第1387話「停滞する活動」

 ユアが紅茶の入ったティーポットと二セットの茶器を携えて二階の応接室に入ると、主人と客人の商談はひと段落ついていた。テーブルの上には細かなメモの書かれた大きな紙が広げられ、このあたりでは取れない珍しいアイテムが散乱している。

 ソファに沈み込んでいる赤髪のタイプ-ライカンスロープの調査開拓員は、心なしかいつもより元気がないような気がした。


『紅茶を淹れました! ミルクや蜂蜜、ジャムもありますよ』

「ありがとうございます、ユアちゃん」


 客人を励まそうと、声を弾ませて部屋の中に踏み込む。客人はぴょこんとウサギの耳を立てると、笑みを浮かべて顔を上げた。


「ありがとう、ユア。その辺に置いておいて」

『はいっ! ではこちらに――うわぁっ!?』


 テーブルにティーセットを置こうとしたその時、ユアのつま先が床に敷かれた絨毯に引っかかる。盛大に体勢を崩して、空中にお盆を放り投げる。またやってしまった、と彼女が涙目になる。

 だが、予想していた騒音は聞こえなかった。ユアが恐る恐る目を開けると、主人と客人が驚きもせずにティーセットを受け止めていた。


『あぅ。ご、ごめんなさい……』

「いいのいいの。――こうなるかなって思ってたし」

「反射力ならレティに任せてくださいよ」


 優しく慰めてくれる二人にペコペコと頭を下げ、ユアは応接室から去る。実は二人のために、キッチンでスコーンも焼いているのだ。それを持ってきて、償いとしよう。


「とりあえず休憩にしましょうか。レティもなんだか疲れてるみたいだし」

「う、すみません……」


 少しドジなメイドロイドの少女がパタパタと退室したのを見送って、ネヴァはレティに向き直る。〈スサノオ〉にある工房へ彼女が訪れたのは、武器のメンテナンスと今後の強化の相談のためだった。

 しかし、今日のレティは――というかここ最近の彼女はどこか元気がない。気もそぞろで、〈緊急特殊開拓指令;天憐の奏上〉以降の攻略にもあまり積極的な様子を見せていなかった。

 彼女だけではない。トーカも連日のように通っていた〈アマツマラ地下闘技場〉での人狩りを控えているし、ラクトもライフワークにしていた〈植物型原始原生生物管理研究所〉の研究業務が手につかないようでウェイドとコノハナサクヤが悲鳴を上げている。あのエイミーでさえ、何か憂さ晴らしをするかのように〈サカオ〉の遊戯区画のアーケードゲームで歴戦のゲーマーたちを殴り倒しているのだ。

 影響は〈白鹿庵〉だけにとどまらない。〈大鷲の騎士団〉の活動も目に見えて鈍化しているし、〈黒長靴猫〉の定期集会も集まりが悪くなったと聞く。〈マシラ保護管理隔離拠点〉でも、連日のように暴動が起こっているらしいが、これはいつも通りかもしれない。

 それどころか、解放されたばかりの新天地である〈エミシ〉や〈エウルブギュギュアの献花台〉の開発も、思うように進んでいないらしいのだ。


「全く、ひとりいなくなっただけで被害甚大ね。……レッジはまだログインしてないの?」


 ネヴァはもちろん、多くの調査開拓員がこの調査開拓団全体の停滞の理由を薄々感じ取っていた。

 あるひとりの調査開拓員――レッジがイベントの終了直後から今までログインしていないのだ。これまで連日ほとんどの時間をFPOで過ごしていたはずの男が、なぜか突然消えてしまった。

 そのせいで〈白鹿庵〉の面々を含め、PCやNPCの区別なく広範囲に影響が及んでいるのだ。


「メッセージ送っても反応しないし、シフォンに聞いても理由は分からないって言われました」


 レティはテーブルに突っ伏して弱々しく語る。レッジの連絡が途絶えた後も、〈塩蜥蜴の干潟〉のボスを殴り飛ばして次のエリアを見つけるなどの功績を上げていたレティだが、流石に一週間も消息がつかめないとなると空元気を張るにも限界があるようだった。


「はぁ、まったく。リアルで会ったこともあるんでしょ? 気になるなら直に顔を見に行けばいいじゃない」

「そ、そんなこと言われましても……」


 ネヴァもレティやレッジとはFPOサービス開始初日からの長い付き合いである。〈白鹿庵〉でオフ会が開かれて、そこで二人が顔を合わせていることも知っているし、なんなら二人がリアルでは少々特殊な事情にあるということも薄々勘付いている。

 レティの反応は、直接顔を見に行けないわけではないことを示している。ただ彼女に踏ん切りが付いていないだけだ。

 舐めるようにチビチビと紅茶を飲んでいるレティを見て、ネヴァはいいかげんもどかしくなってくる。


「ま、一週間ログインしないなんて普通にあり得ることとは思うけど。そもそも今までログインしすぎて怒られたんじゃないの?」

「うぐ。でもレッジさんなら……」


 レッジにどんな事情があって、レティが何を知っているのか。そんなことはネヴァにとって瑣末なものだった。重要なのは、やるかやらないか。それだけである。

 それでもなおレティはうにうにと奇妙な声を発して、耳をピコピコと振り回す。そんな時だった。彼女の元にメッセージが届く。


「あれ、アイさんからですね。珍しい」


 差出人は〈大鷲の騎士団〉の副団長だった。特に心当たりもなく、首を傾げながらメッセージを開いたレティは、直後の驚きの声を上げた。


「ええっ!?」

「どうかしたの?」

「えっと、その……。アイさんからお茶に誘われまして」


 わざわざメッセージを使っての招待。それが普通のお茶会であるわけがないことを、ネヴァも早々に察する。


「それってもしかして」

「はい。――どうやら、オフで会わないかと言うことみたいです」


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Tips

◇スコーン(焦げ)

 焼きすぎたスコーン。一部が炭化している。硬い。誰もお前を愛さない。


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