第1342話「天上の聖女」

 俺たちの目の前に現れたのは、宗教的な意匠の施された白い外套を身に纏うエルフの女性だった。オフィーリアよりも更に白く、儚げな雰囲気を醸すエルフで、どこか現実味がない。

 彼女はこちらを見て口元に小さく微笑みを浮かべていた。


「神様、か。それにしては随分な歓迎じゃないか」


 いまだに全回復には至っていないLPを確認しつつ身構える。俺をこの町に落としたのは、十中八九彼女で間違いないだろう。下手をすれば、いやほぼ確実に死ぬようなやり方で。しかもピラーが展開し、狙撃までしてきたのだ。

 レアティーズの方を窺うと、彼女も俺の腕を掴んだまま強張った顔だ。知り合いなのだろうか。どちらにせよ、友好的な関係ではないような気がする。

 白いエルフは俺の皮肉に対して不思議そうに首を傾げる。薄桃色の唇に指先で触れ、ともすればあざといと言われそうな所作も様になっていた。


『どうしてですか? 神様なら、あの程度で死ぬはずがないですよね』


 再び、神様と彼女は言った。オフィーリアやレアティーズも、調査開拓団員のことを神様だと言っていた。俺たちの扱う言語は、神々と言葉を交わす際に使われたものだというのがその根拠である。

 おそらくは第零期先行調査開拓団員のことなのだろう。どちらにせよ、俺たちは――。


『もし死ぬのなら、神様ではないだけ。神の名を騙る愚か者が消えるのであれば、それはまた素晴らしいことでしょう』


 ――俺たちは神じゃない。そう言いかけた口を慌てて塞ぐ。

 白いエルフの瞳には妖しい色が浮かんでいた。まるで強いアルコールに酔いしれるかのような、焦点の定まらない危うげな目だ。俺の直感が警鐘を鳴らしている。


『ねえ、貴方は神様なのですか?』

「それは……」


 エルフの追及にたじろぐ。イエスと答えると、こちらとしては嘘になる。しかし、ノーと答えられるような雰囲気ではない。


『そ、それよりアンタは誰なの? あーしも知らない顔なんだけど!』


 その時、レアティーズが助け舟を出してくれる。エルフは皆、長い時を生きる。生まれもせず、死にもせず。ゆえにレアティーズは地上街に住んでいたエルフ全てと顔馴染みだった。だからこそ目の前に立つエルフの異質さを理解する。

 びしりと指先を突き付けるレアティーズに、白いエルフは華やかに笑う。


『あらあら、そういうあなたも随分と姿が変わっていますね。レアティーズ』

『っ!』


 向こうは名前を知っているらしい。いや、俺たちの会話から推察したという線もある。

 問題なのは、彼女が敵なのか味方なのか。それを確かめる術がないということだ。


「あー、俺たちは第六階層……ここからだと地中になるのか? そこに向かいたいんだ。何か、道を知ってるか?」


 俺たち調査開拓団の最終目標は〈エウルブギュギュアの献花台〉の第六階層に存在するという管理者に到達することだ。その目的に協力してくれるのならば、彼女も仲間ということになる。しかし、行く手を阻むというならば敵だ。

 できれば、これだけ話が通じる相手に武器を向けたくはない。しかし、仕方がないということもある。槍を握り締め、返答を待つ。


『私は、天空の監視者にして神託を受ける者。名前はあったり、なかったり。ひとまずはオラクルとでもお呼びください』


 白いエルフ――オラクルはそう言って両腕を広げる。歓迎の意を示してくれているのか、と少し安堵しかけた直後。彼女の指先でパチリと紫電が弾けた。


『我が神命は巡礼者の力量を見定めること。それはたとえ、扉を叩く者が神であろうと変わりません』


 バチバチと音を発し、雷が周囲に広がる。俺は急いでレアティーズを下がらせ、前に出る。オラクルの手には細長い金の錫杖が握られていた。


『今は神を僭称する者よ、これより先に進みたければ、我が認めを得るために戦いたまえ。――それが、私から言うべきただ一つの言葉です』


 稲妻が大気を切り裂き雷鳴を轟かせる。いつしか空には黒雲が立ちこめ、地上街も覆い隠して見えなくなってしまった。


「レアティーズ、あのエルフのことは何も知らないのか?」

『ううん、どうだったかな……』


 オラクルは不敵な笑みを浮かべながらもこちらを見つめて動かない。先手は譲るということか。

 これ幸いと俺はレアティーズに知恵を求める。


『そもそも、この天空街ブチアゲヘヴンはあーしらもあんまり知らなくて。確かに巡礼とか、神託とかは聞いたことあるけど。こんなエルフがいるのは初めて知った感じだし』

「なるほど……」


 オラクルは雷を纏い、臨戦態勢だ。俺が動けば即座に応じるだろう。

 全くもって状況は理解できない。なぜ俺だけがここに呼ばれたのか。彼女は何者なのか。俺に何を求めているのか。彼女を打ち倒すとどうなるのか。神託とは、女神とは、巡礼とは。分からないことだらけだ。

 だというのに、それを考えている暇さえないとは。


『さあ、どうぞ私を打ち倒してください。あなたが本当の神ならば、容易いことでしょう。――そうでなければ、死んでください』


 しゃりん、と錫杖の金音が響く。それに呼応するように雷鳴が増す。それが臨界に達したと同時に、俺は勢いよく走り出した。


━━━━━

Tips

◇ブチアゲヘヴン

 古代エルフ語における“天空街”の名称。その完全な意味の解明は難しいが、一説によると“崇高なる天の楽園”という意味となる。その詳細については多くが謎に包まれたままであり、今後の解析が期待される。


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