第1319話「差し伸べる手」
暗闇の中に閉じ籠り、胸を突き破りそうな衝動をぎゅっと堪えて押さえつける。
死ぬことも許されず、永遠に続く苦痛に曝されていた。思い出そうとするだけで暴れて周囲の全てを破壊したくなるほどの深い傷は、一生癒えることはないだろう。
だからこそ、彼がやって来た時、とても嬉しかった。
自分の衝動の全てを受け止めてくれる存在。ありのままの衝動を受け入れてくれる存在。彼の熱い言葉は本物だった。真実だった。だからこそ、私も――。
『うぅ』
嗚咽が漏れる。絶望がさらに深まる。
だからせめて、周囲を失望させないために私は固く封じた殻の中に閉じ籠らなければ。そうしなければ、また誰かを傷付けてしまうから。
でも――。それでも、やっぱり忘れられない。彼の笑顔が瞼の裏に焼き付いている。この感情をなんと言えばいいのだろう。長い長い、永遠よりも長い人生のなかで初めて感じるこの熱い思いの名前はなんと言うのだろう。
知ることは叶わない。知ることは許されない。何故なら私は、もう一生ここから出ることができないのだから。
『ぐすっ』
とめどなく涙が溢れるならば、いっそこのまま干からびてしまいたい。絶望を感じながら、憎しみを感じながら。それでも、自分は気高きエルフの末裔として死にたいのだ。それこそが、私の身に宿る多くの同胞たちの願いでもあるのだから。
展開したのは、渾身の力を込めた封印術式。その名も、完全完璧究極無欠封印隔絶術式『ガチマジヤバウォール』。これはかの有名なエルフの女王であっても破ることはできない、究極の封印だ。これさえあれば、たとえ私が自我を失い理性を捨てた獣と成り果てても、ここから出ることはできない。自分でも破壊できない檻を作り上げた。
だから私は、ここで一人、静かに、苦しみながら死ぬ。
――ごんっ。
……一人で、静かに……。
――ごごんっ!
あれ?
――ごぁんっ! めきっ。
『めきっ?』
おかしい。何かこう、結界からしてはいけない音が。
――ばき、ぼきっ。
『ちょっ!? はぁ!?』
黒い壁に亀裂が走っている。いや、おかしい。どうして!? この『ガチマジヤバウォール』は誰にも破れない史上最強の結界なのに! は!? なんか外から光が差し込んでるんですケド!? どうなってんノ!?
――どがぁんっ!!!!!
「こーんにーちはー。やっと開きましたねぇ」
『ひぃっ!?』
史上最強の結界が、あっという間に破られた。ぽっかりと空いた穴からぴょっこりと飛び込んできたのは赤くて長い耳。更にパラパラと欠片が溢れて穴が広がると、禍々しい球体を取り付けたハンマーが出てくる。
思わず後ろに下がって、結界に背中を貼り付ける。
「まさか、綺羅星でも一撃ではいかないとは。なかなか硬かったじゃないですか」
そんな恐ろしいことを言いながら現れたのは、どこかで見た赤髪の女の子。彼の側に立っていた、ハンマー使いの神様だった。
━━━━━
「レッジさん、開きましたよ」
「おお、お疲れ。流石だなぁ」
「むっふふん。我が綺羅星に破壊できないものはありませんからね!」
瓦礫の塔の周囲に足場が組まれ、そこに立ったレティが胸を張る。彼女の手には、ガチガチに封印が施された超高質量、超高密度の岩石型惑星圧縮ハンマー“綺羅星・一式”があった。
申し訳ないが、レアティーズの自己封印はレティによって手早く破壊させてもらった。もうこんなところで手をこまねいている暇はないのだ。
「それじゃ、あとはよろしくお願いしますよ」
そう言って、レティはぴょこんと飛び降りる。その衝撃で着地地点にほどほどのクレーターができたが、まあ仕方ない。
彼女と入れ替わるように黒い球体の穴の前に立ったのは、小豆色のジャージを着たオフィーリア。彼女は意を決して、穴の中に向かって声をかける。
『レアティーズ。聞こえますか』
……返事はない。レティが綺羅星で球に穴を開けた時には悲鳴が聞こえていたので、声が出せないわけではないはずだ。おそらく、状況に理解が追いついていないのだろう。
それでも、エルフの王女は姉に向かって健気に声をかけ続ける。
『レアティーズ。お姉様。聞いてください』
オフィーリアは変わり果てた姿の姉に向かって、健気に言葉を続ける。
『私たちは、長く苦しい時を過ごして来ました。私も――恨みがなかったとは言いません。でも、もう苦しみは終わったのです。神様方が、私たちを救ってくれたのです。もう、悲しむことはないのです』
『分かってる! でも……でも、あーしは自分が抑えられなイ。だからこうして、迷惑かけないように――』
球の中から帰って来たのは悲痛な叫びだった。自分が相手を傷つけることを何より恐れる、優しい少女の訴えだ。だが、だからこそ、納得がいかない。
「それじゃダメだろ」
『っ!』
思わず足場を駆け上がり、穴に体を捩じ込む。
暗くて狭い球の中で身を縮めていた少女の瞳をじっと見つめる。怯えたように濡れるその瞳を。
「迷惑なんて、いくらでもかけていい。俺はレアティーズの親でもなんでもない。でも、だからこそ君を受け止められる。そうじゃないか?」
『お姉様、一人で全てを抱え込まないでください。私にとっては、たった一人の家族なのです。大切な家族を、こんな形で失いたくない』
『じゃあどうしたらいいの!』
レアティーズが叫ぶ。
『――私を、愛してください』
オフィーリアが答える。
簡単なことだ。愛し、愛され、愛が満ちる。T-3が説いた愛の原理。それだけが、彼女たちの心の傷を癒すことができる唯一の方法なのだ。
『オフィーリア』
レアティーズがよろよろと立ち上がる。何かを堪えたまま、ぎこちない動きで穴の間際まで近づいてくる。
彼女の手を、オフィーリアが取った。
『レアティーズ。貴女が私を愛すように、私も貴女を愛します』
二人が互いに腕を回し、熱く抱擁する。
俺はそっと離れ、二人が再会を喜び合うのを遠くで見守ることにした。
『……ありがとう、オフィーリア』
しばらく感傷に浸った後、レアティーズがゆっくりと口を開く。愛し、愛されたからか、彼女の表情は憑き物が取れたかのようにすっきりとしていた。だが、次の瞬間。
『てか、なんでそんな変な口調なの? あーしら、もっとグイグイいっていいっショ?』
『なぁっ! ちょ、姉様!』
『なに? 昔はもっとバリバリだったじゃん』
『それは――。神様の前ですよ!』
何やら小声でこそこそと話し合う二人。内容はよく聞こえないが、オフィーリアがずいぶんと焦っているように見える。塔の周囲に集まった調査開拓員たちも、二人の異変に気が付いたようでざわつき始める。
『せっかく再会できたんだし、もっと喜んでこーよ! ほら、イェーイ!』
『お、お、――お姉ちゃん!』
吹っ切れたのか、今までと打って変わってテンションを上げるレアティーズ。オフィーリアは彼女について行けないのか、しどろもどろだ。
『お姉ちゃんのこと愛してくれるんでショ? だったらさー』
『うぅぅぅ。わ、私はそんな古臭いエルフの風習にはとらわれません!』
『はー!? 古き良きエルフの伝統なんですケド!? なに言っちゃってんの?』
ぷいっと顔を背ける妹にレアティーズがぷっくりと頬を膨らせる。いつの間にか彼女は穴から飛び出し、外に姿を現していた。
光の降り注ぐ明るい世界で、仲良く走り回るエルフの姉妹。その姿はむつまじく、集まった調査開拓員たちも、そんな彼女たちの様子を微笑ましく見守っている。
「黒ギャルダークエルフと、元ギャルエルフ……。推せる!」
「これは癖ですよ。癖!」
「ていうか昔のエルフみんなギャル語だったの?」
「それはそれで見てみたいんだが」
口々に好き放題言う調査開拓員。
俺はそんな様子を眺めて、思わず肩をすくめた。
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Tips
◇完全完璧究極無欠封印隔絶術式『ガチマジヤバウォール』
かつて古代エルフが扱っていた特殊な呪術。その名前の真意は失われて久しく、ただその封印の力のみが畏怖と驚愕の記憶と共に伝えられている。
かつてその術力で国を治めたと言われる偉大なるエルフの女王が生み出し、彼女ですら破ることができなかった。故に、古代エルフ語において“大いなる絶対的な封絶の壁”という意味の名前が与えられた。
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