第1471話「霧に乗じる影」
骨塚に霧が立ち始めた。龍は飽くなき飢餓感に悲鳴をあげながら、無数の首を地面に擦り付ける。迷い込んできた若い赤角鹿を喰ったが、文字通り腹の足しにもならなかった。食い散らした残飯に頭を突っ込み、骨に残った僅かな腐肉を削ぐように舐めとる。
食べることに夢中だった龍は、その霧が森を包むものではなく、感覚を鈍らせる毒を含んだものであることに気付かない。
「〈龍王の酔宴〉開幕だ!」
「「「うおおおおおおっ!」」」
各地に散らばった罠師たちが、定刻通りに噴霧装置を起動させた。放たれたのは麻痺毒を微量に含んだ有害な霧だ。若干黄色がかった霧が、〈奇竜の霧森〉を包む普通の霧の中へと混ざり込んでいく。
毒霧は送風機の微風も受けてゆっくりと流れ、ヴァーリテインが残飯を漁っている骨塚へと注がれる。食事に夢中なヴァーリテインは気付かぬうちに毒を取り込み、頭が少しずつ麻痺していく。
「よし、初動は完璧だな」
「バリテンノーマークキルはアタスコの定番手法ですから。このへんは慣れてる人も多いと思いますよ」
各地から上がる報告を聞いて安堵していると、レティが誇らしげに胸を張る。饑渇のヴァーリテインはアタスコ――アタックスコア競走も盛んだ。一撃でどれだけのダメージを与えられるかを競うもので、他ならぬレティが一位に輝いている。
バリテンノーマークキルというのもアタスコの手法の一つで、未発見未警戒状態の対象に不意打ちの攻撃を加えるとそれだけでダメージ量が増加するシステムを利用したものだ。今回のように麻痺毒の煙を吸わせて感覚を鈍らせて近づいたり、超遠距離からの狙撃をしたり、もしくはミカゲのように影に潜んでニンジャアタックをかましたり。色々と方法はある。
「いよいよ始まったね、〈龍王の酔宴〉」
本部ではこれからの出番に備えて多くの調査開拓員たちが準備をしている。ラクトもその一人で、少し緊張している様子だった。
俺は彼女の頭を軽く撫で、力を抜くよう促す。
「まだ下拵えが続くからな。ラクトものんびりしてたらいいさ」
「そうは言ってもさぁ」
唇を尖らせるラクトの目の前、ケーブルを繋いで各所のカメラと接続したディスプレイに変化が現れる。
『剪定開始、する』
『こちらも動くよー』
覆面で素顔を隠した忍者たちが音もなく動き出した。薄く黄味がかった煙幕のなか、乾いた骨が積み上がり足音の響きやすい地面を颯爽と。
剪定部隊。ヴァーリテインの状態を整えるために色々と調節を行う部隊だ。〈
「はええっ、ニンジャ!?」
「ノーマークキルの本職だろ。あんまりクビの数が多くてもな」
俺の隣で見物していたシフォンが悲鳴をあげる。一応全体の流れは説明していたはずだが、さては寝てたな。
毒霧で感覚を鈍らせたヴァーリテインだが、腐ってもフィールドボスだ。そのままでは特設舞台に引きずりあげることも難しい。一番の問題は巨体から生える無数の首だ。リポップするたびに個体差があるらしいが、概ね100から200ほどの数があり、どの首も飢餓感に喘いでいる。少しでも動くものを見つければ、我先にと襲いかかってくるのだ。
『斬る――ッ!』
『さあ、どんどん落としていこうか!』
各地の固定カメラは霧の中に浮かぶ巨龍が、次々と首を落としていくシルエットだけを映し出す。共有回線からはミカゲたちの囁くような声が聞こえる。
剪定部隊は数百存在するヴァーリテインの首をできるだけ多く落とすのが役目だ。
首を落とし、傷口に止血剤を塗布する。そうすると、ヴァーリテインの本体とでも言うべき意識は、襲われたことにも気付かない。言ってしまえば監獄を攻める際に周囲の監視カメラを一つずつ切断するような行為に近いだろう。
「うぅぅ。私も首斬りに参加したいです」
両手両足を縛られて不満げなのはトーカだ。“首斬り”の二つ名でも知られている彼女は今回の剪定部隊にも参加するつもりでいたようだが、レティたちによって簀巻きにされて動きを封じられていた。
「あなた、首斬ってる時うるさいんですよ。せっかくの隠密作業が台無しになるじゃないですか」
「失礼な! ちゃんと我慢しますよ!」
「信用ならないですね」
「ぐぎぎぎぎっ」
俺もレティの判断には賛成だが、ここで口を開けば余計に拗れる。トーカの相手はレティに任せることにして、俺は各地の調査開拓員たちに指示を飛ばした。
「回収部隊は落ちた首を全部集めろ。規定の位置に運んでくれ」
『了解! 野郎ども、行くぜ!』
『ヒャッハーーー!』
落ちた首もヴァーリテインに見つかれば“食料”と認識される。奴は自分の首でさえ飢えを凌ぐため口にする。だから、落ちた首は迅速に回収しなければならない。忍者が切り落としたそれを拾い集めるのは回収部隊――〈回収〉スキルを持ち、普段は行動不能となった調査開拓用機械人形の回収業務を行う専門家たちだ。
彼らは忍者たちに遜色ない軽快な走りで各地へと散らばり、担架にヴァーリテインの首を載せて颯爽と去っていく。鮮やかな連携はさすが本職と息を呑むほかない。
『にゃあ。レッジ、そろそろバリテンも麻痺毒耐性がついて来た頃だと思うよ』
「了解。剪定部隊はあと30秒で退避。回収部隊も45秒後に巣の外へ」
ヴァーリテインを観測していたケット・Cから、対象の耐性値上昇が報告される。凄まじい再生能力を持つあの龍は、毒への耐性も非常に高い。知覚されない程度に薄めたとはいえ、それなりに強力な毒霧も、永遠に効力は発揮できない。吸い込んだヴァーリテインは無意識下で解毒を行い、免疫を付けていくのだ。
忍者たちは限られた時間内でできる限り多くの首を落とし、回収屋たちがそれを拾い集める。毒霧の散布からちょうど3分。隠密行動の限界を迎える。
『44本』
『こっちは合わせて62本だね』
「106か。かなり落とせたな」
退避が完了したミカゲたちから落とした首の数が報告された。合計で目標にしていた100本を超え、上々の成果と言っていいだろう。事前の観測によると、今回のヴァーリテインの首の数は114本だと言っていた。
「示し合わせたような数だね」
「なに、丁度いいじゃないか」
ラクトが薄く笑う。
霧が晴れ、陽光の下に龍の姿が晒された。
「私が出てたら、残りも全部斬れてましたよ!」
「それじゃダメなんですよ! トドメ刺さないでください!」
簀巻きのトーカが訴えて、レティがそれを一蹴する。
残る首は8本。黒龍はいつの間にか減った自らの首に驚き、怒りの声を突き上げる。
それが開戦の狼煙だった。
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Tips
◇『ギロチンスラッシュ』
〈剣術〉スキルレベル60、〈忍術〉スキルレベル50のテクニック。鋭い斬撃で対象の首をなめらかに切り落とす。対象が未発見、未警戒状態の時、威力、クリティカル確率、クリティカル率が上昇。首部分以外にヒットした場合、著しくダメージが下がる。
“その一撃は、慈悲に満ちている”
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