第1338話「頭の上の大騒ぎ」
『〜〜〜♪』
賑わう大物産展の会場内を、フードを目深に被った女が歩いていた。ゆったりとしたシルエットを隠すような白い服を着ているせいで、実際の性別も定かではない。ただ人々の間をすり抜ける所作の端々に気品のようなものが滲んでいる。
大物産展は大盛況だ。調査開拓員に限っても多種多様な姿が見える。それは機体のモデルだけでなく、装備や追加パーツなども同様だ。中にはキメラのような風貌のものまで。
更にドワーフやグレムリン、コボルド、人魚といった他種族も加わり、さながら人種の坩堝のような喧騒だ。
タイプ-フェアリーなら埋もれてにっちもさっちもいかなくなりそうな人混みの中を、その女は軽やかな足どりで進む。不思議なことに、肩のぶつかった人々でさえ、彼女の存在をほとんど気にも留めない。まるでそよ風が吹き抜けたかのような反応で、また別のところに意識を向けてしまうのだ。
「やあやあ、そこのお姉さん!」
『あら?』
しかし、存在感の希薄な彼女を、ある調査開拓員が呼び止める。ブースに管理者を模った人形焼きの店を出している商人のようで、手当たり次第に道ゆく人々へ声をかけているようだった。
女が少し不思議そうにしながら振り向くと、商人はおやという顔をする。
「随分美人さんだね。キャラメイクも大変だったろ」
『きゃらめいく……。ええ、そうですわね』
FPOのキャラクターメイク機能は初期段階でもかなりの自由度を誇る。適当に作ってもそれなりに見られるものになるが、拘ろうと思えば何時間でも拘ることができる。更に〈化粧〉スキルを習得すれば、よりメイクの幅は広がり、多くのファッショニスタたちが沼に沈んでいった。
フードの下から覗く女の顔は目元こそ隠れていたが、それでも鮮烈な美しさを放っていた。ドワーフもコボルドも、グレムリンも人魚も、ここまで
女の適当な相槌にも気付かず、商人は焼けたばかりの人形焼きを目で示す。
「どうだい? 一つ買っていかないか?」
『買う……。購入? これは、売り物なんですか?』
「そりゃそうさ。ああ、いや、そういうことか。お姉さんもなかなかやり手だねぇ」
きょとんと小首をかしげる女の言葉に、商人は先回りして何かを察する。そして、さっさと鉄板の上に並んでいた人形焼きをいくつか袋に詰めて差し出した。
「せっかくの大物産展だからね。こいつは試食だ。ぜひ食べてってくれ」
『まあ、頂けるんですね。ありがとうございます!』
「いいってことよ。お姉さんのキャラメイク愛に免じてってコトで」
『嬉しいです♪』
小さな袋を受け取って、女は嬉しそうに唇を曲げる。
「紙袋が見えるようにして歩いてくれると嬉しいかな。宣伝になるだろ」
ほのかに熱を伝える紙袋には、店のものらしきロゴが描かれている。女は幾度か頷くと、それがよく見えるように大きく迫り出した胸の上に載せた。
「おお……」
『ありがとうございます♪』
呆気に取られる店主に微笑みを向けて、女は再び歩き出す。その姿はあっという間に人混みの中へと紛れてしまい、すぐさま見失ってしまう。あまりにも突然に煙のように消えてしまい、商人は驚く。
彼が目を凝らしても、女の後ろ姿は見つからなかった。
『ところで、これはどう使うものなのでしょう』
人形焼きの入った紙袋を抱えたまま、女は気ままに会場の中を歩く。時折周囲を見渡しては、嬉しそうに笑う。軽やかな足取りは賑やかな町の変化を喜んでいるようだった。
彼女は紙袋の口を開き、中にある人形焼きを一つつまみ取った。スサノオの姿がかたどられたもので、ほのかにチョコレートの甘い香りがしている。女は鼻先にそれを近づけて、すんすんと香りを感じる。
『香木のようなものでしょうか。それにしては柔らかくてふわふわですが』
ふにふにとカステラ生地を指先で押す。その時、力が余って、スサノオの脳天が割れ、チョコレートが飛び出した。
『あらあらあら? これは、壊してしまったのかしら』
とろりと溶けたチョコレートクリームが流れ、女の白魚のような指先を汚す。
「おいおい姉ちゃん。人形焼きは焼きたてで食べた方が美味いぜ」
『あら?』
その時、通りすがりの調査開拓員が女に声を掛けた。タイプ-ゴーレムの巨漢で、肩に巨大なトゲの生えたパッドを付け、頭を金髪モヒカンにしたサングラス姿の世紀末ファッションである。
突然のことに驚きつつも、女はそんな調査開拓員の姿を見ても怖がる様子はなかった。
『食べる。摂食。捕食……。これは、食べるためのものなのですか?』
「うん? 当たり前だろ。管理者人形焼きは焼きたてを食べるのが一番美味えからな!」
『なるほど。これは食べ物、なのですね』
うんうん、と頷く女。そんな様子に、今更ながらパンクファッションの男は違和感を覚える。無知や記憶喪失のロールプレイでもしているのだろうか。あながちないとも言い切れないのが、FPOというゲームの層の厚さだが。
「姉ちゃん、あんたよく見たらヒューマノイドっぽくもねぇな。いったい――」
鋭い直感を光らせた男が顔を上げる。しかし、その目の前には誰もいなかった。
「なっ!? あれ?」
先ほどまでそこにいたはずの女が忽然と消えている。周囲はそんなことすら知らないようで、賑やかに騒いでいる。
取り残された男はひとり、狐につままれたような顔をして呆然と立ち尽くすのだった。
『なるほど。これは、熱い? 甘い? ふわふわです』
女は人形焼きをぱくりと口にして、その味を確かめるように頭を揺らす。
彼女の周囲は殺風景なものだった。朽ち果てた廃墟がずらりと並び、人どころか生命の気配すら感じられない。異様な雰囲気が満ちている。
女は人形焼きを食べながら、軽やかな足取りであてもなく歩く。
『もうすぐ、もうすぐ♪ どのようにしてお迎えいたしましょう。どうすれば、皆さんは喜んでくれるでしょうか』
彼女が空を見上げる。青空があるべきそこには、逆さまの町が広がっている。その町の中心では、今も賑やかな喧騒が繰り広げられていた。
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