第1355話「塔の頂上まで」

 アストラがオラクルに勝利したのは、13戦目のこと。武器を木刀に変え、装備を耐電性能の高いものへと更新し、戦略を練り直し、闘技場が13回目の再建を遂げた後のことだった。


『くっ、認めざるを得ませんか……。しかたありません、このふわくまマドレーヌスペシャルに免じて、あなたを神と謁見する資格ありと認めます』

「ふぅ、ふぅ……。なかなか手強かったですが、なんとか勝てましたね」


 悔しげな顔をするオラクルに、アストラは微笑を浮かべて刀を納める。彼の勝利に客席の野次馬たちが拍手を送り、会場は一時喝采に包まれた。


「まさかアストラさんが13回も挑むことになるとは……。オラクルさんってかなり強いんですか?」


 史上最強の騎士団長が思わぬ苦戦を強いられたことに、レティたちは驚きを隠せない。実際、2回戦目の時点でアストラはオラクルのHPを九割以上減らし、あと一歩のところまで迫っていたのだ。


「相性なんかもあるんだろうな。アストラはどちらかと言うと強撃タイプだから、機敏に動き回るオラクルは比較的苦手だろ」

「そうは言っても、団長ってスカイフィッシュの群れを一人で速攻撃破してたよね」


 〈鳴竜の断崖〉に生息するスカイフィッシュは三次元的な空間を機敏に動き回ることで、特に大技を駆使する重戦士系統の調査開拓員から蛇蝎の如く嫌われている。アストラはそれを的確な剣捌きで見事に殲滅してみせたのだが、結局のところそれよりもオラクルの方が素早かったということだ。


「ともあれ、これで戦法が確立された。あとは騎士団が分析結果を報告書にまとめて公表すれば、他のプレイヤーも勝てるようになるだろ」


 今のところ、オラクルに勝った調査開拓員は少ない。とはいえ〈七人の賢者セブンスセージ〉は全員揃って一発クリアしているし、ケット・Cも数人の〈黒長靴猫BBC〉メンバーと共に攻略を達成している。

 更に言えば、そもそも〈大鷲の騎士団〉最速クリアを果たしたのはアストラではなく、副団長のアイだったりするのだ。


『ふぃー、疲れました。今日はもう締め切りですね』


 レティたちと話していると、一仕事終えてさっぱりした様子のオラクルが控え室に戻ってくる。このボス、なんだかんだ言って随分と調査開拓団にも馴染んでしまっているのだ。戦場に出れば一切容赦しない鬼のような強さを見せる彼女だが、逆に戦闘以外では親しみやすいエルフの女性として人気が高い。


『むっふっふ。アストラさんは負かせば負かすほど次に出てくる神饌がグレードアップしますからね。負けてしまったのは残念ですが、ふわくまマドレーヌスペシャルまで持っていけたのは僥倖ですよ』


 オラクルはそう言って、胸に抱えていた紙袋を慎重に開く。中に入っていたのは熊の形をかたどったマドレーヌ。それも豪華にトッピングが追加された一日50個限定販売のレアものだった。


「お疲れさん、オラクル」

『うわっ、レッジ! ふわくまマドレーヌスペシャルはあげませんよ!』

「別に狙ってないだろ……」


 声をかけてようやくこちらの存在に気がついたオラクルは、マドレーヌを抱えてガルガルと威嚇してくる。今まで一度も取ったことはないというのに……。


『お疲れ様でした、オラクルさん。そのマドレーヌスペシャルはとても美味しいですよ』


 そこへ優越感たっぷりに現れたのはウェイドである。レア物のふわくまマドレーヌスペシャルを、自分はもう経験済みだと言外に伝え、いらぬ対立を煽る。


『ありがとうございます、ウェイドさん。――ちなみに〈ル・フール・ド・ルール〉は季節ごとに生地の配合も少しずつ変えているとガイドブックに記されていました。こちら、実は天空街の気温や湿度に合わせて調整されたスペシャルエディションなんですよね』

『ぐぬぬっ』


 煽った上に煽り返されている。調査開拓員の上に立つ者が何をしてるんだ……。


「ほら、ウェイド。一つ食べるか?」

『それはふわくまマドレーヌスペシャル〜天空街エディション〜!? どうしてあなたがそれを!?』

『なぁっ!? わ、私が管理者権限をチラつかせても買えなかったのに、どうして!』


 本当に何をやってるんだ、管理者。

 調査開拓団の行末に一抹の不安を抱きながら、俺はインベントリから取り出したマドレーヌを一つウェイドに渡す。

 なんで俺が持っているのかと問われても、答えられるのは一言だけ。


「まあ、俺も毎回アストラから貰ってるからな。オラクルと同じもの」

『くっ、ずるいですよ! 神饌は私だけに渡すべきです!』

「そんな決まりは別にないだろう」

『でかしましたレッジ! むふふっ、なるほどこれは確かに、普通のスペシャルとは少し違うようですね……』


 形成逆転とばかりにウェイドが愉悦の笑みを浮かべる。オラクルは悔しげに拳を握りしめていた。

 そんな管理者と神託の巫女のやり取りを、レティたちが微妙な表情で眺めていた。


「ところでウェイド」

『ふぁんふぁふふぁ?』

「いや、ゆっくり食べてくれていいんだが……。そろそろ第六階層への進入も考える頃かと思ってな」


 〈エウルブギュギュアの献花台〉の最上階にあたる第六階層。エウルブ=ギュギュア本人が、そこで待っていると言っていた。

 アストラたちがオラクルに認められ、今後は他のプレイヤーもそれに続くだろう。となれば、そろそろ本腰を入れて用意を進めなければならない。


『各生産者に向けては、すでに任務を発令しています。第四階層にあるサトウキビプラントも全力稼動でリソース生産を行なっていますし、すでに準備は進んでいますよ』

「お、そうなのか。とはいえ、第六階層がどうなってるのかはまだ分からないんだろう?」

『先遣隊と称して勇気ある調査開拓員が何名か泉に飛び込んで行きましたが、特に何の成果も得られないまま機体損傷でバックアップ蘇生を受けていますからね』


 そう語るウェイドの表情は曇っている。リソースの供給こそ問題なく行えているが、道の先が全くの未知なのだ。


「未知の、道か」

『は?』

「何でもない」


 軽く頭を振って、意識を切り替える。


「じゃあ、俺たちが行ってみてもいいか?」

『気を付けてくださいよ。今の所、情報すら得られていないということは――』


 ウェイドの言葉の続きを代弁する。


「先遣隊は泉に入った直後に即死したってことだろ。まあ、なんとかなるさ」


 そう言って、俺は心配そうな顔をしてくれる管理者の頭を軽く撫でた。


━━━━━

Tips

◇ふわくまマドレーヌスペシャル〜天空街エディション〜

 洋菓子店〈ル・フール・ド・ルール〉の看板商品ふわくまマドレーヌを更に贅沢にした特別なスペシャルバージョンを、更に天空街の気候、気温、環境に合わせて最適に調整した極上の一品。天空街で食べることを前提に考えて緻密に計算された材料の配合率と、製造工程から繰り出される至高の体験は、まさに熊に殴られたような衝撃。

 1日25個、天空街内で不定期に開かれる露店で販売される。


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