第1311話「敵の正体」

 考える前に動く。シフォンの戦い方に倣ったオートパイロット戦闘。五感のほぼ全てが完全に封じられているからこそ、この特異な戦い方はできていた。それはつまり、五感を取り戻すほどに精度が落ちていくことに他ならない。


「――ッ!? 足が地面を捉えたか!」


 

 ざらりとした細かい感触は滑らかな砂。濡れている。足元にまとわりついている。浅いが粘度の高い液体が満ちている。肌を打つ風を感じる。放たれた攻撃の圧を受ける。

 俺は手の内側にある槍とナイフの確かな硬さを感じていた。握り込むと、温度も伝わってくる。


『レッジさん、宇宙サメに捕食された人が出ました!』


 レティからのTELで触覚が戻ったことを確信する。

 誰かが第四階層で頑張ってくれたのだろう。それ自体は喜ばしいことで、感謝しなければならない。しかし――。


「ぐぅっ!」


 触覚は全身の皮膚を通じて伝わってくる、五感の中でも特に情報量の多い部類にあるものだ。突然その伝達が現れると、集中力はあっけなく破綻する。砂の城が波に浚われるように。


『レッジさん!? 大丈夫ですか?』


 俺の呻き声が聞こえたのか、レティが心配する。


「大丈夫だ。突然だから、ちょっと驚いただけだ」

『そ、そうですよね。敵の正体は分かりましたか?』

「いいや。戻ったのは触覚だけだからな。外見とかは分からん。なんとなく、人型っぽいとは思ってるが」


 戦いの中で輪郭をなぞるように、なんとなくシルエットは浮かんでいる。とはいえ、視覚的な情報がなければ断定はできない。もしかしたら数秒ごとに形を変えるような能力を持っているかもしれないからな。


『とにかく、今は総力を挙げて五感の解放を進めています。もう少し頑張ってください』

「あ、ああ。頼む」


 触覚が戻った以上、オートパイロットは使えない。それに、全体の進行を考えれば五感の封印は解除したほうがいいに決まっている。

 俺は腹を括り、レティたちに希望を託す。別に俺はここで死んでもいい。その代わり、少しでも多く情報を集めなければならない。


「思考が分離できるみたいに、五感も分離できればいいんだが――なっ!」


 次第に熾烈さを増していく攻撃をギリギリで耐え凌ぐ。五感は肉体的なところに強く結びついているものだからか、思考ほど簡単に分割はできない。できるなら、いつでもオートパイロットができる可能性もあったんだが。もしやろうとするなら、もっと落ち着いた状況で鍛錬を積む必要があるだろう。当然、今はそんな余裕はない。


『レッジさんもうちょっと頑張ってください! 今、メルさんたちがサンバを踊ってタコを呼び寄せてます!』

「何をやってるんだよ」


 ウェイドによって星に原始原生生物の種を落として餌とする方法が使えないからか、第四階層では多くのプレイヤーが試行錯誤を凝らしているらしい。それがどれほど効果を発揮しているのか俺には予想もできないが、それでも着実に状況は進んでいる。


「……味覚が戻ったな」


 内心でほっとしながら口の中で舌を動かす。味覚は最も限定的な感覚だ。オートパイロットにも影響は少ない。


『良かったです。メルさんのファイアトルネードタップダンスサンバが決め手になったみたいです』

「これが終わったら、それ見せてくれよ」


 俺も出しゃばらずに第四階層にいれば良かったかもしれない。しかし、そうなるとこの黒い泉も見つかってないわけだしなぁ。なかなかままならないものである。

 判明している幽霊魚はウナギ、マグロ、クラゲ、サメ、タコ。単純に考えれば、あと三種類が存在する。対して、封じられているのは視覚、聴覚。計算が合わない。あと一つは一体なんなのか。それを考えている暇もないのが辛いところだ。


「とにかく、視覚か聴覚が戻るまでは耐えないとな」


 ビジュアルと音は情報の中でもかなり大きいうえ、保存と伝達がしやすい。俺がここで敗れることとなったとしても、どちらかの情報を集めておけば最低限の仕事はできたとみなせるだろう。

 肌を焼くような危機感に耐えながら、八本の腕を振るう。カオスゴブリンは厄介で煩わしいが、払うだけなら副腕でも十分だ。問題は???という正体不明の敵だけと考えていい。


「レティ、あとどれくらいかかる?」

『わ、わかりません。今はケット・CさんがBBCオリジナルのネコネコ阿波踊りをキレッキレの動きで踊ってるんですが、なかなか反応がなくて』

「ダンスに拘るのはなんなんだ!?」


 ええい、もうオートパイロットはほとんど限界だ。ここからは意地と気合いだけが頼みの綱だ。


『――レッジ!』

「っ! カミルか?」


 絶え間のない連続攻撃。崩壊の号鐘。聴覚も視覚もないが、全身を音の衝撃が叩く。

 そんななか、激しい声が耳朶を打つ。


『そんなとこで負けるなんて許さないわよ!』


 カミルが叫ぶ。その声は震えていた。

 泉のほとりで彼女が待っている。


「――そうだな。わかった」

『レッジサーン。ワタシタチモ待ッテマスカラネ!』

『余計ナ手間カケサセナイデヨネ!』


 警備NPC、ナナミとミヤコも声援を送ってくれる。

 俺が死んでも俺自身は生き返ることができる。でも、NPCたちは敵陣のど真ん中に取り残されることになる。それは頂けない。


『レッジさん、幽霊カニがかかりました!』

「おおおっ!?」


 急激な変化。突然、周囲の雑音が怒涛の勢いで飛び込んでくる。ケット・Cのネコネコ阿波踊りが功を奏したのかは知らないが、聴覚が戻る。

 つまり、敵の発する声が聞こえる!


『――ええーっ!? この技でも死なないノ? まじヤバすぎなイ? ちょーウケるんですケドw マジでおっさんやべーネwww あーし楽しすぎだカラ、もうちょい力出してもいいカナ? ウェーーーーイ!』

「は?」


 流れ込んできたのは意味を持つ言語。その意味を反射的に理解してしまい、集中力が完全に乱れる。


「これは卑怯だろ」

『なに止ってんノ? 意味ふめーなんだケド! 真面目にやれシ!』

「うごべっ!?」


 腹に強い一撃。蹴られたことを直感的に理解する。

 どうやら、この若い少女のような声――もっと言うならちょっと古めのギャルみたいな声は、俺が戦っている???とやらのもので間違いないらしい。

 俺は綺麗な放物線を描きながら吹き飛び、頭からどろりとした水に落ちた。


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Tips

◇ ネコネコ阿波踊り

 〈黒長靴猫BBC〉によって制作された阿波踊り。猫の可愛さを全身で表現した全く新しいものでありながら、古来からの伝統的な動きもふんだんに取り入れた。

 毎月22日はネコネコ阿波踊りの日である。


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