第1441話「赤い霧の中へ」

――RiRiRiRiRi!!


 頭の奥に直接響くアラーム音によって意識が覚醒する。寝袋の効果で入眠し、時間を一気にスキップした。目覚めたのは、水場に仕掛けた罠に獲物がかかったからだ。

 目を開けて起きあがろうとして、体の上にのしかかる重みに気付く。


「ぬぉ、なんだ?」

「むにゃむにゃ……。あと50杯……」

「うぇへへ。ダメですよ、そんなの、オーバードーズになっちゃいます……」

「ええい、二人とも起きろ!」


 俺の腹の上と膝の上に重なっていたのは、寝袋に収まって芋虫のようになったレティとヨモギだった。機械人形の睡眠は気絶に近いようなものだし、原理的に寝相が悪いということすらないはずなのだが……。

 ともかく二人を押し退け、目覚めさせる。罠が壊れる前に向かわなければ。


「ふにゃっ!? あれ、レッジさん? 丼ものフルコースが……」

「ヨモギのビリビリ麻痺毒は?」

「馬鹿なこと言ってないで、早く外に出るぞ」


 眠たげに目を擦るレティたち。二人の手を引いてテントを飛び出す。偽装工作の迷彩シートを引き剥がすようにして罠の方へ。


「レッジさん、何もないみたいですけど」

「ここにはな。レティ、ヨモギ、近くに足跡があるはずだ。それを見つけて、追いかけてくれ」


 水場の周囲はぬかるんでいる。ここに立ち寄った原生生物の足跡なんかもしっかりと残っているはずだ。タイプ-ライカンスロープの二人はそういったものを見つけ出すのも得意だろう。本職の斥候ほどではないにせよ――。


「師匠、この足跡!」

「見つけたみたいだな。でかしたヨモギ!」

「うえへへ」


 いち早く発見したのはヨモギだ。彼女は早速、水場から離れていく足跡を辿っていく。レティも負けじとその後を追いかける。


「レッジさん、この足跡って」

「〈奇竜の霧森〉のレアエネミー、“赤霧のハミバミ”のものだな」

「やっぱり! レアエネミーの中でも特に目撃数が少ない原生生物ですよね」


 “赤霧のハミバミ”――それは〈奇竜の霧森〉のどこかに、たった一体だけ存在すするレアエネミーだ。出現地点は立ち込める霧が赤くなること、調査開拓員が目視している範囲には現れないこと、痕跡を追いかけても見失ってしまうこと。そういった特徴を持つ、まるで幽霊のような存在だ。

 ステータス自体はさほど高いものではないようだが、その圧倒的な潜伏能力の高さから、最前線のボスエネミーよりもはるかに厄介だとも言われている。


「師匠、足跡が!」


 前を走っていたヨモギが叫ぶ。ハミバミの足跡を追いかけていた彼女だが、それが途中で途切れてしまったのだろう。ハミバミの痕跡を追いかけていても、こうして忽然と途切れてしまうことはままあった。


「大丈夫。匂いか音がしないか」


 しかし、ハミバミもお化けではない。実体を持つ原生生物だ。足跡が途切れても、他の痕跡は残っている。そして、こちらにはタイプ-ライカンスロープが二人もいる。


「あっちの方から走る音が!」

「行くぞ!」


 耳を立てたレティの声。逡巡することなく走り出す。

 ガサガサと落ち葉を踏む音は、モデル-ラビットの鋭敏な聴覚がなければ捉えられない。レティが頼りだ。


「頼む、見失わないでくれ」

「任せてください!」


 レティを信じて足を動かす。水場に仕掛けていた罠は、ハミバミの特徴を満たす存在が現れた際に信号を発するセンサーだ。ハミバミ自体を捕獲しようとするのは非常に難しい。


「くっ、音が消えちゃいました……!」


 追跡を続けていたレティだったが、ついに立ち止まる。モデル-ラビットの耳でギリギリ拾えていた音も聞こえなくなってしまったのだ。しょんぼりと肩を落とす彼女を慰めながら、まだ終わっていないと説得する。


「ヨモギ」

「はいっ! ……あ、あれ?」


 反射的に元気な声で返事をしたヨモギが、ふと何かに気づく。眉を寄せ、スンスンと鼻を動かして周囲の匂いを探る。

 そんな行動をする彼女を、レティが怪訝な顔で見ていた。その時。


「死臭がします!」

「でかした! そっちに行くぞ!」

「ひえええっ!?」


 目を輝かせたヨモギが猛然と走り出す。俺も喜び勇んでその後を追いかける。


「ああっ、そういうことですか!?」

「レティも分かったみたいだな。この死臭はハミバミのもんだ」


 モデル-ハウンドの優れた嗅覚でギリギリ嗅ぎ取れる、微かな死臭。それはハミバミが死んだことを示す。

 “赤霧のハミバミ”は死後、急速に腐り果てる。その際に他の原生生物と同様に死臭を放つが、それも仄かなものだ。できる限り後を追いかけて、距離を詰めておかねばならない。

 そして、この死臭がしたということは、毒が効果を発揮したということ。それはつまり、ハミバミが寝床へと戻ったということ。


「ハミバミの巣は近いぞ!」


 “赤霧のハミバミ”――〈奇竜の霧森〉にたった一体だけ生息する幻の原生生物。非常に警戒心が強く、人前には決して姿を表さず、また無防備になることがない。唯一の例外は、巧妙に隠された巣で眠る時だけ。

 そもそも一日の大半を巣で過ごすため、更にその発見は困難となる。

 一方でもしハミバミの巣を見つけることができたならば。


「師匠、ここです!」

「でかした!」


 こんもりと積み上がった落ち葉。その下に枝を組んで作られた入り口があり、地下に続く穴がある。そこに光を差し向けると、薄く赤みがかった結晶のようなものがいくつも転がっているのが見えた。その上で安らかに身を丸めて眠りについた表情で朽ちていく、リスのような原生生物の姿も。


「おおお、まさかこんなに上手くいくとは!」

「こ、これってハミバミの赤酔結晶!? こ、こんなにたくさん……!」


 レティが巣穴を覗き込んで驚きの声を上げる。

 ハミバミの赤酔結晶とは、このリスのような原生生物が長い時間をかけて生成し、巣穴に溜め込むレアなアイテムだ。高濃度のアルコールが結晶化したという特殊なアイテムで、これを使うと非常に強い酒を作ることができる。


「しかし、お酒なんて作るんですか?」

「赤酔結晶は酒の原料だけが使い道ってわけじゃない。これだけあれば、いろいろと実験もできるしな」


 ヨモギの純粋毒は、巣穴に戻って眠る習性のある原生生物に強い効果を発揮すると期待していた。まさか最初からハミバミという大物が掛かるとは思わなかったが。ともあれ、これがあれば非常に希少だった赤酔結晶も簡単に手に入れることができる。この素材でどんなものを作ろうか、今からワクワクしてくる。


「師匠、師匠。これってヨモギのおかげですよね?」

「ああ、もちろん。ありがとうな」

「うぇへへへ」


 ヨモギの頭を撫でると、彼女は嬉しそうに尻尾をパタパタと振る。

 そんな彼女と共に、俺はホクホク顔で巣穴の結晶をかき集めていった。


━━━━━

Tips

◇赤酔結晶

 ハミバミの生物的な機序によって高いアルコール成分が天然のミネラルと共に凝固し、結晶化したもの。ほんのりと赤く色が滲む半透明の美しい結晶で、美術的な価値も高い。しかし、これを一欠片樽に入れただけで、どんな酒豪も陥落するという非常に強力な酒を作ることができる。


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