第1475話「龍の逆鱗」

 走り出したアストラは一瞬でトップスピードへと到達する。だがそれも平時の彼を見慣れていればもどかしいほどに遅い。ヴァーリテインにとっても、あくびが出るようなノロマさだろう。


『ォオオオオオッ!』


 憤怒の雄叫びを上げて、龍が触手を振り下ろす。ディキューズのものと比べて細長く鋭い一撃でアストラを叩き潰そうとする。それはまるで、近くへ寄ってきた羽虫を払うような、そんな無造作な動きだ。

 だが――。


「『スラッシュパリィ』」


 甲高い音がフィールドに響き渡る。

 ヴァーリテインが放った一撃が、玩具の剣に弾かれた。


「流石にパリィは成功させるか」

「これくらいならエイミーさんやシフォンでなくても問題ありませんよ」


 スラッシュパリィ――剣を用いて相手の攻撃を弾くテクニック。その成功判定は非常にシビアだ。〈剣術〉スキルレベル、相手の攻撃力、素早さ、器用さ、状況、角度、運勢、そして何より精密性。多くの関数が噛み合った一瞬を狙わなければならない。無数の枷によって肉体的にもステータス的にも大幅な制限を受けているアストラが、ヴァーリテインの触手叩きを弾ける許容時間は、およそ0.06から0.08秒。その刹那をピンポイントに突かなければならない。

 しかも、彼にとってはあの触手攻撃は一撃目。ぶっつけ本番でポイントを見つけ出すのは普通に考えても至難の技だろう。

 だが彼は易々と成功させてみせた。まぐれではない。その後も次々と繰り出される黒い触手を、目も見えていないのに危なげなく払っていく。忘れていたわけではないが、アストラが最強であるという事実をまざまざと見せつけられた。


「目隠しであそこまで動かれると、私の立つ瀬がないですね」


 そんなことを言うのは、本気を出すと見るより感じる方が早いと豪語するトーカである。普通に考えて目が見えていた方がいいだろうに、その判例の二人目が爆誕してしまった。


「しかもアストラさんは行動系スキルを持ってないんですよね。レティ的にはそれが一番信じがたいですよ」


 珍しくアストラの活躍をじっくり見る機会が巡ってきたとあって、陣幕には多くの調査開拓員たちが詰め寄せている。誰も彼もが真剣な表情で拘束衣に身を包んで龍と対峙する青年を見守っている。

 レティの言うように、彼は行動系スキル――〈歩行〉〈跳躍〉〈登攀〉といった身体能力を補助するスキルのレベルを一切上げていない。俺であれば〈歩行〉スキル、レティなら〈跳躍〉スキルを活用することで高機動戦闘を実現しているわけだが、彼はそのアシストを捨てている。


「リアルでも相当運動できるんだろう。羨ましい限りだ」


 アストラはヴァーリテインに肉薄し、その触手に足をかける。大きく蠢くそれの勢いを借りて、龍の体を軽やかに登っていく。ロッククライミングのようだが、違うのは足場や手がかりが絶えず動き回っている点だ。にも関わらず、彼の動きには迷いがなく、危なげもない。

 スキルによるシステム的なアシストなくしてあれほど動けるということは、つまるところリアルでも似たような動きができるという事実に突き当たる。


「流石にジャンプ力やスタミナなんかはゲーム基準ですけど、まあ運動で困ってるところは見たことないですよ」


 アイからもそんな証言を得られて、一層アストラの規格外っぷりが鮮明になる。


「怖いなぁ。ほんとに人間か?」

「レッジさんがそれを言うんですか……」


 俺はただの一般中年男性である。アストラみたいに軽快に走るどころか、身じろぎするにも苦労するほどの虚弱体質なので、優しくしてほしいくらいだ。

 衆人環視のなか、アストラは龍の首を登る。瞬く間に高い頂に手をかけ、口元に不敵な笑みを浮かべた。


「アストラめ、本当に弱点を狙うつもりだな」


 事前からかなり張り切っていただけのことはある。彼は容赦なく龍を狩るつもりだ。

 玩具の剣がヴァーリテインの喉元に突きつけられる。


「逆鱗ですか」


 竜の逆鱗。定番といえば定番の、強者の弱点。

 ヴァーリテインの首にもそれがあることが、最近分かった。それぞれの首の喉元、ごく小さな猫の額ほどの少し硬い部分。そこを的確に攻撃すれば、非常に高いダメージと爆発的なヘイトを発生させる。


「『リーンスラッシュ』ッ!」


 アストラの斬撃が繰り出される。鋭く放たれたそれは、避ける暇を与えず逆鱗を捉える。


[アストラ→饑渇のヴァーリテイン:リーンスラッシュ 800ダメージ]


 共有されているログに刻まれたのは、逆鱗を穿ったにしてはあまりにも小さいダメージ。しかし、これもまた虚偽の表記だ。玩具の剣“USO800”の特性によって全てのダメージがログ上では――たとえ1であっても――800と表示される。

 そして、このダメージが重要だった。


「はぁ、がっ……っ!」


 苦悶の声を上げたのはヴァーリテインではなくアストラだった。彼の全身に巻き付いた鎖がギリギリと食い込んでいる。“纏縛の呪鎖”の効果は装備者のLPを半減、攻撃力を20%減、全てのバフ効果を無効化させる。それだけに止まらず、他者にダメージを与えた際に、それに応じて鎖が締まりデバフを付与する。

 無数の妨害機術によって最低保証の1ダメージしか出せないアストラだが、USO800の強制表記改竄効果により、800ダメージぶんのデバフを受けられるのだ。


「アストラ!」

「問題ありません。このまま行きます!」


 思わず声をかけるが、彼は空中で体勢を立て直し危なげなく着地する。……〈受身〉スキルも持ってないはずなんだけどな。

 逆鱗を砕いたことで、ヴァーリテインは凄まじい敵愾心をアストラに向ける。それこそが、彼の狙っていた展開だった。

 8本の首が一斉に迫る。彼は地面に立ち、剣を構えてそれを迎撃する。調査開拓団最強の剣士による掛かり稽古が始まった。


「突きが甘い! もっと踏み込んでこいっ!」

『ガアアアアッ!』


 言葉が通じるとも思えないが、アストラは剣で龍の鼻先を叩きながら指摘する。800ダメージが次々と重なり、アストラには相当な負荷が掛かっているはずだが、それをおくびにも出さない。


「いいですね。ウチの門下生とも是非手合わせ願いたいくらいです」

「そういえばトーカの家は道場だったか」


 龍を相手に稽古をつけるアストラを見て、トーカが自分も参加したそうな顔をしている。彼女の実家は天眼流という古武術の継承者で、その界隈ではそれなりに有名らしい。


「さあ、死ぬ気で学べ! レッジさんに相応しい格を得るまで叩き鍛えてやろう!」


 なんか、アストラが勢いに乗っている。別に俺はあんまり関係ないのだが……。


「ヒーラー、ちゃんとバリテンのHP見とけよ。基本弱点クリティカルしか打たないから、すぐに瀕死になるぞ!」

「りょ、了解です!」


 アッシュの言葉に騎士団のヒーラー部隊が緊張の面持ちで頷く。彼らもまさか、ボスエネミーを回復させる側になるとは思わなかっただろう。全力で殺しにかかる師範と、全力で生かさねばならないヒーラー。両者の間に挟まれて、ヴァーリテインは強く揉まれていく。


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Tips

◇『活性する肉体』

 50KB級の支援機術式。範囲内の対象の生命力を活性化させ、自己治癒を促進させる。効果時間中、徐々にLPが回復する。


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