは精神世界のようなものだろう。以前、汚染術式による自分の複製体と戦った時もこんな場所だった。

 問題はなぜ、こんな場所へ連れてこられたのか。


「理由を聞いてもいいか?」

『うん』


 すっかり見上げる側になってしまった。イザナギは俺を見下ろし、短く頷いた。


『パパの実験でヴァーリテインは汚染術式の濃度が高くなってた。あのままだと、黒神獣になってた。だから、私がそこからパパを分離したの』


 ヴァーリテインを含め、原生生物はすべて原始原生生物から進化した存在だ。そして、原始原生生物は第零期先行調査開拓団がテラフォーミング後の惑星イザナミに落とした“生命の種”に由来している。

 つまり原生生物もまた“生命の種”によるものであり、汚染術式の侵蝕を受ける。黒神獣となったのはその中でも特に影響を強く受けた原生生物や零期組の有機外装だが、因子としてヴァーリテインの内側でも燻っていたらしい。


「いや、そもそもボスエネミーっていうのは、汚染術式の濃度が比較的濃い個体なのか?」


 ふとした発見にイザナギは頷く。

 ボスエネミーは特別な存在だ。一般的には生態系の頂点に立つものとされているが、ボスエネミーよりも強いレアエネミーというものも珍しくない。であれば、何がボスエネミーをボスたらしめているのか。それが遺伝子に有する汚染術式の濃度なのだ。

 おれはヴァーリテインを鍛えることで、汚染術式を活性化させてしまったのだろう。


「あの首のない巨人は」

『ほとんど黒神獣化した姿。名前はないけど』


 ヴァーリテインの保有する汚染術式が完全に顕在化すれば、彼は首のない巨人になる。あれが、黒神獣としてのヴァーリテインの姿なのか。首どころか名前もないとは。


「うん? ちょっと待て、今、分離って言わなかったか?」

『うん』


 黒い巨人の正体を知ったところで、違う点が気になる。ヴァーリテインが黒神獣として完全に成長しきる間際にイザナギが現れ、俺を奴から|。


「ということは、今もヴァーリテインは……」

『うん。黒神獣として活動中』

「えっと、ウェイド達は?」

『……』


 この精神世界の外に意識を向けているのか、イザナギはしばらく黙り込む。


『暴走したヴァーリテインに吹き飛ばされて倒れてる。リソース不足で管理者専用兵装も使えないみたい』

「それってやばいんじゃないか?」

『……あのままパパがヴァーリテインに取り込まれてた方が、危険だった』


 思ったよりも状況が悪い。俺がヴァーリテインに取り込まれていた場合にどうなったのかは分からないが、碌なことにはならないのだろう。


「イザナギ、早く俺を目覚めさせてくれ。とりあえず加勢しないと――」

『むり』


 責任は俺にある。ヴァーリテインを対処するためにも、早く現実に戻らなければならない。しかし、イザナギは毅然とした顔で拒否した。


「なんでなんだ」

『パパをここへ隔離するために、テントの術式を流用した。私とパパはここから出られない』

「なんだって!?」


 テント“外開内封の黒陣”は、内側からなら簡単に開けられる代わりに、外側からは絶対に開けられないという呪術を仕込んだものだ。イザナギは俺を緊急避難させるため、手近にあったその術式を流用した。


「つまり、ここから出るためにはどうしたらいいんだ?」

『封印の鍵は、パパへのキス。解放も同じ』

「……えっと?」

『誰かがパパとキスすれば、外に出られる』


 イザナギは俺をここへ分離する際、確かにキスをしてきたが。あれを外から同じようにやればいいらしい。いや、らしいじゃないが。


「絶望的じゃないか……」


 誰が好き好んでそんなことをするんだ。

 八方塞がりの状況に、思わず膝から崩れ落ちる。目の前が真っ暗になった俺に、イザナギは大丈夫と言う。


『安心して。封印解放の条件は、ちゃんと知らせてある』

「知らせて……?」


━━━━━


 ウェイド達は巨人の放った黒雷によって吹き飛び、森に落ちる。生太刀のエネルギーは枯渇し、都市のリソースも限界を迎えていた。首なしの巨人は骨塚の中心で猛々しい咆哮を上げ、力を誇示する。警備NPCたちが果敢に攻撃を続けているが、どれも木っ端のように吹き飛んでいく。

 調査開拓員たちは一丸となって管理者を守り、彼女達を最寄りの〈ワダツミ〉へと運び込もうとしていた。

 〈奇竜の霧森〉は混沌の坩堝と化した。巨人は八本の腕の先にある龍の頭で次々と原生生物を喰らい、木々を蹴り倒している。禍々しい瘴気が広がり、それに触れただけでLPが消耗していく。


「逃げろ逃げろ!」

「おっさん何やってんだよ!」

「なんか気ぃ失ってないか!?」


 首なし巨人の首があるべき場所に肉と結合した調査開拓用機械人形。それは力なくだらりと腕を投げ出し、目を閉じている。突如現れたイザナギによる接吻の直後、ああして気絶してしまっていた。

 管理者のほとんどが力尽き、レッジも気絶し、トッププレイヤーたちは未だ現れない。絶対的な危機が目前に迫っていた。

 誰もが調査開拓団の壊滅を強く思い浮かべた、その時だった。


『皆のもの、よく聞くのじゃ!』


 どこからか、少女の声が響く。

 それは調査開拓員達の持つ八咫鏡に内蔵されたスピーカーから、一斉に放たれていた。


「T-1!?」

「今まで何してたんだよ」

「おいなりさんあげるから助けてくれぇ!」


 調査開拓員達は、指揮官の声に希望を見出す。彼らの歓声を受けながら、指揮官は語る。


『あの巨人――暫定的に名前を“無尽のオロチ”とする。奴を止めるためには、調査開拓員レッジを救い出さねばならぬ』

「それができたら苦労はしねぇんだよ!」

「なんとかおっさん起こせないの?」

『一つだけ、方法があるのじゃ!』


 調査開拓員達が、耳を傾ける。


『誰かがレッジとチューするのじゃ! そうすれば、奴も目を覚まし、力を取り戻すのじゃ!』


━━━━━

Tips

◇“無尽のオロチ”

 絶え間ない刺激により生存本能が呼び覚まされ、遺伝子に眠っていた汚染術式が顕現した“饑渇のヴァーリテイン”の変身体。強靭な生命力によって無限に近い体力を有し、あらゆる傷を一瞬で治癒する。

 その食欲はさらに激しいものとなり、動くものすべてを食らい尽くす。


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