第1388話「波乱の開幕」
鏡に映る自分は小さい。もう高校生だというのに、身長は中学生で止まってしまった。それもこれも、私の身長を全て奪って行った兄貴のせいだ。そう言ったら笑いやがったから殴ったけど。
お気に入りのキャップを被り、前髪を整える。春も暖かくなってきて、身軽な服装で良くなったのは素直に嬉しい。
「じゃ、ちょっと出かけてくるから」
一応、兄貴の部屋に向かって声をかける。とはいえ、今もFPOにログインしているだろうから返事は期待していないけど。
水だけ飲んでおこうとキッチンに向かう。ほとんど家具も置かれていない殺風景な部屋だ。私も兄貴もゲームさえあればいいし、親は二人とも滅多に帰ってこないから。空気と天然水だけを冷やしている冷蔵庫を閉めて、玄関に向かう。
「はぁ……」
今更になって緊張してくる。
オフ会というのは、初めてだ。銀翼の団のみんな――兄貴のリアルの友人でもある彼らとは会ったことがあるけど、それをオフ会と言っていいのか首を捻ってしまう。今日会うのは正真正銘、オンライン上でしか話したことのない人だ。
スニーカーを履いて、家を出る。エレベーターの中でも彼女のことを考える。
多分、私よりも年上。でもそこまで年齢が離れているわけじゃない。どこかのお嬢様っぽい感じもするけど、本当のところはどうだろう。赤髪にウサミミの姿しか見たことがないけど、リアルだとどんな姿をしているんだろう。
エレベーター内の鏡に自分が映っている。相変わらずのちんちくりん。流石にタイプ-フェアリーよりは大きいけど、似たようなものだ。FPOでの彼女は足がすらりとしていてかっこいい。容姿はどれくらい弄っているんだろう。
「そういえば、レッジさんはあんまり弄ってないんだっけ?」
ふと、以前他愛もない雑談のなかで聞いた話を思い出す。最近、あまり姿を見なくなった男の人。彼は黒髪に黒目で、素朴な外見だった。若い頃の姿だと言っていた気がする。
今はどうなのかと尋ねると、少し困ったような顔をしてただの中年だと言っていたけど。
「レッジさんにも会えたら良かったんだけどなぁ」
今日会うのは彼女だけだ。〈白鹿庵〉の他のメンバーとも会いたい気持ちはあったけど、突然の連絡だったこともあって都合が合わなかった。手首の端末を見て、待ち合わせ場所を確認する。電車で30分もかからない都内だ。
休日の昼間ということもあり、街は人に溢れている。荒波を揉まれるような都会は少し苦手だ。今ここで大声を出すとどうなるのか、なんてことを考えながら歩く。
「ええと、たしかこのあたり……」
待ち合わせ場所として指定されたのは都内のカフェだった。私には縁のないおしゃれな場所で、都心にも関わらず緑あふれる陽気なオーラを放っていた。オープンデッキで談笑しているのも、なんだかお洒落レベルの高い麗人ばかりに見える。
「こ、ここで合ってるよ、ね?」
何度も確認し、間違っていないことを確かめる。どうやら、清麗院グループの系列にあるカフェらしい。通りで高級感のある雰囲気が漂っているわけだ。私のような小市民が入ってもいいんだろうか。ドレスコードはなさそうだけど。
「よ、よし――」
意を決して真鍮のドアノブに手を伸ばす。ベルが乾いた音色を鳴らしたその時。
「太刀川愛衣さん、ですね」
「えっ?」
突然後ろから肩を掴まれる。振り返った先に立っていたのは黒いスーツを着込みサングラスで目を隠したがっしりとした大男。ゴツゴツとした手は物々しくて、威圧感がある。
見知らぬ男の人に、突然本名を呼ばれた。訳がわからない状況に思考が止まる。警察か、いや不審者、誰か助け――。
「竹村!」
涼やかな女性の声が聞こえた。その一言で男の人の動きが止まる。
騒がしい都会の真ん中だったはずなのに、しんと水を打ったように静かになった。
店の前に高級そうな黒い車が止まっていた。あれ、なんか大統領とか護送しているやつに似ている気がするんだけど……。
メイド服――コスプレなんかじゃない、本物っぽい――を着た可愛いお姉さんが車のドアを開いていた。中から出てきたのは、長い黒髪の艶やかな女の人。私よりも少し年上、大学生くらい? コツコツと軽い靴音を響かせ、まっすぐにこちらにやって来る。
「お、お嬢様。これはただ、安全を――」
「だからってビビらせてどうするんですか。もっと方法があったでしょう」
あれほど大きく見えた男の人がチワワのようだ。その女の人はぴしゃりと叱りつけ、押し除ける。そして、優しげな目をこちらに向けた。
「うちの者が申し訳ありませんでした。――太刀川愛衣さんで、間違いありませんよね」
「え、あ……はい。その、私、今日は友人と会うつもりで……」
しどろもどろになりながら、来店の理由を告げる。泣きそうだった。周りを見れば、オープンデッキで談笑していたお客さんたちまで、じっとこちらを見ている。
オフ会という名目で、彼女と会って話したかっただけなのに。私は筋金入りのコミュ障なんだ。こんな見るからにセレブな方と話せるはずがない。対峙しているだけで火炎放射を浴びた綿菓子みたいに溶けてしまいそうだ。
「えっと、その、お邪魔してすみません」
三十六計逃げるに如かず。ここは戦略的撤退をするべきだと思った。レティには後で泣いて謝ればいいだろう。
……レティ?
「え、あれ?」
目の前の女の人の声を思い出す。声色そのものは少し違うけれど、似ている。何より話し方が同じだ。
いや、でも……。嘘でしょ。そんなわけ……。
まじまじと彼女を見る。瑠璃のような瞳が細くなる。
「すみません、驚かせてしまいましたね。――私がレティです」
「は――はひゅっ」
見るからに高貴そうなお嬢様の口から飛び出した、予想をはるかに超える事実。信じがたいけれど、その笑みはたしかに見覚えがある。
そ、育ちが良さそうとか思ってすみません。それどころじゃなかった。いや、メイドさんを連れてるってどんなレベル?
「とりあえず、立ち話もなんですし中に入りましょうか」
「ひゅっ」
あまりの事実に理解が追いつかなかった。いつの間にか側に来ていたメイドさんがドアを開き、彼女は優雅に入店する。店長さんが恭しく礼をして出迎えてくれた。ここ、普通のカフェだよね?
「奥の部屋、使わせてもらいますね」
「もちろんでございます。すでにご用意ができておりますので」
ひょ、ひょええええ。
謎のお嬢様もといレティはにこやかな笑みを浮かべて真っ直ぐ店の奥に向かう。これが本当に、昨日バリテンチャレンジで新記録を叩き出した脳筋と同一人物? 嘘でしょ?
私は彼女の後ろをついていくことしかできなかった。ぼうっとしていてもさっきの黒服の人に怒られそうだったからだ。店の奥にどう考えてもVIP専用みたいな部屋があって、そこに通される。
わ、私はただオフ会をしに来ただけなのに……。
「どうぞ座ってください。そんなに緊張しなくても……といっても難しいですかね」
そう言って彼女は困ったように笑う。私が小市民であることを分かってくれていた。
「ごめんなさい。こちらも色々とあって、これが最大限警備を緩めた形なんです」
「レ、レティっていったい……」
「今のところは、ただの一般FPOプレイヤーだと思ってください」
できるか! と叫びそうになるのを我慢する。
というか〈白鹿庵〉って前に一度オフ会してたんだよね。こんな感じだったの? 嘘でしょ……。
「とりあえず、飲み物頼みましょう」
レティがそういうと、すかさず横からメニューが出てくる。め、メイドさん!
「あ、あはは。そうですね。喉乾いちゃいまし――ぴょっ!?」
緊張を誤魔化すようにメニューを開き、目が飛び出るかと思った。
み、水が1,000円!? コーヒーが5桁するんだけど!?
「なんでも自由に飲んでください。ドリンクバーみたいな感じで」
「破産しちゃいますよ!?」
じ、事前にお店のメニューまで調べておけば良かった。普通のカフェだと思ってたのに……。女子高生の財布にはそんなに余裕はない。
「あ、大丈夫ですよ。こちらが持ちますので。とりあえず何か食べたいですね。パンケーキ、シェアしませんか?」
「しぇ、シェア……!?」
レティの言葉に今度こそ耳を疑う。彼女の口からシェアという言葉が出て来るなんて。
「私、リアルだとむしろ小食なんですよ」
「信じられないですけど」
「む。アイさんが普段どんなふうに見てるのか少し気になりますね」
ぷくっと頬を膨らませるレティ。その姿を見ていると、少しずつ緊張が解けてきた。姿や所作はとてつもないお嬢様だけど、中身は私もよく知る彼女そのものだ。
「それじゃあコーヒー……じゃなくて、カフェオレを頼んでも?」
「もちろんです。イチゴとブルーベリー、どっちがお好きですか?」
「じゃ、じゃあイチゴで……」
注文が終わるとすぐに飲み物と料理が届く。パンケーキは確かにクリームたっぷりで、女子がひとりで食べるのは少し勇気がいる感じがしていた。
「それでは改めて。〈白鹿庵〉のレティです。今日はよろしくお願いしますね」
「あ、えっと〈大鷲の騎士団〉のアイです。よ、よろしくお願いします……」
はちゃめちゃに高価そうなカップを慎重に持ち上げ、細心の注意を払いながら乾杯する。こ、これマナーは合ってる? 大丈夫?
不安に思っていると、レティは優雅に紅茶で唇を濡らした。お、お金持ち感が凄まじい……。
「ひょぇぇ……」
こうして、私の人生初のオフ会は波乱万丈の幕開けとなった。
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Tips
◇カフェオレ
コーヒーにほぼ等量の温めた牛乳を入れた飲み物。カフェオーレ。
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