第1356話「まごころの神饌」

 先んじて第六階層へ向かった調査開拓員たちは、一切の情報を持ち帰ることができなかった。それの意味するところはポータルとなっている泉を通って第六階層に入った瞬間に即死したということだ。


「ちなみに、ドローンや式神、機械獣、霊獣なんかも泉を通った瞬間に消失してしまったようです」

「死んだわけでもなく消失か。こりゃあ厄介だな」


 色々と情報を集めてくれたレティに感謝しつつも、前途多難っぷりに眉を寄せる。

 これだけの危険性があれば当然の如く、テイムされた原生生物やドワーフたち他種族、NPC傭兵なんかを投入するわけにもいかない。


「正直なところ、手詰まり感は否めませんねぇ」


 レティが手すりに体を預けて嘆く。彼女の眼下――審判の聖戦場では新たな挑戦者が名乗りを上げているところだった。


「〈白鹿庵〉所属、トーカと申します。以後、お見知り置きを」

『あそこに所属している方ですか……。これは気合いを入れて見定めねばなりませんね』


 オラクルの前に立つのは我らが人斬りトーカさん。〈白鹿庵〉のメンバーのうち、まだトーカとシフォンだけがオラクルから認められていなかったのだ。


『それで、何を捧げられるのです?』

「私がレッジさんに親子包丁とエプロンを借りて手作りした特製どら焼き、熊殺しです」

『ほう、くまは好きですよ。美味しいので!』


 マドレーヌのことを思い出しているのか、オラクルは相好を崩す。トーカもかなり自信があるようで、風呂敷に包まれたそれを堂々と彼女に渡す。


「あの、レッジさん……」

「昨日ちょっと頼まれてな。俺はもう料理スキルを持ってないから、〈三つ星シェフ連盟〉の知り合いに頼んで厨房を貸してもらったんだ」

「それは別にいいんですけど。あの……」

「まあこれもちょっとした実験みたいなもんだろ」


 何か奥歯に物が挟まったような言い方をするレティ。彼女が考えていることおおよそ分かるが、もう試合は組まれてしまっている。俺たちオーディエンスにできることはない。


『早速食べても?』

「もちろん。どうぞ存分に味わってください」

『むっふふ……。むっ?』


 ウキウキと風呂敷を広げるオラクルの手が唐突に止まる。彼女は明らかに困惑した様子でトーカを見ていた。


『あの、これ……』

「熊殺しです」

『えっ』

「どうぞ、ご賞味ください」


 トーカの表情に悪意はない。過去に、オラクルに捧げる新鮮に毒などの状態異常を生じさせるものを仕込んだ輩がいた。しかしオラクルはそこに含まれる害意や敵意を機敏に察知し、そんな者たちは門前払いしていた。

 そこで、トーカの料理である。


「なに、あの……なに?」


 手すりの隙間から見ていたラクトが目を凝らし、首を傾げる。

 どら焼き“熊殺し”。〈料理〉スキルを持たないトーカが、それでも丹精込めて作り上げた一品だ。彼女は心の底からそれを食べてもらいたいと思っており、それは100%純然たる善意である。

 ――問題は、愛があろうとなかろうと、エグいものはエグいという事実。


『なんか、蠢いてませんか?』

「熊は生命力が強靭ですね」

本物マジの熊が入ってるんですか!? いや、ビジュアルから分かりますけど!』


 申し訳程度に添えられた生地に間に挟まるのは餡子ではなく熊の心臓。どくどくと脈打ち、どら焼きそのものも動いていた。更に高級食材としても知られる熊の手、まだ血の滴る新鮮な肉、べろんと飛び出しているのは熊の舌。


「本当は内蔵も入れたかったのですが、心臓以外は腐りやすく……」

『ぴえっ』


 心底残念そうにこぼすトーカに、どら焼き(?)を抱えたオラクルが小さな悲鳴をあげた。


「ですが、できるだけ新鮮なものを使い、保存も気をつけた一品です。オラクルさんはここの所連戦が続き、お疲れの様子と伺い、このように精力の付くものを持参した次第です」

『おうふ』


 黒曜の目をキラキラと輝かせるトーカに一切の邪気はない。彼女なりにオラクルのことを慮って、このどら焼き(??)を作りたいと俺に頼んできたのだ。


「ささ、どうぞ一息に。遠慮なさらず」

『ひっ、ひぃっ』


 無邪気に勧めるトーカとは対照的に、オラクルは顔面蒼白にしている。すでに試合は組まれている。外野はなにも干渉できない。そして、オラクル自身も一度始まった審判の儀を止めることはできないらしい。


『うぅ、ぅ、……うぁあああああああっ!』


 背中にナイフかピストルでも突き付けれているかのような気迫で、オラクルは意を決してどら焼き(???)にかぶり付く。ジュワッ、と血が滴り、遠く離れたここまで獣臭が漂って来そうだった。


『んひぃ――っ!』

「美味しいですか? 美味しいですよね。わざわざ〈雪熊の霊峰〉まで行って、ポップ条件の難しいレアな熊を狩ってきたんです。冬眠間近で栄養を蓄えた熊の肝は私も好物の一つなんですよ」

『ひんっ、ひんっ』


 ニコニコと楽しそうに語っているが、オラクルは可哀想なくらいに表情をぐるぐる変えている。


「トーカの言葉って妙に真実味があるんですよね」

「流石に真冬の熊の肝を食べたりしないでしょ。しかもあれ、生だよ?」


 オーディエンスも困惑気味だ。


「生なのも理由があって、加熱すると壊れてしまうビタミンなんかもこちらの方が効率的に吸収できるんですよ。ま、そもそも山籠りの修行の時は火が熾せないんですけど。ちなみに生のドングリはエグいので食べられないですよ」

『ひぃ……ひぃ……』


 やっぱり、トーカの言葉には妙な説得力というか実体験に裏打ちされた生々しさを感じる。彼女自身はどこかの道場の娘らしいが、そもそもまだ10代の少女だしな。まさか本当に真冬の森にこもってサバイバル生活を送っているわけではあるまい。

 闘技場の客席に集まった観衆たちもざわつかせながら、トーカが色々と語る。その間に、オラクルもなんとかどら焼き“熊殺し”を食べ切った。――食べ切ってしまった。


『――ご、ごちそ、ごちそうさまでした』


 こんなに嫌そうなご馳走様は初めて聞くな。


『それでは、始めましょうか……』


 しゃらん、と錫杖が音を奏でる。楽しげに話していたトーカも口をつぐみ、背中の刀――大太刀“妖冥華”に手を伸ばす。


『ふっ、ふふふっ。良いでしょう。あなたの思い、よく伝わりました。――最初から全力で行きます』


 黒雲が上空に覆い被さる。突然、バケツをひっくり返したかのような驟雨が降ってきた。痛いほどの雨粒に会場が騒然となるなか、更に雷鳴までもが次々と重なるようにして轟く。


「やはり熊は精力増強に良いようですね! ぜひ、お手合わせ願いましょう!」


 トーカが深い笑みを浮かべる。

 オラクルは生血で濡れた口元を手で拭い、ブルブルと震えた。


「おいおい……」

「あれ、下手したらアストラさんと戦った時よりも強くなってませんか?」


 最前列でカメラを構えていた鑑定班の面々が次々と悲鳴をあげて倒れていく。測定不能なほどオラクルの力が高まっているのだ。

 これはなかなか、当たりを引いたかもしれない。

 オラクルの強さは調査開拓員の技量によって大きく変化する。そのため極端な話をすれば、アストラが戦おうと初心者が戦おうと、難易度はあまり変わらないらしい。ただ、そこに神饌が加わることでまた話が変わってくる。オラクルによる神饌の評価値に応じて、強さが減少するのだ。

 通常挑めば完膚無きまでに叩きのめされるところを、饅頭でも渡せば半殺し程度に抑えてくれる。

 そしてトーカが捧げた“熊殺し”は――。


『はぁあっ!』


 カカカカカカカカッ!

 極太の稲妻が連撃となって降る。同時に二十以上の雷球が放たれ、更に円盤型の雷刃が間断なく投げられた。

 トーカの捧げた“熊殺し”は、どうやらオラクルの本気を引き出すことができるようだった。


「はははっ! これは素晴らしい!」


 目を布で隠し、感覚を研ぎ澄ませるトーカ。彼女は地獄のような舞台で高らかに笑い、走り出した。


━━━━━

Tips

◇どら焼き“熊殺し”

 生地で具を挟んでいることから、ギリギリどうにかどら焼きと判別された、謎の物体。まだ動いている熊の心臓、血の滴る熊の肉、熊の舌、熊の手などを生のまま挟み込んでいる。

 原料となっているのは〈雪熊の霊峰〉に生息する“黒樽腹のインソムニア”。


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