第1313話「一つ足りない」
「そんなに心配しなくても、すぐ戻って来ますよ」
泉の縁に手をかけて、じっと水面を見ているカミルに声をかける。でも、彼女はこちらを振り返らない。泉を覆うように建てられたテントが開くのを待ち続けている。主が戻ってくるのを健気に待っている。
『心配なんてしてないわよ』
強がる声も少し元気がなくなっている。彼女の左右を守るように座るナナミとミヤコも不安そうだ。
レッジさんが泉の中に飛び込んで、もうすぐ1時間が経とうとしている。第三階層でメルさんやケット・Cさんたちが頑張ってくれていたけれど、その間ひとりで何かと戦っていた。
レティたちは、レッジさんが何と戦っていたのかさえ分からない。五感を封じられるという、どう考えても負けが確定しているような状況で、1時間も耐えていた。すさまじい、人間離れした技だ。
きっと、FPOの運営もそんな戦い方は想定していないはず。レッジさんはいつも、み
んなの予想を上回ってくる。
「カミル、レーションならあるけど、食べる?」
『いらない』
ラクトもわざわざ後方から荷物を背負って駆けつけてくれた。レッジさんが姿を消したと聞いて、居ても立ってもいられなかったんだろう。シフォンも、トーカも、エイミーも同じだ。
ラクトがリュックの中に詰め込んでいた食料も、カミルは拒否する。彼女も激しい戦いを繰り広げて疲れているはずなのに。ナナミとミヤコもさっきバッテリーを交換していた。
「エネルギー補給しとかないと、いざという時動けないわよ」
『動けるわよ』
エイミーがレーションの封を開いて差し出しても、彼女は顔を背ける。
協調性の欠落。全てにおいて優秀なカミルの、唯一にして致命的な欠点。彼女と付き合いの長いレティたちでさえ、いまだにレッジさんがいないとコミュニケーションが取れない。
気難しいとか、性格が悪いとか、そういう話じゃない。彼女は他の仲間と協力するという発想がない。
だから、ここに〈白鹿庵〉のメンバーが勢揃いしていても、ひとり孤独に待ち続けている。
「レティ、おじちゃんから連絡は?」
「ダメですね。ミュートにされました」
レッジさんと通話ができたのはわずかな時間だけ。レッジさんは五感が封じられながらギリギリの戦いを繰り広げているし、むしろ会話ができたのは幸運といっていい。それも、すぐに通話は閉じられてしまって、今は向こうの状況もまったく分からない。
シフォンが水晶玉を使ってなんとか泉の奥が見えないかと試行錯誤しているけれど、それもうまくいってない。
「ネヴァさん、そっちはどうですか?」
「流石に難しいわねぇ。ただのテントならともかく、レッジが建てたテントはセキュリティも厳しいし」
泉を覆うテントに向かっているのはカミルだけではない。駆けつけたネヴァさんが分厚い防護メガネを着けて、一生懸命工具を動かしている。レッジさんの建てたテントをこじ開けて、中に入るための道を作るためだ。
けれど、このテントを作ったネヴァさんでも、その作業は遅々として進まない。テントそのものは彼女の作品だけど、テントに搭載されたセキュリティはレッジさんが独自に開発したプログラムによるものだからだ。
「やっぱり、私が斬るしか……」
一歩踏み出すトーカを抑える。
レティもこのテントを破壊できないか試した。けれど〈破壊〉スキルを使ってもこのテントは壊せなかった。友軍への攻撃という調査開拓団規則に抵触するからだ。
「大丈夫ですよ、きっと」
レティたちにできるのは、信じることだけ。
「ほら、レッジさんって〈生存〉スキルとか持ってますし」
〈破壊〉や〈指揮〉といった上位スキルに連なる〈生存〉スキル。基本的に情報が乏しく、テクニックや能力は現在でもほとんど謎に満ちている。〈指揮〉スキルはアストラさんやアイさんが習得し、研究してくれているおかげでかなり情報も集まっている方だけど、レッジさんが取得した〈生存〉スキルはいまだに未知だ。
一応、レッジさん以外の取得者によってレベルに応じて多少のLPボーナスが得られたり、致命的な攻撃を受けた時に極低確率かつ不明な条件下で食いしばりを発動したり、という効果は知られているけれど。
「レティさん、〈生存〉スキルって……」
「こういう時こそ輝くんですよ。知らないですけど」
隣に立つLettyがちらりとこちらを見る。彼女も〈生存〉スキルがほとんど使い道がわかっていない謎スキルであることは知っている。
けれど、レティたちはそれに一縷の望みをかけるくらいしかできない。そもそもアンドロイドであるレティたちにとって生存とはどういうことなのかも、あまり分からないけれど。
「レッジさん……」
助けに向かえない以上、できるのは祈ることだけ。ただ無事であってほしい。
『――ティ』
「っ! レッジさん!」
祈りが通じた。そう思った。
レッジさんの声が、少しくぐもった声がする。
『レティ、今大丈夫か?』
「だ、大丈夫です! ぜんぜん全く大丈夫です!」
無事を聞きたいのはこちらの方なのに。レッジさんはレティたちの心配をする。
舌がもつれそうになりながら答えて、安否を尋ねる。声がするということは、死んでいないはず。後方の陣営に死に戻ったという報告もあがっていない。
「レッジさん、敵は倒したんですか?」
『うん? うーん、そうだな……』
少し歯切れの悪い返答が引っかかる。何か嫌な予感がして、思わず耳が揺れた。
「レッジさん、もしかして――」
『うぇーい! あれ、おっさん誰と喋ってんノ? あーしの声とか聞こえてんのカナ? いえーい⭐︎ 聞こえてルー?』
グシャッ。
何かが砕ける音がする。振り返れば、ラクトが食べかけのレーションを落とし、エイミーが握り砕いていた。トーカが刀に手をかけ、ミカゲが彼女を必死に止めている。
『レティ? レティ? あれ、繋がってないのか? 敵というか、戦ってたのはカオスエルフの完全融合体だったんだ』
『レアティーズでーす! よろっ!』
『今から、彼女と一緒に外に出る。間違えて攻撃しないように気をつけてくれ』
「…………善処します」
なんとかそう返せただけ偉いと褒めて欲しい。
いや、分かっている。レッジさんが相手にしている、なんだか可愛らしい声をした女性がNPCであることは。そんなのに嫉妬している場合じゃないってことは。
全ては、リアルすぎるこのゲームが悪い。
「はぁ、レッジはほんとに……。テントにアクセスされたわ、すぐに開くわよ」
呆れた顔で肩をすくめるネヴァさんが、テントが動き出したことを知らせてくれる。
泉を覆っていた分厚い鉄の装甲が、ゆっくりと開く。現れたのは漆黒の水面。光も通さない黒がにわかに波打ち、盛り上がる。
「レッジさん!」
ざばりと、何かが現れる。
黒い水の中から――。
『んふー、ふー』
「なぁああっ!?」
全身をツタでぐるぐる巻きにされ、完全に動きを封じられた女性。褐色の肌がわずかに見えるけれど、ほとんどが緑に覆われている。口までしっかりと塞がれて、目も封じられている。
ゆるく波打つ綺麗な銀髪に、立派なおっぱい。ツタがしっかりと縛り付けて、凄まじいことになっている。思わずシフォンの目を隠す。
「レッジさん!? 何をやってるんですか!」
「レアティーズはまだ破壊衝動が抑えられてないから、こうするしかなかったんだ」
泉から美人さん(推定)を伴って現れたレッジさんはそう弁明する。実際、レアティーズさんは今にもツタの拘束を引きちぎりそうな気迫を見せていた。さっきTELで聞いた声の主とは思えない。
そして、何より。
『何やってんのよ、このバカーーーーーッ!』
「ごべらっ!?」
一心にレッジさんの無事を祈っていたカミルが限界を超えた。たっぷりと助走をつけて放たれた綺麗な飛び蹴りが、レッジさんの脇腹を直撃する。そのままの勢いで吹き飛んでいくレッジさん。
その時、凄まじい殺気が、ツタに封じられた女性――レアティーズさんから発せられた。
「っ! カミル、今すぐ離れてください!」
『なぁっ!?』
くるりと空中で器用に姿勢を変えて、カミルは弾かれたように飛び退く。
次の瞬間、強靭なツタがブチブチと千切れ、その下から目が覚めるような美人の女性が現れた。笹型の耳は確かにエルフのものだ。けれど、その瞳は赤く燃えている。
『ウゥ、ぐルゥ……グらゥ……』
これはまずい。大変なことになった。
誰もが直感的に理解した。
これを外に出すのは、まだ早かった。地上街にあった八つの封印。そのうち、七つが解かれた。けれど、一番重要な最後の一つがまだだった。
「レティ!」
レッジさんの声がする。その時には動き出していた。ハンマーを構え、レアティーズの元へ。あれを早く、泉に戻さなければならない。
けれど。
『うぅ、うがああああああアアアアアアッ!』
一歩間に合わず。レティたちはレアティーズの身から吹き出す漆黒の霧に包まれた。
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Tips
◇レーション
持ち運びに適した携行食。小さいながらも栄養価が豊富で、ごく少量で十分な満足感が得られる。水分を徹底的に排しているため、非常に硬い。食感や味は悪い。
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