第1353話「巫女の声」

 塔の管理者であるエウルブギュギュアとの邂逅を果たしたことで、オラクルとの戦い――審判の儀も有耶無耶になってしまった。儀式の目的が神との接見なのに、儀式が終わる前にそれを果たしてしまったわけだからな。


「だからまあ、その、機嫌直してくれよ」

『はー? 意味分かりませんけど。全然怒ってなんかいないんですけど?』

「いや、どう考えても怒ってるじゃないか」


 そんなわけで、俺は目下のところオラクルさんのご機嫌取りに勤しんでいた。彼女がその人生を賭した使命と考えていた儀式をすっ飛ばしてしまったのだ。彼女の怒りもよく分かる。しかし、こうでもしなければ、彼女も無事では済まなかったはずだ。彼女自身がそれを覚悟していても、俺はそれは嫌だった。


「それよりレッジ、あの暴れ回ってるツタはどうするの?」


 くいくいとラクトが裾を引っ張る。彼女が指差したのは天空街の街中で元気に暴れ回っている原始原生生物、瞋怒する暴虐の大蔦だ。オラクルとの戦闘が終わった後も、あれは衝動のままに破壊活動を継続している。


「種瓶用に弱毒化したやつだからな。そのうち栄養が切れて枯死するはずだ」

「またウェイドさんに怒られそうなものを作りましたねぇ」


 レティまで呆れた様子で、蔦の化け物が暴れている姿を眺めている。敵味方無差別に暴虐の限りを尽くす厄介な原始原生生物だが、裏を返せば距離さえ取っていればことさらにこちらを狙ってくるわけでもない。止めに行く必要もなく、遠巻きに眺めているのだ。


「まあ、ウェイドたちはここまで来れないからな。とりあえずゆっくりしてようか」


 鬼の居ぬ間に、というわけでもないが。レアティーズも疲労を見せているし、テントを建てて落ち着く場所を提供する。コーヒーやら紅茶やらを入れて、ついでに物産展で買い込んだお土産品もテーブルに並べる。


『……』

「な、なんだ?」


 御茶菓子の用意をしていると熱い視線を背中に感じた。振り返ると、オラクルがぷいっとそっぽを向く。再び作業に戻ると、また視線を受ける。振り返ると、そっぽを向く。


「あー、うん。誰かこのお菓子の味見をしてくれると嬉しいんだが……」

「むっ、仕方ありませんねぇそれじゃあレティゔゃっ!?」

「空気読みなよ、レティ!」


 我ながら大根役者っぷりを発揮すると、レティがぴょんと飛び出して、即座にラクトに引き摺り下ろされる。代わりに反応したのはオラクルだ。チラチラとこちらを見て、俺の手元にあるのが〈キヨウ〉名物のカステラだと分かるとあからさまに目の色を変える。


『こ、こほんっ。仕方ありませんね。あなたがどうしてもと言うのなら、私が審判を下してもいいですよ』

「そんな大仰なもんでもないんだが……。まあ、一切れ食べてみてくれよ」

『むふっ』


 黄金色にふんわりと焼き上がったカステラを一切れ渡す。色白なエルフはそわそわと浮き足立ってそれを受け取り、早速指先で摘んだ。


『はむっ。おほっ、美味しいじゃないですか。もう一切れ頂けると、より正確な審判を下せると思いますが?』

「よろしく頼むよ」


 ついでに濃いめに淹れたお茶も審判してもらおう。レアティーズたちも呼び、ささやかな茶会を開く。先ほどまで激闘を繰り広げていたとは思えないほどの、穏やかで平和な時間だ。


『あ、あのー』


 全員に御茶菓子が行き渡ったところで、おもむろにレアティーズが手を上げる。彼女の視線の向く先にいるのは、三切れ目のカステラに手を伸ばすオラクルだった。


『な、なんですか? このカステラは私のものですよ』

『いや、それは別にいいんだけど……。オラクルって、神託の巫女、だよね?』


 おずおずと確かめるレアティーズ。彼女の口から飛び出した言葉に、オラクルは一瞬動きを止める。


『ええ。私は神託の巫女。神の声を民に伝える役割を持つ者です』


 その存在は俺たちも多少聞いたことがあった。古代エルフ語と呼ばれる調査開拓団の言語に酷似した独自の言語を理解し、その内容をエルフたちに伝える特別な存在。それが神託の巫女。

 エルフと神を繋ぐ架け橋であり、その狭間に立つ仲介役。レアティーズたち普通のエルフとは一線を画する特別な存在らしい。


「普通のエルフよりも偉いのか?」

『偉いに決まっています。そもそも、神託の巫女とはそう簡単になれるものではないのです。魂の浄化を伴う過酷な修行と祈りの日々を最低でも200年は続けなければならないのですよ』


 カステラを片手に、オラクルは誇らしげに胸を張る。聖職者の最上位に位置する存在とか、そう言う感じだろうか。


『そもそもこのブチアゲヘヴンは神託の巫女となるべく修行に身を投じたエルフたちの住む場所だったのですよ』

「へぇ。だから地上街とは隔絶されてるんだな」


 ブチアゲヘヴン、現代語訳すると天空街である。

 空に地上街を見上げながらも、決してそこに行くことはできない。そんな環境で、彼女たちは修行の日々を送り、そして神託の巫女となる。


『ま、私ほどの実力者ともなれば、地上街へ向かうこともできますが』

「そういえばそうだ。どうして俺だけこっちに連れて来たんだ?」


 俺が地上街から天空街に落ちて来たのは、オラクルの仕業だろう。なぜあれだけ大勢いた調査開拓員の中から俺だけが選ばれたのか、その理由は分かっていない。

 しかし疑問を呈する俺に対して、オラクルは何やらこめかみを痙攣させている。


『本当に分からないと? あれだけ世界をぶち壊しておいて?』

「いや、それは……」

「こればっかりはレッジが悪いね」


 どうやら、俺は少々暴れすぎたせいで呼び出しを喰らったということらしい。


『塔の壁をぶち抜いたのも忘れてませんからね』

「あれ、オラクルは外の世界のことも知ってるんだな」

『当然でしょう。以前はちょくちょく外に出て、竜闘祭に参加したりしていましたから』


 そういえば、竜闘祭ではエウルブ=ロボロスに踊りを奉じるエルフがいた。そういうものは天空街で修行を積んだ巫女エルフが行っていたらしい。


『巫女の資格を持つことを許されたエルフは、その褒章として神の権能をいくつか与えられます。雷を操る力や空間を曲げる力は、その一例です』


 それを用いて塔の外に出ることができるエルフは、外界を知り、そこにいる他の種族とも交流を深めることができたというわけか。


「それじゃあ、俺たちを地上街に帰すことも?」

『ちょちょいのちょいに決まってるじゃないですか。それに――』


 カステラを飲み込み、緑茶を飲み干し、オラクルはびしりと指をこちらに向ける。


『審判の儀が有耶無耶になったのは、あくまであなた達だけ。他の方々には関係ありません。あの群集のどこに愚か者が紛れているとも分からないのです。第六階層に向かうなら、私を倒してからにしなさい』

「うぐ、そう都合よくはいかないか……」


 俺たちが審判の儀を乱したことで、後続もなんやかんやで通れるようになるかと期待していたが、そうは問屋が卸さない。オラクルは依然として審判の儀を継続するつもりだった。


『……と、とはいえあなた方の実力もある程度認めています。私に代価を捧げるというのなら、まあ、多少は……どちらかが死ぬまで戦う必要もないかもしれません』

「代価?」

「カステラと人形焼き、どっちがいい?」

『ど、どっちでも構いませんが?』


 なるほど、そういうことか。

 つまりお土産を持ってくれば、死闘とまでは言わずとも激闘くらいの難易度で済ませてくれるらしい。いいのか、巫女がそんなんで。

 まあ彼女が傷つくよりはよほど良いか。


『しかし、わざわざ相手を選んでこちらに落とすのも面倒ですからね。……この辺にポータルでも繋げましょうか』


 オラクルはおもむろに立ち上がると、近くの廃墟の壁に向かって手を伸ばす。何やら不思議な力が振りまかれ、壁に丸く穴が開く。


「こうも簡単にワームホールを作られるとびっくりするな」

『これが神託の巫女の力ですよ』


 ふんす、と胸を張る巫女。

 その時、早速壁に開いたポータルから人が飛び出してきた。


『やっぱりここに繋がりましたか。――レッジ、また随分なものを隠し持っていましたね!』

「げぇっ!? ウェイド!?」


 現れたのは鬼面を浮かべた銀髪の少女。得体も知れないポータルに突っ込んできた彼女は、俺を見つけると一目散に駆け寄ってくる。俺は慌てて椅子から立ち上がり、逃走を開始した。


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Tips

◇福々堂たまごかすてら

 シード03-スサノオにある和菓子処〈福々堂〉の定番商品。ふんわりとしたたまごたっぷりのカステラは上品な甘さでしあわせの味。

 濃いめの緑茶と一緒にどうぞ。


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