第1443話「蛇酔の酒」
ヨモギが蒸留酒を作ってくれている間に俺は俺でできることをやろう。レティを連れて〈ワダツミ〉の町に繰り出すと、何やら彼女の表情は陽が差したように明るくなった。
「んふふー。やっぱりレッジさんも、レティと二人きりになりたかったんですね」
「うん? ああ、そうだな」
「えへへ。レッジさんのこと、信じてましたよ!」
ピョコピョコと跳ねるような足取りのレティと共に向かう先は、港湾区画。大小様々な船が係留される波止場から少し内陸に入ると、獲れたての魚介類がずらりと並ぶ鮮魚市場が広がっている。
「安いよ安いよ! 今日はサメが豊漁だ」
「マグロ1尾400kgだ! どうだ立派だろ。今ならたったの3Mで!」
「貝はどうだい! ミミックシェルの良いのが入ってるよ!」
あちこちで威勢のいい売り込みの声が上がり、オットセイ型の機械獣が荷車を引っ張って通り過ぎていく。現実の市場というのは行ったことがないが、そこにも負けないくらいの活気だろう。しかもここは早朝だけでなく24時間昼夜を問わず賑わいを見せている。
「ワダツミ市場ですか。何か買うんですか?」
「そうだな。まあ、鮮魚というよりは加工品なんだろうが……」
向かった先は市場の奥。新鮮な釣りたての魚を売るエリアを表とするならば、少しひとけも落ち着いた裏のエリアとなるだろう。海に面した広い通りにずらりと竿が並び、そこに洗濯物のように何かが引っ掛けられている。
「干物、ですか」
「ああ。酒の肴といえばこっちだろ」
この辺りに立ち並んでいるのは、魚介類の加工品を扱う店だ。これも〈調理〉スキルの一環だが、いわゆる料理を作るのとはまた違った分野になる。どちらかといえば乾パンやジャーキーといった保存食を作る時と同じツリーを伸ばす必要があるだろう。
ここまでやって来たのは、ヨモギが作る特濃クリムゾンクリスタルに合わせるアテを探してのことだった。
「おつまみですか。確かにスルメとかイカゲソとか有名ですよね」
「どっちもイカだな……。あとは煮干しやエイヒレなんかもいいんじゃないか」
まあ、レティはリアルだと酒は好みではないようだし、俺もそもそも飲めない体だから、又聞き程度の知識しかないのだが。
「何でもいいから、適当に買い込もう」
「今更ですけど、濃いお酒を作ってどうするつもりなんですか?」
店先に並べられた商品を眺めながら、レティがいよいよ酒の使い道について聞いてくる。俺が想定しているものが、調査開拓員向けの酒ではないことをうっすらと察しているようだった。
「ヤマタノオロチの伝説は知ってるか?」
「まあ、概要程度なら」
脈絡のない問いに、レティは戸惑いながらも頷く。
神話の話だ。ある国に八岐大蛇という八尾八頭の巨大な化け物がいた。娘を生贄に捧げることとなった老夫婦だったが、そこに偶然通りがかった男がいた。彼は八岐大蛇が無類の酒好きであることを知ると、八塩折の酒を樽いっぱいに用意して、それを飲ませた。蛇が酔い潰れたところで頭を一つずつ落とし、見事打ち倒した。
その際に蛇の体内から出てきたというのが天叢雲剣という逸話。
まあ、FPOをやっているならば、その関連から知っていてもおかしくはない。
「もしかしてレッジさん、ヨモギが作っているのって」
「八塩折の酒だな」
「やっぱり! じゃあ肴って、八岐大蛇に食べさせるものですか。というか、まさか……」
「ヴァーリテイン。まさしく八岐大蛇じゃないか?」
無数の頭と無数の触手を持つ巨大な龍。飽くなき食欲に突き動かされるまま鯨飲馬食を繰り返し、その骨塚で酢を作る化け物。俺が考えるまでもなく、きっとこれまでも多くの調査開拓員たちが、それと天叢雲剣との関連を考えたはずだ。
「でも、天叢雲剣はもれなく全員に配布されてますよ」
「そうなんだけどなぁ」
神話の上では八岐大蛇の尻尾から出てきたとされる天叢雲剣だが、ことFPOにおいては調査開拓員一人ひとりに与えられた初期装備だ。
しかし、いや、だからこそ。ここで神話をなぞった時、ヴァーリテインの体内から何が出てくるのかを確かめたい。そもそも何か出てくるのだろうか。
「つまり、レッジさんのいつもの思いつきってことですね」
「まあそう言うことだ。暇つぶしには良いだろう?」
〈塩蜥蜴の干潟〉の先がまだ見つかっていない以上、既存のエリアで遊ぶ必要がある。そう思って振り返った時、一番なにかありそうだったのがここだったのだ。
何もなければ、それもまたよし。とにかく面白そうだからやる。
「そういえば、八岐大蛇退治をしたのは
「いっそ、ウェイドに退治してもらうか? はははっ」
まあ、スサノオもウェイドも、管理者は原生生物との戦闘ができないわけだが。そこはまあ、仕方のないところだろう。
「レティ、期待してるぞ」
「うへへ。任せてくださいよ! バリテンなら5000匹は倒してますからね!」
それが誇張でもなんでもなさそうなのが、彼女の凄いところだ。
「しかしバリテンに食べさせるとなると、どれも小さく見えてくるな」
「そりゃそうですよ。ビルみたいな相手なんですから」
レティに話しながら商品を物色していると、どれもこれも小さく見えてくる。干物っていうのは水分が蒸発して体積も減ってるはずなのに、なぜか高いんだよなぁ。ホタテの貝柱の干物とか、なぜか
別にあるものを適当に買い込んでもいいかと思っていたが、これではヴァーリテインを満足させられるか不安になってきた。
「レッジさん。決まらないならいっそ、自分たちで獲りに行ってみますか?」
「獲りに?」
うんうんと唸っていると、レティがそんなことを言う。彼女はハンマーを肩に担いで、ニヤリと笑った。
「海に出れば、ヴァーリテインも納得の大物がたくさんいるはずですよ!」
「ほう……。レティも賢いな」
「へへんっ。そうでしょうそうでしょう。もっと褒めてくれて良いんですよ!」
「よし。じゃあ、ちょっと海に出てみるか」
そんなわけで。
俺はレティと共に〈剣魚の碧海〉へと乗り出すこととなった。
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Tips
◇ミミックシェル
岩に擬態している巨大な肉食性の貝。大きいもので直径3メートルを超える。貝ではあるが非常に運動能力が高く、一瞬で貝殻を開き、中の触手を伸ばして近くを通りがかった魚を引き込む。
普段はじっとしているため、一見しただけでは見つけることもできない。
稀に内部が死に、中に巨大な真珠だけを残す“宝箱”も存在する。
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