第1477話「すべての絵画」

 龍は怒っていた。絶えることのない空腹に、尽きることのない苦痛に、何より煩わしい羽虫どもに。チクチクと刺してくるものが引き下がったかと思えば、鋭い刃で切りかかってくる者がいた。ハンマーを持ったウサギが襲いかかってきた。かと思えば鉛の玉を雨のように浴びせられた。熱され、冷やされ、痺れた。

 龍は怒っていた。この世の全てに怨嗟を振り撒いていた。この状況に陥れた者を恨み、その者を食い殺そうと決意を固めていた。

 そんな折のことだった。不意に小癪な攻撃が止み、静寂が訪れる。そして――彼の眼前に一人の男が現れた。


「最初とは見違えるほど強くなったなぁ、ヴァーリテイン」


 小さき者。吹けば飛びそうなほどか弱い四肢だ。にも関わらず、それは笑みを浮かべていた。その余裕綽々の態度が余計に神経を逆撫でした。今すぐにでも食らいつきたいが、奴はもどかしくもギリギリ届かない距離に立っている。あと一歩でも前に出たならば、その瞬間に噛み砕き、飲み下し、骨の一片も残らないほどに喰らい尽くしてやるものを。


「解析班が測ってくれたんだが、お前のステータスはすごいことになってるらしいぞ。リポップ直後のヴァーリテインと比べて、HPは20倍、防御力は3.4倍、攻撃力は2.6倍らしい。他のステータスも少なくとも2倍以上にはなってるんだとさ」


 羽虫が何か騒いでいる。得意げな顔をして、自慢を振り撒いている。何が関係あるものか。ヴァーリテインはただ、喰らいたかった。


「まあ落ち着けよ。ちょっと感情が昂りすぎだ」


 男が何かを取り出した。黒い、四角い、薄いもの。食べられるのか。否、食べられなさそうだ。じっと見る。見る。見る。黒い。虹色。見る。深い。浅い。波打つ。歪む。見る。聞く。聞こえる。眠い。知っている。知らない。知らない。見る。見る。見た。見たのか。見ている。いつ。今。さっき。昔。あとで。見ている。見ていた。赤色。眩しい。見えない。見ている。黒。黒い。黒くなっている。黒くなっていた。淡い。薄い。濃い。硬い。柔らかい。いや、黄色。バカな。白い。うるさい。うるさい! 聞こえない。聞こえている。臭い。染みる。温かい。気持ちいい。星。見ている。見ろ。見ろ。見ろ。見ろ。食べる。食べろ。食べたい。食べたくない。食べない。食べたい。食べない。黒い。四角い。赤い。黄色い。丸い。暑い。軽い。見る。見る。見る。見る。


━━━━━


「なるほど、普通はこんな感じになるんだなぁ」


 八つの頭、十六の目がじっとこちらを見つめている。正確に言うならば、俺が掲げた黒い絵を凝視し続けている。T-2が用意した膨大な情報量を書き込んだ特殊な絵は、見てしまえば見終わることがない。三原色の全てを無限の組み合わせで再構築したものが、この黒く黒く黒い絵だ。知覚の限界をこえる情報を放ち、見た者の情報処理能力を飽和させる。

 どう考えてもバグの産物だが、今のところ修正も消去もされていない。T-2という指揮官クラスのNPCが作り、保持していたからだろうか。

 アストラに続きレティたち、さらにメル達によるアーツの一斉攻撃によって鍛錬を重ねたヴァーリテインは、その強さを増幅させていた。観測結果だけでも素晴らしいステータス上昇が見られ、実際の戦闘においても八つの頭が連帯感を持って動くという脅威的な成長を遂げている。

 彼の限界を見てみたいという気持ちはあるのだが、この辺りでウェイドたちから待ったがかかった。あまりにも環境負荷が高まりすぎて、これ以上ヴァーリテインが強くなると、存在するだけで猛獣侵攻を引き起こす可能性が出て来てしまうらしい。

 そういうわけで、俺はT-2から絵を借りて、ヴァーリテインに見せた。情報を処理しきれず、彼は倒れた。


「ヨモギ、搬入を始めてくれ」

『了解です、師匠!』


 ここからが〈龍王の酔宴〉の本番だ。

 合図を送ると、程なくしてローター音が近づいてきて、大型の輸送機が群れをなして現れた。ずんぐりとしたモスグリーンの機体が編隊を組み、〈ワダツミ〉の飛行場からやって来たのだ。

 骨塚の上空までやってきた輸送機の尾部にあるタラップが開き、コンテナが次々と投下される。パラシュートを開いて減速しながら落ちて来たそれに、すかさず調査開拓員たちが取り掛かる。頑丈に巻きつけられた緩衝材を剥がし、現れたのは大きな樽だ。

 骨塚周辺の集積所からも、次々と荷車に載せられて樽が運ばれてくる。


「レッジさーん、イカはこのへんでいいかな?」

「ああ。いい感じに盛り付けてくれ」


 大浴場の湯船かと思うほどの大皿が用意され、フゥがそこにツマミを盛り付けていく。イカの干物や酢漬けだけでなく、ビーフジャーキーや柿の種など、有志も含めて持ち寄った酒の肴だ。

 これから始まるのは宴だ。龍を喜ばせる歓待の祭宴だ。

 強い酒精の香りが立ち込める。意識を飛ばしている龍を現実へと引き戻す、強い誘引力をはなっている。


「さあ、ヴァーリテイン。俺と一献付き合ってくれ」


━━━━━

Tips

◇情報飽和的無限格納循環式可能性圧縮二次元コード

 指揮官T-2によって開発された絵画様の情報集合体。あらゆる情報が複層的な二次元構造で表現され、見た者の視覚感覚を経由して膨大な情報を流し込む。

“調査開拓員各位への配布を検討しています”――指揮官T-2

“調査開拓団を壊滅させる気か!”――指揮官T-1


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