第1406話「楽しい実験」
精霊城に二つ聳える尖塔の一つ、黒精霊姫という称号を与えられたダークエルフのレアティーズが構えるところ。オフィーリアと別れた俺はその足で彼女の元へと向かった。こちらも同じくずいぶんな賑わいで、長い列に並んでなんとかレアティーズと対面する。
「よう、レアティーズ」
『わっ、レッジ!? 久しぶりじゃん!』
褐色のエルフは変わらず溌剌とした笑顔で迎えてくれる。とはいえ、彼女も目元には疲労が少し滲んでいる。モジュールシステムの解禁から今まで、休まる暇もないのだろう。
そんな中で申し訳ないが、俺もモジュールデータを彼女に渡す。
『レッジもモジュール付けるんだね。いいよいいよ、どうする?』
「とりあえず変転を試したいんだ。この〈挺身〉を頼む」
『りょ! じゃあ、ちょっと待ってねー』
オフィーリアよりもいくぶん軽い調子でレアティーズが術を編む。彼女の手のひらに包まれたデータカートリッジが淡い光を放って性質を変える。
燐光が放たれ、光の糸が複雑に混じり合う。その光が記すのは、魔法的な理論に則った文様だ。解明のなされていない技術が科学と融合し、変転していく。
『ていっ! っし、こんな感じかな』
最後に大きく力を込めて、レアティーズによる変転が完了する。
〈踏破〉から分離した〈前進〉を〈跳躍〉と掛け合わせ、作られた〈突進〉をオフィーリアによって変転させた〈挺身〉を、さらにレアティーズに変転させた。その結果として生み出されたのは――。
「〈捧贄〉……か」
贄を捧げる。なるほど、レアティーズによるネガティブな変転という意味が少し理解できた。
さらに詳しく効果を見てみる。それによれば、〈捧贄〉も魔法は簡単に言えば身代わりを立てるものだ。その対象となるのは、パーティメンバー。つまり俺に向かってきた攻撃に対し、強引にレティを引き寄せてぶつけるという、なかなかの代物だ。
「また随分と特徴的なモジュールになったな」
『あはは。ごめんね、あたしはこういうのしか作れないみたいで』
鑑定結果をまじまじと眺めつつ素朴な感想をこぼすと、レアティーズは少し申し訳なさそうに頬を掻く。変転の結果は彼女自身にも操作できない。あくまでネガティブな方向への変化という点しか傾向を掴めない。おそらくはゴブリンたちの怨念を一身に受けたという来歴も関係しているのだろう。
とにかく、彼女が悪いというものでもない。
「大丈夫だよ。こう言うのも使いようだ」
現実的に利用する状況を考えてみると、これもなかなか便利だ。エイミーは割と機動力があるタイプの盾役だからあまり恩恵もないかもしれないが、例えば〈紅楓楼〉の物理特化盾こと光。彼女はあまりにも重すぎる特大盾を抱えているせいで、自分で動けないという致命的な欠点を持っている。そんな彼女も〈捧贄〉を使えば自由に引き寄せることができるわけだ。
「じゃあ、レアティーズ。もう一回変転してくれ」
『へ?』
たはは、と笑っているレアティーズにデータカートリッジを差し出す。きょとんとする彼女は、言外に「間違ってない?」と訴えかけてくるが、間違ってはいない。
「この〈捧贄〉をもう一回変転してくれ」
『えぅ、えっと……ネガティブなデータをもう一回変転したからといって、元に戻るわけじゃないよ?』
「分かってる。もっとネガティブになるんだろ?」
『それに、お金もかかるし……』
「こう言う時のために稼いでるんだ」
変転、分離、融合の操作を行うにはそれぞれに費用がかかる。さらに言えば、加工を重ねるほどにその金額も増えるようだ。しかしこちらも本気でモジュールシステムを楽しみたい。これくらいなら、〈大鷲の騎士団〉ならいくらでもやっているだろう。
俺の意志が固いことを察したレアティーズは頷く。どうなっても知らないからね、と何度も念押ししつつ、〈捧贄〉のデータカートリッジを変転させる。
『てゃっ!』
変転の儀式が終わり、カートリッジの内容が変わる。
「結果は、〈贖贄〉か」
もうなんと読むのかも分からんな。アガナイニエでいいのか?
効果を見ると、自分のテクニックや魔法を使う際にパーティメンバーのLPおよびMPを消費させるとある。ただし、消費するコストは二倍になる。なかなかエグいじゃないか。
「なるほどなるほど……」
『あの、レッジ?』
「じゃあ、もう一回変転してくれ」
『言うと思ったよぉ!』
戦々恐々としているところ悪いが、これはどこまでいけるのか試してみたい。俺は〈贖贄〉のカートリッジをテーブルに置く。
レアティーズが涙目になっているが、まだいけるはずだ。
「頼む! レアティーズにしかできないことなんだ。一緒に限界を見てみないか?」
『あうぅ……。ど、どうなっても知らないよ!』
テーブルから身を乗り出して頼み込むと、彼女も吹っ切れる。〈贖贄〉のカートリッジをぎゅっと掴み、変転。
『せいやっ!』
「次は〈貪食〉か。パーティメンバーのLPを奪うところを重点的に強化したみたいだな」
モジュール〈貪食〉。効果はパーティメンバーのLPおよびMPの強制徴収。使用中は継続的にパーティメンバーにダメージが入り、使用者のステータスが全体的に増強されるようだ。
『あの、レッジ』
「じゃ、もう一回頼む」
『ひぇええっ!?』
モジュール〈暴食〉。効果の範囲がパーティメンバーから更に拡大し、物理的に一定範囲内の調査開拓員のLPおよび MPを徴収する。これは……色々トラブルに発展しそうなモジュールだな。
『そ、そろそろ……』
「もう一回頼む」
『もうすごいお金掛かっちゃうよ!?』
「ここで日和っていられるか。金ならあるんだ!」
『うわぁあんっ!』
モジュール〈簒奪〉。更に効果対象が拡大。周囲の原生生物からもHPを徴収する。なおこれによって倒された原生生物は討伐の判定にならない上にドロップアイテムも手に入らない。
「もう一回!」
『も、もうやめよ? ヤバいって!』
「もう一回だけ! 次で終わらせるから!」
『うぅぅ』
モジュール〈殲滅〉。一定範囲内の全てに負荷を与える。対象に自分も含まれる。強烈なLP/MP減少効果と引き換えに周辺からのLP/MP徴収効果を獲得し、死ぬまでは強大な力を有する。
「頼む! 後一回だけ!」
『もうやらないって言ったじゃん! もうダメだって!』
「次で終わるから! 約束するから!』
モジュール〈拒絶〉。一定範囲内に何人たりとも干渉不可能。自身もその範疇に含まれるため、使用した瞬間に[Error:Null]が発生する。
「[Error:Null]ってなんだ? 新しいデバフっぽいか?」
『もう絶対ヤバいって! こんなのオトヒメにバレたら終わるって!』
モジュール〈殲滅〉から〈拒絶〉への変転にかかった費用は数十Mビットに及ぶ。さすがにこれ以上の変転は、俺の財布ではもちそうにない。どうやら変転を重ねようとするとするほど、指数関数的にコストが爆増するようだ。これは厳しい。
そもそも〈拒絶〉は説明文を読んだところ、使った瞬間に死ぬような自殺技だ。当然、使い道などあるはずもない。
変転すればモジュールデータの効果が強くなるが、代わりに使い所も狭まってくると考えた方がいいだろう。
「じゃあレアティーズ。これを分離してくれないか?」
『分離? わ、分かったよ……』
こうして使いづらいモジュールになった時は、それを分離させる。
〈拒絶〉はレアティーズの手によって、〈排斥〉と〈誘引〉という二つのデータに変わった。
前者は一定範囲内の敵対・友好の種別を問わない存在を問答無用で弾くというものだ。
後者は逆に、一定範囲内の敵対・友好の種別を問わない存在を引き寄せる。
この二律背反性が〈拒絶〉という奇妙な効果を生み出したということか。
「ちなみに、この〈排斥〉と〈誘引〉を融合したらどうなるんだ?」
『ええっ!? そりゃあ、また〈拒絶〉になる……のかな?』
少し気になったことを尋ねてみると、レアティーズも確証はないようで首を傾げる。普通に考えれば、分離したものをまたくっ付けるだけだから、同じものに戻るのだろう。しかし魔法はかなり不確定というか、ランダム性を孕んだ存在だ。
「とりあえずやってみるか」
『うぅ』
レアティーズにカートリッジを渡す。彼女も半ば予想していたようで、涙目ながらも素直に応じてくれた。
『せい! ――あれ?』
そうして生まれたモジュールデータは〈波濤〉。
予想とは異なる結果にレアティーズと揃って首を傾げる。
「効果は……。退け、呼び寄せ、寄せては引く。連鎖の波のせめぎあい。……なるほど?」
ここまでくると、効果の意味もよく分からない。とりあえず、引き寄せる、跳ね除けるという二つの力が渾然一体となるのではなく、整理されて実装されたような、そんなイメージだろうか。
「なるほど、ちょっと分かったぞ」
『何か発見でもあったの?』
不思議そうにするレアティーズに、俺の理解を語る。
「分離からの再融合は、ただの繰り返しじゃない。肝になるのは整理だ。混沌とした効果を一度整理して、秩序だったものとして再び組み上げる。その結果として、ある程度実用的なものになるんじゃないか?」
まだまだ検証は必要だろうが、良いところを突いていると思う。
それを聞いたレアティーズが嬉しそうにしているのが、その証左だろう。彼女の変転はネガティブな方向へとモジュールデータを歪めるが、うまく分離と融合を組み合わせれば、しっかりと実用的で協力なものが作れるはずなのだ。
「じゃあレアティーズ。これをもう一回、変転してくれないか」
『またやるの!?』
一度分離と再融合をすると、多少コストが下がることも分かったしな。
俺はもう少しだけ実験を続けることにして、レアティーズが目を見張った。
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Tips
◇MD-A〈波濤〉
モジュールデータ。八尺瓊勾玉に刻印することで特殊な効果を発揮する。
〈波濤〉
退け、呼び寄せ、寄せては引く。連鎖の波のせめぎあい。MP消費:6
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