第1390話「一糸纏わぬ」

 アイとレティの二人で開かれたオフ会は、突然の襲撃によって中断された。程なくして下手人は確保されたが、彼らが起爆しようとしていた危険物を清麗院家の護衛たちは見逃していた。危険を阻止したのは、VIPルームに備え付けられたディスプレイから声を響かせる――。


「レッジさん!」

「れ、レッジさん!? なにが、どういう……?」


 声に喜色を滲ませるレティに対してアイは困惑の表情だ。ただの一般女子高生でしかない彼女にとって突然の襲撃だけでも理解が追いつかないというのに、ひとりでに起動したディスプレイから聞き慣れた男の声までするのだから。


「アイもそこにいるんだったか。初めまして、というべきか久しぶりと言うべきか」


 ディスプレイは真っ白に輝いている。男の声に合わせて輝度が上下し波打っているようだった。部屋の状況を目視しているわけではないらしく、声は少し曖昧な色を残したまま挨拶をする。


「しばらく検査入院ってことで鉛の部屋に閉じ込められててな、FPOにもログインできなかったんだ。メッセージもさっき確認した」


 心配させて申し訳ない、と彼は謝罪する。


「え、えっと……本当にレッジさんなんです、よね?」

「ああ。レッジだ。本名は申し訳ないが伏せさせてもらうし、証明するものもないんだが」

「いや、大丈夫です。こんなことができるのはレッジさんくらいでしょうから」


 アイもようやく落ち着いてきて、状況を理解し始めた。天下の清麗院家のご令嬢が警備を薄めて人と会うという絶好のタイミングを狙い、何者かが襲撃を企てた。それをどこからか遠隔で阻止したのがこの男だ。

 彼女もFPO内部での彼の活躍しか知らないが、それでもなんとなく彼ならばやれるだろうという確信を持つことができた。


「ありがとうございます、レッジさん。おかげで助かりました」


 ディスプレイに向かってレティが深く頭を下げる。彼がいなければ今頃二人は部屋諸共木っ端微塵になっていたことだろう。それを阻止した男は、まさしく命の恩人である。


「いいさ。こっちも久々で手間取った」


 本来ならば二人に気付かれることなく問題に対処できたはずだ、と男は悔恨する。しかしその場合には彼とこうして話すこともできなかったのではないか、とアイは首を捻った。

 そもそも、彼はいったいどうやってここにアクセスしているのだろう。本人はどこにいるのか。なぜ助けてくれたのか。何も分からない。分かっているのは、周囲の護衛たちがピリピリとしていることだけだ。


「まあ、無事で何よりだ。後始末は大人に任せて、二人はオフ会を楽しめばいい」

「それじゃあ、レッジさんも一緒に――」

「女の子二人の間に入るような野暮はしないさ。……というか、こっちも色々とやるべき事があるみたいでな。ちょっと呼ばれてるんだ。じゃ」

「ちょっ、まっ――」


 誰かに呼び立てられていたようで、レッジは一方的に通話を切る。ディスプレイが暗転し、レティたちは取り残された。

 分かりやすく落ち込むレティ。アイも少ししゅんとしてしまうが、思わぬところで彼と話せたことが少し嬉しくもあった。久々に聞く彼の声が、さほど弱っていないこともあるだろう。


「うぅん。アイさんにも申し訳ありませんでした。こちらの安全チェックに不備がありまして……」

「えっ、いや、レティは悪くないと思いますけど」


 しゅんとしたまま謝罪するレティに、アイの方が困る。そもそもオフ会で爆弾を仕掛けられていることを想定しろと言う方が無茶だろう、というのが彼女の庶民的感覚である。


「とはいえ、このままここで続きを、と言うわけにもいきませんよね」

「それはまあ、そうですね」


 流石に爆弾が仕掛けられていた部屋で楽しくオフ会を再開できるほどアイも肝が座っているわけではない。FPO内ならともかく、ここはリアルである。

 レティは少し悩んだのち、現場の対応を続けていたメイドの杏奈に声をかける。ひそひそとアイに聞こえない声で何やら相談し、最終的に杏奈が頷いた。


「アイさん。まだお時間あるようでしたら、ウチに来ませんか?」

「ウチ?」

「はい。そちらなら警備も万全ですし、色々と遊べるものも揃ってますよ」

「えっ、でもその、レティのウチって」


 ぽかんとするアイ。あれよあれよと言う間に店の前に停まっていた黒塗りの高級車に乗り込み、高そうなドリンクを飲みながら一切揺れを感じない歴戦の運転で運ばれた先には巨大な門。開くと奥には緑あふれる大庭園。そしてどこの城かと目を剥くほどの大邸宅が聳え立っていた。


「こ、これが清麗院家……」

「応接用の館ですけどね。本宅はもっと奥にあります」

「ひょええ……」


 太刀川家は4LDKのマンションである。両親と兄妹の部屋があるのみで、応接間はリビングが兼任している。そもそも来客を通すことさえ、愛衣が高校に進学するとほとんどなくなってしまった。

 これがお金持ちというものか、とアイは愕然とする。車は音もなく館の前のロータリーに停車し、アイが取手に触れるまでもなく外から執事っぽい人が開けてくれた。


「おかえりなさいませ、お嬢様。太刀川様もようこそいらっしゃいました」

「ひょええ」


 セバスチャン然とした執事の恭しい礼を受けながら、アイはおっかなびっくり降車する。レティは慣れた様子でずんずん先に進んでいく。彼女だけが頼りになっているアイは、ただ軽鴨の雛のように追いかけることしかできない。


「元からこちらに招待しても良かったんですが、やっぱり緊張しますよね」

「しないわけがないですよ」


 レティが自分のことを考えて場所をセッティングしてくれたことを、アイは改めて思い知る。ノータイムでこんなところに案内された生活レベルの急変で死んでしまう。


「チェスでもしますか。ビリヤードとかボウリングとかもありますし、なんならプールもありますけど」

「ひょええ」


 出てくる娯楽がお金持ちっぽい。

 アイはゲームを嗜んでいるが、そういうオシャレな遊戯とは無縁の生活だ。


「やっぱり緊張しちゃいますよねぇ。じゃ、ちょっとエステでもしていきます?」

「えすて?」


 あまりにも予想の範疇外にある言葉に、ついにアイの知能指数が1桁になる。

 ぽかんとする彼女の手を引いて、レティは楽しそうに館の奥へと向かう。

 そこにあったのはゆったりとしたヒーリングミュージックが流れるスパ。専属のエステティシャンが二人を出迎え、あっという間に着替えさせられ寝台に寝かせられる。


「ひょえええ」

「清麗院家自慢のエステですよ。緊張ほぐしていきましょう」

「ひょわぁああ」


 百戦錬磨のエステティシャンたちの指技が炸裂し、緊張にこわばっていたアイの体がスライムのようにほぐされる。あっという間に全身の骨が抜けたかと思うほどに力が入らなくなり、温かい優しさに包まれる。

 これが天国。母体回帰とはこのことか。アイはあっという間に天国の頂へと誘われる。

 隣を見ればレティも同じく気持ちよさそうに身を委ねている。そんな姿を見ていると、アイもようやく先ほどの恐怖が落ち着いてきた。


「ありがとうございます、レティさん」

「お気になさらず。というか、畏まらなくていいですよ」


 客人ではなく友人として。レティはアイに関係を求める。


「……分かった。でも、こんなの経験しちゃったらもう戻れないかも」

「うふふ。それならまたいつでも来てくださいよ」

「それもちょっと気後れしちゃうなぁ」


 ようやく、少女二人は落ち着いて話ができるようになった。

 全身の疲労がほどけるような快感の下で、アイたちは今度こそ親睦を深め合うのだった。


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Tips

◇エステティック

 〈手当〉スキルレベル40のテクニック。疲労を蓄積させた調査開拓用機械人形をもみほぐし、活性化させる。様々な方法が存在し、どれか一つを極めるだけでも非常に険しい道のりとなる。


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