第1315話「助太刀の群脚」

 NULL防波堤は一定の効果を見せた。しかしそれも完全な対抗策とはならず、わずかに時間を稼ぐだけに終わる。調査開拓員たちはNPCや他種族傭兵たちの避難を最優先として、彼らを後方陣営へと退去させた。

 威力を発揮したのは、普段趣味機術と言われている風属性アーツだった。風属性機術師たちは流体および気体の操作に卓越しており、霧を一箇所に止めることに大きな成果を見せていた。

 攻性機術でありながら攻撃能力が他の属性と比べて大きく劣る風属性機術が見直された瞬間であったが、それでも際限なく噴出する黒い霧を抑え込むことはできない。調査開拓団は徐々に広がる黒霧から追われるように、撤退を余儀なくされていた。


「もうだめだぁ、おしまいだぁ」


 最前線では調査開拓員たちの退却が進み、悲痛な声があちこちから上がる。イベント最前線ということで、彼らも出し惜しむことなく高価な武器や防具を持ってやってきた。それが霧に触れただけで破壊されるのだから、彼らの絶望も当然である。


「だが待て、これはいわゆる服を溶かす薬の基礎研究に役立つのでは?」

「まずは対象の選択性からだな。スキンまで剥げても意味がない」

「は? スキンなんて飾りなんだが?」


 一部、逞しい者もいたが。大局としては調査開拓団も霧に対する有効手段を持てずにいた。

 集団としての強みを活かすことを基本とする調査開拓団は、士気が作戦の可否に強く影響する。後方で指揮を執るアストラは、彼らに浸透する絶望に強い危機感を抱き始めていた。

 その時――。


「団長、大穴から超高速で何かが飛び出してきました! これは――」


 観測員から突然の報告。

 アストラは目付きを鋭くさせながら、続く詳報を待つ。


「――イザナギとミート。いや、マシラたちです!」


 現地のカメラが映像を届ける。指揮所の大画面に映し出されたのは、黒々とした翼を大きく広げたイザナギ。そして、彼女の足に掴まったミートの姿だった。赤い大きな花を咲かせたミートが、威勢よく声を上げる。


『パパあああああああああっ!』


 避難中の調査開拓員たちの頭上を軽やかに飛び越えたイザナギは、空中でくるりと身を翻す。宙返りをするように足を振り、その勢いでミートを投げ飛ばした。

 少女の姿をしたマシラが、一直線に霧へと飛び込む。


「ダメだミートちゃん! そこに入ったら――!」


 それを見ていた調査開拓員たちが悲鳴を上げる。

 黒い霧は全てを侵蝕する。それはマシラであっても例外ではないはずだ。しかし、ミートの表情に怯えはない。それどころか、彼女は憤懣やる方ないといった顔で、目を吊り上げる。空中で小さな拳を振りあげ、まっすぐに霧に向かって。


『――術式捕食。汚染侵蝕。いいよ、ミート』

『とりゃああああああああああっ!』


 振り下ろされる。

 その時、調査開拓員たちは目を疑った。

 ミートのパンチが、その小さな拳が、実体を捉えられないはずの黒い霧を叩き倒したのだ。


『はぁあああああああっ!』


 ぼごん、と鈍い音を立てて、霧の集合体が凹む。ミートは更に拳を突き込み、次々と打撃を繰り出す。情け容赦のない連打は、霧を貫き地面を陥没させる。常識はずれの威力に、調査開拓員たちが戦慄する。

 一部の調査開拓員は、それに気が付いた。霧の素性を解析しようとしていた者たちだ。


「あの霧、性質が……」

「そうか、汚染術式。イザナギがやったのか!」


 霧の性質が変容していた。全てを侵蝕する死の霧から、全てを汚染する泥へと。

 それは調査開拓員たちがよく知るものだ。

 汚染術式。黒龍イザナギが生み出した強力なウィルスプログラム。第零期先行調査開拓団を壊滅に至らせた猛毒であり、各地に根を張る黒神獣たちの根源。その感染力は凄まじく、調査開拓員の防御など容易く貫く。


「あの霧も何かしらの術式の一部。ということは汚染術式が塗り替えられるってことか!」

「誰がそんなん思いつくんだよ!!」


 そんなのありかよ、と悲鳴をあげる調査開拓員たち。

 第一期調査開拓団も汚染術式によって壊滅の危機に瀕した。それ以降、指揮官命令の下で厳重な封印措置が取られていたものだ。そんなものをイベントに持ち出すなど、正気の発想ではない。


「またおっさんがやりやがったのか!?」

「でもおっさんはいないだろ」

「じゃあ誰が――」


 驚愕と混乱が広がる。汚染が進み、徐々に実体を固めていく霧は、ミートや続々と現れたマシラたちによってタコ殴りにされている。

 そんななか、大穴から新たな宇宙船が進入してきた。


「やはり呪いには呪いで対抗するのが一番。これが一番スマートな解決法でしょう?」


 船首に立つのは濃紺の修道服を身に纏った美女。深いスリットから白い足を覗かせながら、彼女は悠然と構える。

 呪術師ラピスラズリ。彼女が両手を掲げると、船体から次々と黒づくめの集団が飛び出してくる。忍者のように覆面をした彼らは、瓦礫の町を駆け抜けて瞬く間に霧を取り囲んだ。

 怪しげな集団の奥から現れたのは、糸目に胡散臭い雰囲気を纏う細身の青年。


「〈百足衆〉カナヘビ隊、アカグマ隊、クロジカ隊、シロクモ隊、キバチ隊。義によって馳せ参じたり」


 彼が率いるのは、全てが謎に包まれながら名前だけが広く知れ渡る強豪バンド〈百足衆〉。彼らは一様に影のような黒衣で身を包み、腕にそれぞれの色を示す刺繍だけを施している。

 カナヘビ隊隊長ムビト。その調査能力は〈大鷲の騎士団〉の第一戦闘班すら凌ぐと言われる精鋭部隊の長。


「俺たちをこんだけ顎で使えるのは、おっさんぐらいだろうな」


 アカグマ隊隊長ケンゾウ。〈百足衆〉の戦闘特化部隊の頂点に立つ異形のタイプ-ゴーレム。改造に改造を施したその機体は、通常の20倍の重量を誇る。正しく熊の如き破壊力の体現者。


「あとで金は払ってもらいますよ。そういう契約です」


 クロジカ隊隊長セント。戦場建築の分野においては〈ダマスカス組合〉や〈プロメテウス工業〉すら上回る。戦場支配の専門職人集団を率いる。


「とりあえず、カミルたんが死んでないといいんだけど。おっさんは別にどうでもいいわ」


 シロクモ隊隊長カミラ。用兵の専門家であり、機獣と傭兵NPCの大群を指揮する指揮官。猛獣侵攻を自由意志で引き起こすことができる唯一の調査開拓員。


「――とりあえず、何を殺せばいい?」


 キバチ隊隊長ミード。〈百足衆〉の懐刀。


「な、なんだこれは……」

幻想ユメじゃねェよな」

「こんなことが、あるのかよ!」


 無数の“脚”を率いて現れた隊長たち。それぞれの逸話を噂のレベルで知っている調査開拓員たちも、彼らが一堂に会するところを目撃するのは初めてのことだった。

 大手攻略バンドに比肩するほどの力を持ちながら、決して表舞台には現れなかった隠密集団が、〈白鹿庵〉のために参集したのだ。


「――さて、仕事の時間だ」


 闇に紛れていた百足が、動き出す。


━━━━━

Tips

◇汚染術式盗難報告書

 指揮官による封印管理下に置かれ、使用不可状態を維持されていた汚染術式の封印データカートリッジが何者かによって奪取されました。管理場所のセキュリティは全て正当に解除されており、盗難が発覚したのは最大で59分後と推定されます。

 現在、指揮官T-1の命令により、奪われた術式封印データカートリッジの捜索が行われています。


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