第1416話「龍ならば龍たれ」

 レティの手から離れたガラス製のアンプルは硬い塩の鎧に当たって容易く砕ける。そうあれと作り手に望まれた通りに殻を破り、内容物が漏出する。それはガラスに包まれていてれば安定していた物質だ。しかし、ある特定の条件において、それは態度を急変させる。

 塩結晶融解剤。その名前の示す通りに。


『シュァアアアアッ!?』


 大蜥蜴、白銀の騎士が悲鳴をあげる。彼自身には傷はない。しかし、信じがたいことが起こっていた。

 あれほどの堅固を誇った頑強の鎧が、まるで砂糖菓子のように溶けていく。それの反応は連鎖し、拡大していく。止めることはできない。

 大蜥蜴は慌てふためき塩湖に潜る。再び鎧を、己の強さの拠り所を取り戻さんと焦っていた。しかし、意味はない。状況は悪化している。

 塩結晶融解剤は一滴でも塩に触れたならば、その組成を改変させて分解していく。分解された溶液もまた同様の能力を持ち、周囲へとめどなく拡大、拡散されていく。


「さあ、素っ裸になりましたね!」


 意気軒昂な声。

 レティがハンマーを握り立っていた。

 もはや騎士はいない。そこにはグズグズと足元がぬかるむ塩湖に立ち尽くす蜥蜴が一匹だけ。その鱗は塩を纏いやすいように細かく突起が付いている。だが、長年守りという宿命を外に依存していたそれはあまりにも薄く、脆弱だった。


「『対象捕捉ロックターゲット』『破壊の衝動』――」


 レティの赤い眼が獲物を捕捉する。走り出す兎に大蜥蜴は怯え、身を翻そうとする。しかし塩が溶け崩れた地面は頼りなく、その巨体を支えられるほどの硬さを失っていた。

 倒れ込む巨体。塩の混じった飛沫が上がる。そこに、レティが斬り込んでいく。


「――『ヘッドショットパッシュ』ッ!」


 頭蓋を砕く容赦のない一撃だった。無数の条件を一致させた最適な攻撃が大蜥蜴に叩きつけられた。

 その衝撃は大蜥蜴を貫通し、広がる。雄大な塩湖が陥没し、塩の層の下にあった泥が噴き上がる。


「レッジさん!」

「任せろ!」


 一撃で意識を刈り取られた蜥蜴の向かって走る。高い〈歩行〉スキルがあれば、ぬかるむ塩湖も全く問題にはならない。

 槍を構え、狙いを定める。大蜥蜴のHPはまだ多い。適切に急所を穿つ必要がある。ピヨピヨと頭に星を浮かべる怪獣の――狙うは心臓。


「――ッ!」


 逡巡。

 以前から考えていたことがある。それは、花山の監視下に置かれながらシステム補修の手伝いを行なっていた時。退屈しのぎにある動画を見ていた。FPOプレイヤーが投稿しているもので、一風変わった遊び方をしていたものだ。

 バリテン%NMGというカテゴリ。そこで設定された課題に対して、様々なテクニックを用いて最速のクリアを目指す。いわゆるリアルタイムアタック。もしくはスピードランと呼ばれる競技的な遊び方だ。

 ゲームスタートから、“饑渇のヴァーリテイン”討伐までの時間。初の1時間切りという記念碑的な記録を打ち立てたプレイヤーの名前は分からなかった。しかし、そのプレイではメイン武器として槍が使われていた。その理由も動画の中で語られていた。


「レッジさん!?」


 レティがぎょっとしてこちらを見る。絶好の機会を前にしてなかなかトドメを刺さない俺を見て、驚いている。

 一瞬の逡巡。

 龍とはなんだろうか。モジュールシステムについて情報を集める中でも、龍に対して特攻のかかるという魔法が掲示板に公開されていた。しかし、実際のところ龍種と断じられている存在は驚くほど少ない。

 先のRTA動画において、プレイヤーが槍を選んだのは『ドラゴンキラー』という龍種特攻攻撃が使えるから。しかし“饑渇のヴァーリテイン”でさえも完全に龍とされたわけではない。

 龍とはなんだろうか。

 たとえば、この蜥蜴は龍だろうか。

 一瞬の逡巡。結論を出す。


「お前、龍だ」


 龍か否か。その定義など知らない。知らずとも、龍が何かは分かる。ならば、龍は龍だ。目の前で怯えて尻尾を丸めて情けなく泣いているこの蜥蜴も――龍である。


「――『ドラゴンキラー』」


 〈槍術〉スキルレベル25で使用可能な、初歩的なテクニック。“竜種”に対して高いダメージを与えると言われる。

 龍とは鱗を持つ、神秘的で強大な生き物だ。そう定義した。

 であるならば――これも龍だ。


「おらぁああああああっ!」


 蜥蜴の鱗を槍が貫く。あまりにも容易く、紙のように。

 蜥蜴の顔に苦悶が滲む。

 蜥蜴に槍が通用している。

 蜥蜴の心臓に槍が届く。


「ひょっ!? うわあっ!?」


 槍の切先が熱く震える心臓に触れた。その瞬間。

 赤黒い花が青空を映す塩湖に広がる。

 レティの悲鳴が、風船の爆ぜたような音に消える。


「な、え……。レッジさん、何やったんですか?」

「いや……えっと……」


 絶句する。

 予想をいささか裏切る展開だった。

 槍がユカユカの心臓に到達した瞬間、彼の体が急激に膨張し一瞬で爆ぜた。周囲に血が撒き散らされ、もはや生存とか抵抗とかそういう次元の話ではなくなっている。


「もしかして俺、何かやっちまったのか?」

「どう考えてもレッジさんでしょう!? なんですか、これ!?」

「ただ『ドラゴンキラー』を使っただけなんだが」

「『ドラゴンキラー』って名前だけのロマンテクですよね!? こんな効果なかったはずですよね!?」

「槍のテクニックなのによく知ってるなぁ」

「そういう話してませんが!」


 レティの方が驚きすぎて、むしろ俺は冷静になってくる。

 なぜこのような結果になったのか。興味本位で『ドラゴンキラー』を使ってみたものの、これでトドメを刺せるとは思っていなかった。しかし、俺の槍はHPが二割ほど残っていた攻略最前線フィールドのボスを討ち倒した。

 あまりにも大きすぎる戦果である。


「とりあえず解体……もできないのか」


 木っ端微塵に爆発四散したユカユカは解体できるモノもない。なんとか、本来の目的である源石だけは残っていたのが不幸中の幸いか。


「これは研究した方が良さそうですね」

「そうか?」

「そうに決まってますよ!」


 俺よりも衝撃を受けているレティに強く言われてしまえば、そっかぁ、と頷くくらいしかできなかった。

 俺自身、自覚している以上に動揺していたのだろう。その時、遠くからこちらを覗く視線に気付かなかったのは、おそらくそのせいだ。


━━━━━

Tips

◇塩結晶融解剤

 強固に結合した高高度の塩結晶に反応し、その構造を破壊する特殊な薬品。溶解した液体にも同様の効果があるため、微量でも広範囲に影響を与える。ガラスに封入すれば安定しているため、扱いやすい。


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