第1422話「剥き出しの本性」
「ひ、ひえ……」
リングロープに背中を寄せて、ヨモギは冷や汗を垂らす。榛色の瞳が揺れ動く。彼女の細い首筋、皮一枚を隔てたギリギリを槍の切先が掠めていた。
だが、直撃はしていない。ヨモギのLPはドーピングの反動分しか減っていない。
別に倒したところでアリーナ内なら蘇生も容易なのだが、わざわざ倒す必要もない。
「――とまあこんな感じで、毒薬も使いようというわけだ」
解毒アンプルを注入しながら、デモンストレーションの終わりを告げる。
なぜか周囲は水を打ったような静寂だ。俺の予想では、もっと拍手喝采があるはずなんだが……。
「さ……」
へたり込んだヨモギが小さく呟く。
「さすが師匠ですっ! すごいっ! すごいすごいすごいっ! 毒をくらわば皿までってやつですね! ヨモギ、感服しましたっ! やっぱり師匠は最強ですっ!」
怒涛の勢いで圧力高く捲し立てられる。ずいぶん虐めてしまったかと思ったが、彼女はむしろ嬉しそうに犬の尻尾を千切れんばかりに振っている。垂れ耳もぱふんぱふんと揺れうごき、まさに全身で感情を表していた。
「あ、ああ。そんだけ喜んでくれるなら、こっちもやり甲斐があるよ」
「ヨモギはまだまだ師匠には敵わないですっ! 師匠、これからも沢山、色んなことを教えてくださいっ!」
「おお。もちろんだ」
師匠、師匠か。
シフォンがレティたちから色々と教えられてメキメキ力を付けていく様子はちょっと羨ましかった。俺もついに師匠と呼ばれるか。
ヨモギの純真で天衣無縫な笑顔を向けられると、たしかに悪い気はしない。俺に教えられる程度のことであれば、喜んで教えよう。
「じゃあ、今日からヨモギの家に一緒に住みましょう!」
「おお、もちろ……うん?」
「毎日17時30分にログインします! それから3時まで修行しましょう! おやつの時間は3回取ります! 毎週土曜日は息抜きの日、日曜日はボス討伐RTAしましょう! 明日は装備の更新をします。鍛冶屋にも来てもらいます! お揃いにします! 準備しておいてください!」
「待て待て待て!」
いきなりグイグイと迫ってくるヨモギ。あまりにも看過出来ない要求に待ったをかける。すると、
「は、え? なんですか? ダメなんですか? ヨモギは愛弟子ですよね? 師匠の一番弟子なんですよね? だったら師匠ならこれくらいやってくれますよね? 師匠なんですよね? 師匠の義務ですよね。弟子と一緒に修行しましょうよ。毎日毎日毎日毎日毎日修行修行修行修行修行――」
ヨモギの榛色の瞳が光を失う。
ボソボソと呟かれる言葉に思わず絶句する。その時、リングのロープを飛び越えて誰かが飛び込んできた。
「ちょ、待てぇええええいっ!」
「こっちが黙ってれば調子に乗っちゃって。わたしのレッジを取らないでくれるかな!?」
「れれれ、レッジさんは領域拡張プロトコル的にも重要な人物であり、〈大鷲の騎士団〉としてもその身柄を不当に拘束されることは看過出来ないというか、そもそも一般人を束縛するのは――」
「レティ、ラクト、アイまで来てたのか」
俺とヨモギの間に割り込んできたのは三人の少女たち。口々に反論を捲し立て、ヨモギを退ける。しかし、彼女たちに対してヨモギも攻勢を強める。
「ヨモギは師匠の愛弟子なんです! 弟子が第一なんですよ!」
「はぁあああっ!? そんなのそっちが勝手に言ってるだけでしょう。レッジさんは〈白鹿庵〉のリーダーです。ちなみにレティが副リーダーですけどね!」
「れ、レッジと相性がいいのはわたしなんだけど! テントとアーツの組み合わせが最高なんだけど!」
「あ、あうぅ。えっと、レッジさんが頭を撫でやすいです!」
「れ、レティ? ラクト? あとアイは何を言ってるんだ?」
あっという間に俺は蚊帳の外に吹き飛ばされる。勢いよく言葉を並べるヨモギに、レティたちは三人がかりで応じる。周囲の様子を伺うと、案の定客席に詰め寄せた野次馬たちがざわついていた。
「おっさんの愛弟子……」
「修羅場?」
「痴情のもつれってやつか」
「とりあえず掲示板に――」
なんか、問題がどんどん大きくなっていっている気がする。どうにかして四人の口論を止めなければ。
「ま、まあ四人とも落ち着いて――」
「レッジさんは黙っててください!」
「ひぃぃ」
四人全員にピシャリと一蹴される。俺が話題の中心じゃないのか……?
どうにかその場を収められないかと周囲を見渡す。
「あ、クリスティーナ!」
「……」
「ちょっ。目を逸らさないでくれよ!」
アイの副官、クリスティーナは『第三者ですけど?』とでもいいたげに顔を背ける。
孤立無援。そんな言葉が脳裏を過ぎる。その時だった。
「頼もーーーーーーーーーっ!」
「グワーーーッ!?」
突如爆発音が響いたかと思えば、アリーナの扉が吹き飛び、その前に立っていたプレイヤー諸共天井に突き刺さる。何事かと周囲の視線が集まる中、彼女は堂々と現れた。
「と、トーカ!」
大太刀を背中に背負った袴姿の侍少女。我らがトーカさん。
どうやらこちらの騒ぎを聞きつけて駆けつけてくれたらしい。
「助かった。トーカ、あの三人をどうにか落ち着かせて――」
「そこのヨモギさんが随分な手練れと聞きました。とはいえ、対人戦では私も一家言あります。ぜひお手合わせ願いたい」
「トーカさん!?」
「チッ。また邪魔が入りましたね……」
「ヨモギさんっ!?」
あれ、この子こんなキャラだっけ。
ヨモギはレティたちから注目を外し、トーカへ向き直る。目線が交われば、戦闘は始まる。トーカは獰猛な笑みを口元に湛え、勢いのよい跳躍でリング上へ飛び込んだ。
「――あと、私のレッジさんに粉をかけようとしたのも、やめていただきたいですね」
「ふっ。ヨモギはレッジさんの一番弟子。いくら貴方が強かろうと、勝てませんよ」
「それはこの太刀が決めることです」
「――ッ!」
ズダンッ!
一歩踏み込んだだけ。ただそれだけで大地を割るような衝撃が走り、俺たちは勢いよく吹き飛ばされる。
「王者の名に賭けて、不埒な輩からレッジさんをお守りしましょう」
「つまり、貴方を倒せばレッジさんはヨモギのモノということですね!」
両者が対角線上に立つ。
俺は吹き飛んだラクトとアイを抱き止めながら、爆発寸前の火薬庫のようなリング上を見上げることしかできなかった。
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Tips
◇ハラスメント行為について
特定プレイヤーからの付き纏い、妨害、いやがらせなどを受けた場合は、イザナミ計画実行委員会相談窓口までご連絡ください。専門の担当職員が匿名を確保した上で対処を行います。
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