第1362話「人と機械の戦い」
けたたましく鳴り響く警告音。止まらないアラート。コンソールが真っ赤に染まり、異常な数値を次々と更新していく。白衣を着た研究員たちが慌ただしく走り回り、関係各所へと通報を行う。
医療実験都市の片隅にある最先端科学技術研究所の地下は蜂の巣を突いたような騒ぎとなっていた。
「脳波異常値、基準の3,000%を突破! まだ上昇止まりません!」
「大脳新皮質の活動が抑えられません!」
「ブドウ糖溶液の消費速度が加速しています!」
「バイタル異常――ああもう、全部おかしい!」
阿鼻叫喚とはまさにこのこと。悲鳴があがり、泣き叫ぶ声すら聞こえる。
「検体の暴走が確認されました。桑名さん!」
「強制停止、ログアウトプロトコルの実行を」
渦中で唯一平然と立っているのは、この秘密研究室の総責任者である桑名だけだった。彼女の淡々とした指示に、焦燥を浮かべていた研究員たちも動き出す。
しかし。
「だ、だめです、止まりません!」
「緊急停止信号を受け付けません! 改造されてます!」
「ちっ。定期メンテナンスでは異常はなかったはずでしょうに」
悲壮な報告に桑名は思わず頭を掻く。分厚い防弾ガラスの向こう側、最新鋭の医療用VRシェルに横たわっている痩身の男を睨む。
一見すれば、骨と皮だけの吹けば飛ぶようなか弱い男だ。無数のチューブが体につながり、今も大量の糖分を猛烈な勢いで消費し脳を加熱している。
「ログは取ってる?」
「も、もちろんです」
桑名はだんだんと高揚していくのを自覚していた。
生ける伝説が動き出したのだ。
「清麗院グループのスパコンが束になっても敵わない。それどころか、次世代のスパコンの模倣すら追いつかない、人類の神秘。まさか今、こんな形で動き出すなんて」
本来、ノイマン型コンピュータとホモサピエンスの頭脳は全く異なる機序で動く。それらは一定の数値で能力を測れるようなものではない。にも関わらず、彼の頭脳は異常だった。
たった一人の人間が、計算というコンピュータの土俵で、純粋に勝利したのだ。
その活動記録は一瞬を書き留めたものでも金を凌ぐ価値を持つ。彼の脳の完全な模倣ができれば、量子コンピュータさえ追随を許さない遥かな演算能力を手にすることができるのだ。
「FPO運営は何か言ってる?」
「システムAIからストーリー進行の妨害はやめろと」
「その辺は彼の存在を織り込んでいなかった方が悪いでしょ」
なり続ける電話と届き続けるメールは全て無視している。FPOの運営がクレームを付けてきても、それに付き合っている余裕はない。
この研究室は清麗院家の主人から直々に強権を預かっている。多少の無茶は効くということだ。
「ふふっ、ふふふっ! 良いわ、強制停止とログアウトは中止。検体の監視と記録に注力して、あらゆる情報を漏らさず記録しなさい!」
桑名の眼鏡越しの目が輝く。生命の神秘を目の当たりにした彼女は、とてつもなく興奮していた。
その時。
「レッジの馬鹿を止めなさい!」
砲弾すら跳ね返すと言われている分厚い防爆扉が吹き飛ぶ。意識を刈り取られた完全武装の警備員たちが投げ飛ばされる。肩をいからせて飛び込んできたのは、暴走中の検体の警護担当である女性――花山だった。
「い、イチジクさん!?」
「花山と呼びなさい! ――それどころじゃありません、いますぐシェルの電源をぶち抜いてでも止めなさい!」
「拒否します」
研究員たちは突如現れた黒スーツの女性に恐れ慄き縮こまる。だが、彼女の気迫に満ちた指示に、桑名は毅然として首を横に振った。その態度が、花山の目を鋭くさせる。
「警護担当としての指示です。従ってください」
「医療担当として、拒否します」
虎と龍。巨雄が激しく睨み合う。
「緊急停止、ログアウトプロトコルはどちらも跳ね除けられました。あの人がバックドアを仕込んでいたようです」
「この研究所のシステムエンジニアは無能なんですか」
「馬鹿言わないでくださいよ」
天下の清麗院家が率いる最先端科学の孵化器である。叡智も秘密の多いこの施設を守るのは、人類最高峰と言って過言ではない優秀な人員たちに違いない。問題は、そんな人類のエースたちであっても彼に太刀打ちできないということだけ。
「――それで、ゲーム内の状況は」
しばらく睨み合ったのち、今はそうしている場合ではないと花山は自分を納得させた。彼女は奥歯を噛み締め、状況の把握に徹する。
「レッジはウェイドと共に第六階層へ。システムAIの書いた台本通りならウェイドが統括管理システムに乗っ取られて、そこから大規模レイドに移るんですが……」
「レッジがそれを妨害していると」
「試算上はレッジの妨害があっても問題なく進められるはずだったみたいですが」
急ぎ取りまとめられた資料を花山に渡し、桑名は肩をすくめる。
ここから分かるのは、検体の能力を見誤っていたということだ。
「FPOのデータサーバーがドームいくつ分あると思ってるんですか」
「それよりもここにある脳味噌一つの方が上だということですよ」
呆れる花山。人類の叡智は、いまだ人類そのものにすら追いついていないのだ。
まさしく頭の痛い問題だった。
「検体の容体は?」
「良いわけがないですが、まあ悪くもないですよ」
厚さ10センチの防弾ガラス越しに男の姿が見える。穏やかに眠っているように見えるが、その頭部だけが異常な熱を帯びている。必死に冷却が続けられているが、それもギリギリだ。
「本当に、普段は彼に付き合ってもらっているということを痛いほど実感しますよ」
世界最高峰の研究所であると同時に、ここは世界最高峰の監獄でもある。たった一人の囚人のため、巨額の資金と優秀な人材を湯水のように投入しているのだ。にも関わらず、彼が少し散歩に行きたいと思えばそれを止める術はない。脳と神経接続できる車椅子がなければ動けないはずの男だというのに。
「……システムAIの方にはシークレットの方から介入します。なんとか無事にイベントは終わらせなければ」
「イチジクさんもGMが板についてきましたねぇ」
「花山と呼んでください!」
にやつく桑名に花山は一喝。そして再びのしのしと外へと出ていった。
「はてさて……。古来より贋物が本物に勝てるはずはないですが」
これは清麗院家が巨資を投じて作り上げた最新鋭の大規模演算システムと、その構築モデルの模倣元となった男の正面対決だ。あちら側のエンジニアたちも、今頃気炎をあげていることだろう。あらゆる余剰リソースの全てを注ぎ込んででも、統括管理システム側を勝たせようとしてくるだろう。
一方で、桑名たちは何もしない。ただ監視と記録を続けるだけだ。彼ならばきっと、それが最適解だろうから。
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Tips
◇ブドウ糖溶液
ブドウ糖を溶かした液体。脳に直接届く。とある男性の主食。
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