第1478話「酒はほどほどに」

 八塩折の酒。〈奇竜の霧森〉に生息するレアエネミー“赤霧のハミバミ”から入手可能な高純度アルコール結晶“赤酔結晶”を特殊な蒸留方法を用いて加工した、非常に酒だ。ヨモギによって製造されたそれが、大樽で合わせて2,000個ほど用意されている。

 密閉された容器に入っているはずだが、すでにほのかな酒精の香りがあたりに立ちこめ、酔いやすい者は顔を赤らめている。


「レッジさーん。うぇへへへ……」

「レティは後ろに下がってていいぞ。立ってるのも辛いくらいだろ」

「そんなことないれすよぉ」


 フニャフニャになっているレティはトーカたちによって後ろへ引き摺られていく。

 これから始まるのは酒宴だ。ヴァーリテイン――八首の龍と盃を交わして絆を深める。


「ミカゲ、大丈夫そうか?」

「今のところは。でも、ここからは僕にも分からないから」

「ああ、気をつけるさ」


 原生生物。それも生態系の頂点に君臨するボスエネミー。しかも、俺たちが執拗に痛めつけ、憤怒と飢餓と怨嗟を胸の内に渦巻かせる龍。そんな強大な相手と絆を深める。一見すれば愚者の奇行とも捉えられかねない。実際、前例などあるはずもない行動だ。

 しかし、俺は一つの勝算を持っていた。

 ミカゲの目には、俺とヴァーリテインがすでに強い繋がりで結ばれていることがありありと映っているはずだ。アストラやレティ、メル達による鍛錬。その陣頭指揮を執っていた俺は、ヴァーリテインから強く恨まれている。怨嗟を抱くことで、俺と彼の間に呪縁が結ばれる。

 〈呪術〉スキルの目を通して知覚できるそれで、俺は頑強に繋がっている。


「さあ、起きろよヴァーリテイン」


 クレーンを使い、盃が運ばれる。都合八つの巨大な、朱塗りの酒盃。わざわざ有名な木工職人を訪ねて特注した、龍専用のものだ。並べられたそれに、樽の中身が注がれる。


「うわっ、きっついね……」

「こんなの飲んだらぶっ倒れるわね。私は水割り、というか希釈してほしいわ」


 それまでの芳香とは隔絶した、濃厚な香りが瞬く間に広がった。紅色を帯びているような錯覚さえ抱くほどの、強い香気が骨塚に滞留する。ラクトたちが思わず顔をしかめ、鼻をつまむ。それほどまでに、常人にとっては耐え難いほどの存在感だ。

 強烈な刺激は、龍にも届く。膨大な情報を浴びて気を失っていた龍の鼻が動き、瞼の下で眼球が揺れる。

 俺も通常サイズの盃を持ち、そこに八塩折の酒を受ける。

 一見するとワインのようにも見える、深い赤色は艶めき、波打つほどに色合いを微妙に変える。手で煽いだだけで頭の奥まで痺れるような、強い酒だ。


『ゴァアアアア……』


 龍が目を開き、首を持ち上げる。俺を認め、牙を剥いた。しかし直後、眼前に置かれた酒に気がつく。


「一献、付き合ってくれ」


 盃を掲げる。

 俺の意図を汲み取ったか。否、ただ目の前にある酒に食欲が刺激されただけだろう。

 ヴァーリテインは八本の首を盃に向けて、勢いよく飲み始めた。


「気持ちいい飲みっぷりだな。気に入ってくれたか?」


 俺も自杯を飲み干す。サイズも量も桁違いだが、双方ほぼ同時に完飲。

 すかさず樽が持ち込まれ、それぞれの盃に新たな酒が注がれる。


「さあ、どんどん飲もうじゃないか!」


 喉が焼けるほど強い酒だ。鮮烈な喉ごし、芳醇な風味が龍を魅了した。

 注がれた酒を、彼は再び勢いよく呑む。


「バリテンの! ちょっとイイトコ見てみたい!」

「「「いっき! いっき! いっき!」」」


 その見事な飲みっぷりに感化され、固唾を飲んで見守っていた調査開拓員達が陽気な声で騒ぐ。ヴァーリテインが盃を干した途端、間髪入れず次が注がれる。彼もまたそれを喜び、再び飲み始める。


「いっきっき! いっきっき! いっきっきーのーき!」

「いっきっき! いっきっき! いっきっきーのーき!」

「いっきっき! いっきっき! いっきっきーのーき!」

『ゴァアアアアッ!』


 囃し立てる声にも応じ、龍は次々と樽を空にしていく。ヨモギが〈ワダツミ〉の蒸溜所で量産を続けているが、収支は大幅なマイナスだ。それでも、酒を注ぐ手は止めない。


「はいどーんどん! はいどーんどん!」

「バリテンのコップ空じゃなーい? バリテンのコップ空じゃなーい!?」

「なーんで持ってんの? はいなーんで持ってんの?」

「飲み足りないから持ってんの!」

「イェエエエァアアッ!!」


 地獄の大学生飲み会の様相を呈して来たが、ヴァーリテインの飲む勢いは止まらない。まさに鯨飲と言える脅威的な勢いで、ゴクゴクと紅酒を吸い込んでいく。

 だが――。


『ゴァァ……。ゴプッ』


 樽がおよそ1,000個ほど消えた頃。少しずつだが、目に見えて勢いが落ち始める。首によっても感覚は違うのか、そのうちの一つが減速し始めた。だが、依然として他の七本はゴクゴクと景気よく飲んでいる。


「飲〜んで飲んで飲んで♪ 飲〜んで飲んで飲んで♪ 飲〜んで飲んで飲んで♪飲み干して!」

『ゴプゥ』


 コールは止まらない。むしろ更に勢いを増していく。

 〈大鷲の騎士団〉の音楽隊がさまざまな楽器を鳴り響かせ、軍旗がはためく。


「飲み足りない? 飲み足りないなら飲んじゃって! はい!」

『プォプッ』


 酒に弱い首が、顔色を悪くする。

 だが、酒は注がれ続け、他の首が飲み続ける。そして、飲み下された酒は、一つしかない体に溜まっていく。ツマミとして用意された巨大なイカゲソも供され、いくつかの首は逃げるようにそちらへ喰らいつく。

 適度な塩気が、更に酒を進ませる。

 やがて、俺は変化に気がついた。

 ヴァーリテインの巨大な腹が、更に一回り大きくなっている。水風船のようにタプンと弛み、龍は巨躯を揺らすのも億劫そうにしている。


「まだまだあるぞ。どんどん飲んでくれ」


 盃を掲げる。

 俺も彼らと同じ数だけ飲んでいる。だが、体に溜まるのは8倍の速度。それに、盃の大きさも全く違う。ヴァーリテインの腹には、膨大な酒が収まった。酒精が血管の隅々にまで周り、脳を痺れさせる。

 酒は尽きない。今もヨモギが量産し続け、次々と届いている。


『ゴプッ、ゴポッ。――グォゴァァ……』


 やがて、首がゆっくりと倒れた。

 深い森の奥で切り倒された巨木のようにゆっくりと。轟音と共に骨塚に沈む。それを皮切りに、他の首も倒れていく。酒が周り、脳が痺れる。平衡感覚はとっくの昔に消え去り、ただ本能だけで飲み続けていた。

 限界を迎えた龍が、倒れていく。深い眠りへ落ちていく。


「アルハラって怖いわねぇ」


 八塩折の酒をソーダ割りにして楽しんでいたエイミーが、グウグウと大きなイビキをかいて寝込んだヴァーリテインを見てしみじみと言った。


━━━━━

Tips

◇八塩折の酒

 赤酔結晶を特殊な方法で蒸留し、製造した酒。非常に度数が高く、並のアルコール分解能力では追いつかない。原生生物に対しても強烈で、匂いだけで酔い潰れるものも多い。

“龍を眠らす真紅の雫。ぐうぐう眠ってこんこんと。”


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