第1361話「つながる二人」

 沈む。沈む。沈む。

 しかし、いくら沈んでも息苦しさを感じない。周囲の水がコンクリートのように固まって、全身に重圧がかかることもない。ただ沈んでいく。沈んで、沈んで――。


『起きなさい、バカレッジッ!』

「ごべばっ!?」


 腹に強烈な衝撃を受けて目を覚ます。俺の顔を青い目が鋭く覗き込んでいた。


『なんですか、その情けない悲鳴は。よもや私が重いとか、そんなことをのたまうつもりじゃないでしょうね』

「うぐぅ。お、俺は虚弱なんだよ……」


 ポタポタとウェイドの銀髪から水が滴り落ちる。彼女は俺の腹に跨ってこちらを見下ろしていた。胡乱な目つきに俺は慌ててステータス的に仕方ないと主張する。俺はエイミーどころか、レティよりも防御力が低いのだ。


『まあ、目を覚ましたならいいですよ。とりあえず、叱責は後に回します』


 そう言って彼女は俺の腹から立ち上がる。うめき声の一つでもあげれば面倒なことになるのは目に見えている。俺は彼女が立ち上がったのを見届けて、ようやく周囲に意識を向けた。


「ここは……」


 薄暗い部屋だった。無数の青白いライトがチカチカと点滅しているが、室内を照らすほどのものではない。聞こえてくるのは機械の駆動音。コンピュータが無数に稼働しているような音だ。メタリックな床には大小様々なケーブルが這い、俺たちは奇妙な台座の上にいた。


『分かりませんが、〈エウルブギュギュアの献花台〉の内部でしょう。当然の如く調査開拓団のネットワークには繋がりません。緊急救難信号発信ホイッスルも使えませんでした』

「おお、孤立無援ってことだな」

『誰のせいだと思ってるんですか!』


 頬を膨らませてぷんすこと起こるウェイドを宥める。

 俺はウェイドを連れて大聖堂の泉に飛び込んだ。そうしたら即死することなく、こうして別のエリアに飛ばされた。可能性として一番高いのは、〈エウルブギュギュアの献花台〉第六階層だろうか。

 足元の台座を軽く調べてみても、第五階層には戻れなさそうだ。そもそも、どうやってここまで転送されたのかもよく分からない。ただ、俺もウェイドも全身ずぶ濡れで、体温がかなり下がっている。よく見れば、彼女の体が小刻みに震えていた。


「とりあえず、これを着とけ」


 インベントリから上着を取り出し、ウェイドの肩にかける。彼女が俺よりどれくらい先に目覚めたのか分からないが、きっと不安もあっただろう。引き摺り込んだ責任もある。

 俺はひとまずテントを立てて、火を起こす。


「紅茶でいいか?」

『ミルクと砂糖も入れてください』

「はいよ」


 温かい飲み物を用意して彼女に渡す。それと同時に状況の把握に努める。


「とりあえず、敵性存在はいないみたいだな」

『完全に安全が確保されたわけではありませんが、ここはどうやら上級調査開拓員がいなければ立ち入れない場所のようです。ある程度の安全措置は講じられていると考えていいでしょう』


 俺もウェイドも本職の斥候ほどの索敵能力はない。とはいえ、軽くあたりを見渡したところ、敵どころか動く物がそもそも見当たらない。ただ機械の筐体だけが乱雑に並び、低く唸るような音を発しているだけだ。

 まるで――。


『中央制御塔の最上階。管理者の中枢演算装置が安置されている部屋と似たような場所でしょう』


 俺と彼女の意見が一致する。

 〈エウルブギュギュアの献花台〉第六階層は、各都市の中央制御塔最上階と似たような様相なのだ。もちろんその規模は段違いで、この部屋は天井も壁も見当たらないほどに広いのだが。

 ここに統括管理者がいるのはほぼ確実と言っていいだろう。


「エウルブ=ギュギュアの方から出迎えてくれるわけじゃないんだな」

『そう甘い展開はないということでしょう。そもそも……』


 砂糖入り紅茶、というか紅茶入り砂糖と言ったほうがよさそうな飲み物を軽く飲み干してウェイドは考え込む。


「エウルブギュギュアはこの施設の責任者だが、統括管理者じゃないんじゃないのか」

『あなたもそう思っていたんですね』


 はっとしたウェイドがこちらを見上げる。

 これはずっと引っかかっていたことだ。大聖堂で接触した時、いや、掲示板やメッセージボックスに送られてきた彼女からの言葉を読み解いた時からずっと。

 エウルブ=ギュギュアは何かを隠している。彼女はエルフとゴブリンの対立を煽り、残酷な実験をするようには思えないのだ。


『エウルブ=ギュギュアが我々に接触してきた時、幾重にも暗号化処理を施したメッセージを使っていました』

「そうせざるを得ない理由があるってことだろう。例えば、検閲とか」


 エウルブ=ギュギュアは何者かの監視下にある。だから自由にメッセージを送ることができなかった。

 しかし彼女はこの巨大施設の責任者だ。エウルブ族ということで、おそらくエウルブ=ピュポイ、現ポセイドンの親類縁者なのだろうが、旧統括管理者に近しい権力者であったに違いない。

 そんな上級調査開拓員を封じることができるほどの者とはどのような存在なのか。


「一つ思いつくのは」

『統括管理システムの暴走、でしょうか』


 どうやら、俺とウェイドは同じ読みをしていたらしい。

 総責任者であるエウルブ=ギュギュアとは別に、塔の制御を行う統括管理システムが存在する。そして何らかの事情によって統括管理システムが暴走し、エウルブ=ギュギュアはそれに巻き込まれた。

 システムによって第六階層に封印されたエウルブ=ギュギュアは、どうにかして外界との接触を図ろうとしたが、ただメッセージを送ったところでシステムがそれを封じてしまう。だから暗号という迂遠な手段を使った。


「ウェイド。エウルブ=ギュギュアはエルフたちの実験について知りたければ第六階層に来いと言った。つまり、ここに統括管理システムのコアがあるんだろう」

『それをどうにかすればいいと言うことですね』


 打てば響くように答えが返ってくる。さすがは管理者と言ったところだろう。本体である〈ウェイド〉の中枢演算装置との接続は切れているはずだが、スタンドアロン状態でも十分に実力を発揮してくれている。

 システムの根幹となるのは、やはり中枢演算装置だろう。それを探せば――。


「っ!?」


 動き出そうとした、ちょうどその時。

 こちらのタイミングを見計らっていたかのように天井から光が降り注ぐ。暗闇が払われ、広大な第六階層の全容が明らかになる。


『ようこ……、上……査開拓……ェイド。管…………譲プロ……ルを実行します。指定ポート……放しセキュリティ……除してく……い』


 ぎこちない機械音声がどこからか響く。虫食いのように単語の抜けた言葉だが、何を要求しているのかは分かった。その上で、俺はウェイドの手を握る。


「ウェイド」

『分かっています。応じるわけがないでしょう』


 むしろセキュリティレベルを最高まで引き上げて、ウェイドは身構える。

 統括管理者は体を欲しているのだ。上級調査開拓員権限を持つ管理者機体を乗っ取ることで、エウルブ=ギュギュアと同等の権限を得ようとしている。ウェイドがいたから泉を通れたのは、統括管理システムが彼女を望んだからだ。


『ようこ……、上……査開拓……ェイド。管…………譲プロ……ルを実行します。指定ポート……放しセキュリティ……除してく……い』


 システムが再び繰り返す。


『不正なアクセスが山のように来ています。それを捌くだけで演算リソースがほとんど

……!』


 ウェイドが苦しげに呻く。

 管理者機体そのものの演算能力は俺たち調査開拓員のそれに毛が生えた程度。彼女たちが真価を発揮するのは〈クサナギ〉とのネットワーク接続が確立されているときだ。

 統括管理システムの演算リソースと比べれば、当然ながら今のウェイドの方が圧倒的に不利だ。


「ウェイド、有線接続はできるか?」

『は? 何を言って――』

「俺も手伝おう』


 激しい音も強烈な光もない、静かな戦いがすでに始まっている。だと言うのに、俺だけ蚊帳の外というわけにはいかないだろう。

 驚くウェイドの髪を払い、うなじにある接続ポートを見る。普段はほとんど使われない、調査開拓用機械人形の機械らしい部分だ。〈制御〉スキルなんかを使う際に有線接続したい時はここにケーブルを挿すわけだ。


『バカなんですか!? 統括管理者の演算リソースは最低でも〈クサナギ〉以上です! もしかしたら、〈タカマガハラ〉に匹敵するほどの――』


 捲し立てるウェイドに笑いかける。

 彼女とは長い付き合いだが、まだ分かっていないらしい。


「そう焦るなよ。俺は〈タカマガハラ〉もぶっ壊せるんだぞ」


 開拓司令船アマテラスに搭載された〈タカマガハラ〉。開拓団の総指揮を担う最大規模の中枢演算装置であり、T-1たち指揮官の本体。その演算能力はウェイドたちの本体である〈クサナギ〉のそれをはるかに上回る。化け物レベルの演算能力を誇るスーパーコンピュータ。

 巨大な塔である〈エウルブギュギュアの献花台〉の第六階層には大量の機械が詰め込まれている。おそらくは全てが並列接続され、中枢演算装置としての機能を果たしているのだろう。その物質的なサイズだけでも、〈クサナギ〉を上回る。

 本来のイベントの進行としては、まんまと第六階層に入った管理者はその機体を乗っ取られ、管理者がボスとして立ちはだかることになるのだろう。だが、そうはさせない。


「接続完了」


 ウェイドと俺が、一本のケーブルで繋がる。彼女の見る世界が、俺の視界に重なる。


「おお、随分な歓迎じゃないか」


 静かな世界が一変する。

 四方八方から稲妻のように飛んでくるのは攻撃的なプログラムだ。どうにかこうにかウェイドの電子障壁をこじ開けようと、蛇のように食らいついてくる。ウェイドもそれを凌いでいるが、すでに演算リソースはレッドゾーンに突入している。


『レッジ! このままではあなたまで――』

「スパコンと知恵比べするのは久しぶりだが、まあ何とかなるだろ」


 〈制御〉スキルを起動する。仮想キーボードを叩きつつ、並列してプログラムを走らせる。趣味で作っていたウィルスプログラムをいくつか起動する。

 花山から無限にメッセージが届く。

 通知を切る。

 俺は清麗院グループのスパコンとタイマンして勝った男だ。この程度どうと言うことはない。

 ウェイドの頭を撫でて、攻撃を開始した。


━━━━━

Tips

◇有線接続ケーブル

 調査開拓用機械人形を外部装置と接続する際に使用されるケーブル。統一規格のものであれば様々な機械と安定した情報通信環境を確立することが可能。情報通信容量に合わせていくつかの種類が存在する。


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