第1460話「自由の徒」

「いやぁ、一時はどうなることかと思いましたが、むしろ暇になっていいですねぇ」


 清麗院グループが擁する医療都市の一角にひっそりと立つ小さなビルから、肩幅の広い逞しい体を黒スーツに包んだ大柄な女が出てくる。普段はきつく結ばれている口元を珍しく緩め、後ろでまとめた黒髪も晴れの日の散歩に出かける犬の尻尾のようだ。

 警備会社〈シークレット〉の職員であり、ある男の専属警護を担当している彼女は、業務の関係で先端科学研究所を主な勤め先としていた。平時は業務時間の全てをビルの地下にある秘匿階層で過ごすが、今日は唐突に暇な時間が転がりこんできた。


「まさかシナリオAIがあんな強硬手段にでるとは。ふふふ……。一般プレイヤーが隔離されるならまだしも、あの人ならば文句は言えませんからね。ふははっはっはっ!」


 よほど自由時間が嬉しいのか、彼女――花山は高らかに笑う。空は突き抜けるような青が広がり、彼女は翼が生えたように身軽だ。久しぶりに塀の中から出てきた気分のようだ、と鼻歌混じりに歩道を歩く。


「お疲れ様です」

「ええ、お疲れ様。お勤めご苦労!」

「は、はぁ……」


 地味なビルには不釣り合いな厳重な警備を抜け、緊張気味の守衛も肩を叩いて労う。いつもとは違う様子に二人組の男たちは怪訝な顔をするが、その反応にも気付いていないようだった。


「祝杯をあげたいところですが、流石にアルコールはダメですね。……コンビニに酒のつまみくらいなら売っているでしょう」


 医療都市とはいえ、最先端の技術を支える多くの職員の暮らしの場でもあるこの街には、当然コンビニも無数に存在する。研究所から最寄りのコンビニに足を向けた花山は、ルンルンと弾むように歩く。

 彼女の警護対象は仮想現実内部に没入している。その際には花山自身も一定の権限を持つアカウントを用いてログインし、監視と警護を続けなければならない。

 現在も警護対象は仮想現実内にいるのだが、なぜ花山はこうして自由を謳歌しているのか。理由は明快で、警護対象の彼が自由に身動きの取れない状況下に置かれているからだ。

 シナリオAIが、正常なゲーム進行の妨げになると判断した。多少強引な展開ではあったが、彼を他のプレイヤーの目に入らない場所へと誘導し、そこで完璧に身動きの取れないようにした。


「好き勝手に暴れるからそうなるんです。イベントが終わるまで岩の中で反省することですね」


 本人には聞こえないと知りながら、花山は思わずそんなことを吐き捨てる。

 これまでの度重なる妨害と攻略順序のスキップは、本格的にシナリオAIを怒らせた。彼だけでなく、影響力の強いプレイヤーは全て、様々な手段によって身動きを封じられている。

 今頃、一般プレイヤーたちは様子がおかしいことを訝しんでいるだろう。だが、そもそも大規模な人数が同時に参加するMMOにおいて数人のプレイヤーのみが大勢を左右するのは不健全な状況なのだ。

 公正かつ公平なゲーム運営のためには、多少の不正や不公平も許容される。

 シナリオAIと花山の利害が図らずとも一致していた。


「しぇっすぇーぃ」


 やる気のない店員の声を聞き流し、コンビニに入店。早速ノンアルコール飲料をカゴに投げ込み、ツマミのエリアに。


「……イカ食べますかねぇ」


 なぜというわけでもないが、イカを食べたい気分だった。干物、酢イカ、ゲソの一夜干し、その他もろもろ。普段から使い道が見当たらず口座の数字を増やすだけになっていた金を久しぶりに解放する。


「お、これはFPOのコラボ商品ですか」


 FPOには多くの企業がスポンサーとして参加しており、高度な味覚エンジンを利用した多彩な商品が提供されている。ゲーム内で人気を博した商品の一部は、こうして現実でも商品化されることがある。

 花山は手に取った“ノンアルコーラサワー・T-1監修ショコラ抹茶味噌カツいなり味”と“ノンアルピーチ酎ハイ・T-3監修ラブ味”という商品を手に取り、カゴに入れた。T-2監修のビールは成分表が未知の言語の羅列だったため止めた。


「お会計、お願いします」

「う、ぅえーっす……」


 カゴにして四つ分。どんな大家族の買い出しだと言いたくなるような大量の商品に、店員が戦慄する。ちらりと商品棚の方を見てみれば、ノンアルコール飲料の棚が綺麗さっぱり空になっていた。


「お会計、627,800円になりゃっす」

「カードで」


 黒いカードをピッと鳴らして、パンパンに詰まったレジ袋を受け取る。ツマミは乾き物がほとんどとはいえ、総重量の九割以上がアルミ缶飲料である。台車でも持ってこないと運べそうにないほどの量だ。


「ありがとうございます」

「ぴょえっ」


 だというのに、花山は両手にレジ袋を提げて軽々と持ち運ぶ。微笑を浮かべたまま、なんら負担を感じていない。スーツのはち切れんばかりの体格は伊達ではない。防弾装甲ガラスをぶち破る筋肉は酔狂ではない。


「ステロイドかなんかの被験者かなぁ……?」


 がらんとしたコンビニに残された店員は、唖然としてそんな感想をこぼした。


「ぷはぁーーーーっ! 味だけとはいえ、最近のノンアルはなかなかイケますね!」


 歩道を歩きながら、早速片手でプルタブを弾き飛ばした花山は、躊躇なく喉を鳴らして一気に飲み干す。カシスの爽やかな香りと確かなアルコール感が、酒精のないことを疑わせる。

 一人でしっぽりと楽しむ時はやはりキツい酒がいいが、勤務の合間ならばこういったものに手を出してもいいかもしれない。勤務中の水分補給は法律で認められている権利だ。


「このままシナリオAIがずっと監禁してくれていたら、私も楽なんですが」


 医療都市は入院生活を送る患者のため、緑も多い。研究所とコンビニの間にもちょっとした公園のようなものがあり、東屋でくつろげるようになっていた。そこを根城と決めた花山は、ベンチにどっかりと腰を下ろしてぼやく。

 休憩に出たとはいえ、彼女の端末にはリアルタイムで警護対象の状況がモニタリングされている。それを見れば彼が安定した状態にあることも分かる。

 昔から幾度となく脱走を繰り返し、多方面に迷惑をかけてきた男だ。そんな彼がこうもすんなりと大人しくなるとは。最初からシナリオAIにコンタクトをとって、こうしていればよかったと悔いる。


「せいぜい満喫することですね。そのぶん私の仕事が楽になります」


 イカゲソを噛みながら、彼女は自由を謳歌する。グビグビと一升瓶を飲み干して、バリバリと一枚干しを噛み裂く。そんな乱雑な姿もなぜか堂に入っているのだから不思議なものだ。


「ふぃー。やっぱりイカは干すに限りますね。旨みが凝縮されて美味しいです」

『そういうもんなのか?』

「ええ。噛みごたえもあるので少しの量で満足感もありますし」

『なるほど。イカは干すのがいいんだな』

「ええ。……え?」


 休憩時間を満喫していたはずだった。

 花山は首を傾げ、周囲を見渡す。おだやかな昼下がりである。公園には誰もおらず、蝶がぴらぴらと舞っているくらいのものだ。そもそもこの辺りは医療都市の片隅で、中心からは遠く離れているためひとけも少ない。


『ありがとう。参考になったよ、イチジク』

「花山と呼び――っぃいいいいっ!? なんであな、貴方、何をななななっ!?」


 朗らかな声がする。花山の手首に巻かれた端末から。

 あまりにも自然に会話へ紛れてきた男の声に、花山は今更飛び上がる。飲みかけの缶を握りつぶし、スーツが炭酸に濡れるのも構わない。


『向こうで二進も三進もいかなくなってな、攻略wiki見てても良かったんだが、そういえば花山は酒が好きだと思い出して、意見を聞こうと思ったんだ』

「そんな話はしてません! どうやってコレに繋がってるんです!」


 花山の携帯端末は特別性だ。秘匿通信も可能だし、そもそもこの声の主は外部のインターネットへの接続権限を持っていないはず。にも関わらず、なぜ、この無線環境で声を届けられているのか。


『シナリオAIを通じていくつか施設を経由してな。まあ、それはともかく』

「さらっと重大なインシデントを言わない! ええいもう、この馬鹿!」


 なおも話を続けようとする男に、花山は耳を貸さずに立ち上がる。まだほとんど封も開けていないレジ袋の山をその場に置いて、猛然と走り出す。


「大人しくしていなさい!」

『俺はただの一般プレイヤーだぞ。用意された環境で遊んでるだけだ』

「うるさーーーーーいっ!」


 花山の絶叫が響き渡る。

 猪のような勢いで戻ってきた彼女を、守衛二人はほっとした顔で迎える。腹を下したか、明日の天気が槍になったかと心配していたのだが、どうやらいつも通りのようだ。


『ちなみになんだが、イカにマヨネーズは合うと――』

「黙れ馬鹿!」


 エレベーターに飛び込む花山に、男――レッジは危機感のない声で話しかけ続けていた。


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Tips

◇ “コーラサワー・T-1監修ショコラ抹茶味噌カツいなり味”

 管理者T-1が試行錯誤の末に完成させた特別なコーラサワー。ノンアルコールでありながら確かなアルコール感が楽しめる。様々な味が順を追って楽しめる、一粒で何度も美味しい特別な味。

“これひとつでおいなりさんのフルコースが楽しめるのじゃ。まるで、生の映画を見ているようなのじゃ!”――T-1


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