第1386話「渇望の先に行け」
“饑渇のヴァーリテイン”はオノコロ島の断崖を超えた下層に広がる広大な森に棲む、巨大な竜である。森の多数生息している
その食欲は歳を重ねるほどに増し、〈奇竜の霧森〉の一角に広がるヴァーリテインの巣は無数の残飯によって組み上げられている。
「昔はヴァーリテインを討伐するために専用レイドツアーなんかが開催されたりしたようです。特に初回の討伐作戦は〈大鷲の騎士団〉〈黒長靴猫〉〈七人の賢者〉と攻略組が揃い踏みで、大変な騒ぎだったようですよ」
“あ”は自由落下しながら呑気に往時のエピソードを伝聞調で語る。RTA走者としてはそれなりの実績のある彼も、FPOサービス開始直後から入植している古参ではない。
今でこそ装備、情報、アイテム、フィールド設備と様々な面で用意がされており、ここまで到達するのも容易になった。しかし、一番最初の開拓攻略時には全てが揃っておらず、ただ数の力だけを頼りに道を切り開いてきた。
攻略組という称号は伊達や酔狂ではないのだと、真に理解できている者は案外少ない。
「と、そろそろ地表ですね」
自由落下を続けていた“あ”がぐんぐんと近づいてくる森を見る。第一開拓領域〈オノコロ島〉は、オノコロ高地と呼ばれる断崖絶壁の上と、奇竜の霧森の広がる下に分かれている。当然、霧森に進むには数百メートルの高さを誇る断崖絶壁を降りなければならず、今ならば立派なエレベーターも整備されているのだが、“あ”は最も早い自由落下を選んでいた。
「今の〈受身〉スキルレベルは16です。さっき〈スサノオ〉で『フォールローリング』と『転身の姿勢』を買ってインストールしたので――」
〈受身〉スキルレベル10を要求するテクニック『フォールローリング』。体を滑らかに曲げることでシームレスに垂直方向の衝撃を横に逃し、高所からの落下によるダメージを軽減する。
しかし、まだ低レベル帯と言って差し支えないレベル16では、『フォールローリング』を使ったところで数百メートルの落下によるダメージ全てを相殺することはできない。また、熟練度が低い状態ではテクニックの受け入れ時間も非常に短い。
そこで併用するのが〈受身〉スキルレベル15のテクニック『転身の姿勢』である。一定時間回避系テクニックの成功率を引き上げ、受け入れ猶予時間を拡張し、更に吸収ダメージ量も増加する。
また、〈受身〉スキルは装備重量が軽ければ軽いほど効果に上昇補正がかかるという特性がある。重い鎧を着込むより、軽い道着の方が動きやすいという、当然の理屈である。
そして“あ”は現在スキンすら張っていない全裸。“不屈の指輪”は先ほどのヘルム戦で破損し、残っているのはウサミミの間に載せた“知恵の冠”だけ。ほとんどゼロに近い装備重量が、〈受身〉スキルのポテンシャルを限界まで引き上げる。
さらに。
「『フォーカス』」
“あ”がテクニックを発動させる。〈受身〉スキルではない。落下ダメージの回避には全く意味をなさない、〈機術技能〉の基本テクニックである。
その効果は集中力を上げるというシンプルなもの。必要スキルレベル5という、基礎中の基礎を体現するものだ。だが、低レベル帯による断崖絶壁ノーダメ着地には必須となるテクニックでもある。
テクニックの効果が発動し、“あ”は
彼の意識の中で時間が引き延ばされ、その流れが緩慢になる。一時的な時間分解能の細分化、体感時間の長大化。それは『フォーカス』の副作用的な効果だった。本来ならばアーツ詠唱の成功率を高めるだけのテクニックだったが、この効果が一部のプレイヤーに歓迎された。
ゆっくりと近づいてくる地面。“あ”は往年のRTAにおける、ポーズ連打による遅延テクニックを思い出す。細かく一時停止を挟むことによって時間の進みを遅滞させ、任意のタイミングを正確に選択する。RTAにおけるもっとも基本的なテクニックとも言えるだろう。
「『転身の姿勢』『フォールローリング』」
体が硬い地面に衝突する直前。ほぼ同時と言ってもいい。激流を降る小舟の上から、浮きつ沈みつ流される枯葉の一枚を箸で摘み上げるような、そんな曲芸じみた動きであった。
「――っし、成功しました!」
轟音も上がらない。落下する自身と地面との接触で衝撃がなかった証左だ。
針の穴を通すような緻密な技を成功させた“あ”は思わず拳を握り、声を上擦らせる。〈鎧魚の瀑布〉を通る通称“西ルート”は、瀑布自体が上下に分かれていることから、他の場所よりも高度が低く、比較的安定しやすい。しかしそれもほとんど誤差の範囲で、このRTAにおいて最終関門とも言える難所だったことに変わりはなかった。
全裸無傷で森へ到達した。あとは竜を打ち上げるだけである。しかし、それもまた困難を要する。彼のスキルレベルはフィールドの適正レベル帯を大幅に下回っている。装備もなく、スキルもない状態では、少し油断するだけで〈スサノオ〉に死に戻りだ。
「じゃあバリテンの所に向かいましょうか」
相変わらずのバックジャンプにポールジャンプを挟みながら、“あ”は森の中を駆け抜ける。その途中にもアイテムを拾ったり〈戦闘技能〉スキルや〈機術技能〉スキルのテクニックを使って基礎的なスキルレベルを上げていく。
襲いかかってくる暴食蛇たち原生生物は極力避ける。戦っている暇などない。逃げに徹するだけならば、タイプ-ライカンスロープの身体能力が活きる。
そうして彼は、ついに“饑渇のヴァーリテイン”の棲家である骨塚へと辿り着いた。
「よし、やっぱり平日の深夜は空いてますね。このまま戦闘に入れそうです」
イザナミの時間では正午過ぎではあるものの、現実時間では夜も更けている。VRMMOというゲームジャンルの特性上、ヴァーリテインに先客があれば横入りすることもできないが、彼は幸運だった。
バリテン%MNGの最終盤に入る。
「まずは“パニックアンプル(試供品)”を飲みます」
彼は骨塚に入る手前でインベントリを開き、薄紅色の液体が入ったアンプルを開封する。とろりとした液体を喉に流し込めば、体表が火で炙られたように熱くなる。〈戦闘技能〉スキル、『攻めの姿勢』『闘志の発炎』『戦士の雄叫び』。〈機術技能〉スキル、『フォーカス』『オーバーヒート』『オーバーライド』。〈受身〉スキル、『転身の姿勢』。〈鑑定〉スキル、『鳥の目』。様々な自己バフテクニックを使い、自身を強化する。
一歩踏み入る。骨塚の中心に佇む黒龍が首を持ち上げる。その巨体は重く、動くこともできない。しかし飽くなき食欲が執念となり、自ら首を引き裂いて頭を増やし、異形の怪物へと成り果てた。
暴食の権化。竜が吠える。
「“パニックアンプル(試供品)”の効果時間は60秒です。その間に、まずは首を三つ以上潰します」
“あ”が走り出す。ラストスパートだ。骨の欠片を蹴り上げ、突っ込む。
自ら口に飛び込んでくる餌にヴァーリテインは歓喜する。大きな口を開き、黄濁した牙を見せつける。そこへ、正確無比な一撃が繰り出された。
「『パラライズピック』」
中枢神経を貫き、動きを止める、正確性を求められる槍技。完全にパターンを把握していた“あ”は時間の経過に合わせて繰り出し、当たり前のようにヴァーリテインの首を狩る。
落ちてくる巨大な頭を踏みつけ、飛び上がる。まだ無数にあるうちの一つを落としただけだ。次なる頭が迫る。
「『ショットガンパッシュ』」
鋭く打ち出された槍が、空気を弾く。極小射程だが衝撃力の高い一撃が、二つ目の首を怯ませた。そこにすかさず一撃が差し込まれ、脳天が割れる。
自由落下。
“あ”は『フォールローリング』を決めて無傷。迫る三つめ。
「『威圧』、ウォアアアアアアッ!」
大声量を轟かせる。
ヘイトを集め、畏怖させる。わずかな隙を無理やり作り、そこに槍の穂先を捩じ込んだ。
20秒が経過。
残り45秒。必要最低限の首は落とせた。ここから先はボーナスタイムだ。
加熱する胸元の炉心。その熱を受けながら走る。次々と迫る首を、次々と落としていく。
「ここで槍のおさらいをしましょう」
首を落としながら、“あ”が語り始める。
「使用している“獣狩りの槍+4”は猛獣系派生で、猛獣特攻がついています。それに加えて、ヴァーリテインのような“竜”に対して槍自身が特攻を持っています。ハンマーなら特攻が付いてないので、頭を7つは破壊しないといけないんですが……」
彼は迫る。竜の躯体へ。
その鱗の下で拍動する心臓へ。
「槍であれば――『ドラゴンキラー』ッ!」
滑らかに滑り込む銀の刃。黒い鱗を弾き破りながら肉を断ち、その奥へ。
心臓という生物の弱点。槍という竜への凶器。条件が重なり、最大の火力が発揮される。繰り出された暴力が、血管を通じて巨竜の全身へと広がる。
『グゥゥゥゥオオオオアアアアアアアアッ!』
蒼穹を揺るがす断末魔を上げながら。
「――このように、バリテンも即倒せます。ここでタイマーストップ」
“あ”がタイマーを止める。
59分52秒29――バリテン%NMG史上初となる1時間切りの瞬間だった。
━━━━━
Tips
◇『ドラゴンキラー』
〈槍術〉スキルレベル25のテクニック。“竜種”に対して高いダメージを与える。
“圧倒的な上位種たる竜を屠る一撃。もしくは、それを夢見る愚者の妄劇。よく研がれた刃は容易く鱗を貫くと、澄んだ瞳を光らせる。”
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