第1284話「無呼吸戦闘手順」
“メイド卿”ソロモンのメイドロイドたちの活躍によって突破口を開いた第八次大規模攻勢の陣営は、勢いをつけて大穴へと飛び込んだ。メイドロイドだけに戦果を独占させてなるものかと一気呵成にゴブリンの首級目がけて攻め立てたのだ。
しかし、彼らを待ち受けていたのはゴブリンの軍勢だけではなかった。
「うわあああっ!? なんだこの黄色い霧は!?」
「こんなもの報告に――ふわぁ」
「なっ、どうしたお前なにがふにゃぁ」
大穴の先、〈エウルブギュギュアの献花台〉第五階層地下街を埋め尽くす黄色い霧。先遣隊の報告にはなかった異常な現象に、先陣を切っていた調査開拓員たちが戸惑いの声を上げる。だが、彼らは霧を吸い込んだ直後にバタバタと倒れていく。
『環境汚染を確認。機体への有害な影響を検知しました。吸気保護フィルターの装着を指示します』
『了解。吸気保護フィルター装着』
『埃っぽいところだねー』
そんななかソロモンのメイドたちは迅速に対応を実施する。彼女たちは口元を覆う特殊なフィルターを装着することで、誰一人倒れることなく霧に対応していった。
そもそもメイドロイドの本懐はバンドガレージの清掃や維持管理にある。ソロモンが愛すべきメイドロイドたちに必要な装備を用意していないはずもなく、埃取りの時に使用するマスクは全員が常備していた。
「ま、マスクなんて持ってないぞ!」
「喋るな! 吸い込むと眠り――スヤァ」
結果。甚大な被害を被ったのは調査開拓員たちの方だった。彼らは予想外の事態にパニックを起こし、それによって余計に呼吸を速くする。大量の霧を一気に吸い込み、続々と眠りに落ちていく。
「だ、団長! 正体不明の霧が発生しています! 調査開拓員を眠らせもののようで――むにゃ」
「なるほど。誰かがギミックのトリガーを発動させたか」
クチナシ級一番艦で穴の中へ飛び込んだアストラも、眼前の真っ黄色な惨状を確認する。奇妙なことに、この霧はゴブリンたちにも影響を与えているようだった。クチナシに取り付けられた強力なライトが照らし上げる地下街では、ジャイアントゴブリンよりはるかに小柄な通常種たちが地面に倒れていびきをかいていた。
「団長、船倉にマスクはありますが」
「とりあえず主要な戦力に優先的に配備を。ブリッジは気密を維持して、船の空調管理システムを使え」
「了解しました。団長はどうします?」
「いや、俺は必要ない」
慌ててガスマスクを持ってきた団員に、アストラは首を振る。彼も船内に入るのだろうか、そう団員が考えた直後、アストラは爽やかに笑う。
「なに、この霧は吸わなければいいんだろう? だったら呼吸を止めればいい」
「は?」
一番艦の船員に選ばれるだけあって、その団員も経験豊富なベテランである。しかし、それでもアストラの言葉を理解するのには時間がかかった。
そもそも、調査開拓用機械人形はアンドロイドではあるが呼吸を行う。エネルギーの供給源である八尺瓊勾玉を動かすために必要だからだ。水中などを探索する際には〈水泳〉スキルか酸素ボンベが必要になる。なぜか第四階層の宇宙空間では普通に呼吸ができたが、それは擬似宇宙であることが原因だろうと結論づけられている。
そして、戦闘時において呼吸はさらに重要性を増す。なぜなら、スキルの使用、テクニックの発動に必須となる“型”と“発声”。後者において呼吸は欠かせないからである。
故にアストラの放った言葉は団員には理解できなかった。
「まさか、思念操作ですか」
“発声”が行えないプレイヤーのために用意された機能。思念操作を用いれば“発声”を行わずともテクニックの発動はできる。だが、あれは特殊なトレーニングを積まなければ後天的に習得することは極めて難しいはず。
「いいや? 普通に戦うだけだ」
アストラは船縁を蹴って飛び降りる。向かう先は黄色い霧に包まれた地下街。臆することなくその中へと飛び込んだ彼は、口を一文字に結んでいた。
「団長!?」
団員が驚き、船縁に取り憑く。そして、彼が見たのは――。
『ゴアアアアアアッ!』
『ゴブッ!?』
手にした巨大なバールのようなものを巧みに操り、霧の中でも凶暴さを失っていないジャイアントゴブリンを次々叩きのめしていくアストラの姿だった。
「そ、そうか、そういうことか!」
「なんだ!?」
驚愕に顎を落とす団員の隣に、いつの間にか同僚がいた。解析官である彼は知性を感じさせるメガネをクイっと押し上げて、アストラの真意を代弁した。
「ジャイアントゴブリンに天叢雲剣製武器は通用しない」
「そ、それは分かってるさ。だから団長も船の工具で戦ってるんだろ?」
アストラの手に握られているのは赤く巨大なバールのようなもの。武器ではなく、クチナシに備え付けられた工具である。彼はそれを巧みに振り回し、ジャイアントゴブリンの足を折っていた。
「天叢雲剣製武器じゃなければ、テクニックは発動できない。だから――ジャイアントゴブリンと戦う時は“型”も“発声”も使う必要がないということなんだ!」
「そ、そうか――!」
目から鱗とはこのことか。団員は強く驚く。そんなことにも気付かなかった自分に恥じ入っていた。
今、この場において団長は自由だ。彼は煩わしい型にも面倒な発声にもとらわれず、自由に戦うことができている。なんと素晴らしいことだろうか。
「……あれ? それにしたって呼吸は必要なんじゃないのか?」
束の間、浮かび上がった疑問。戦闘系スキルを使用しない以上“発声”を必要としないことは青年も理解できた。しかし、それと無呼吸のまま激しく動き回って戦えるのは、話が別なのではないだろうか。
顔を水につけて息を止めているのとは訳が違う。口と鼻をガムテープで密閉したまま、フルマラソンやボクシングをやっているようなものなのだ。
「その辺は分からん。まあ、団長だしそれくらいはできるんじゃない?」
「そっかぁ。まあ、団長だしな」
結局、解析官の友人も匙を投げた。いくら仮想現実とはいえ、呼吸を止めれば苦しくなる。それを平然と数分耐えつつジャイアントゴブリン三頭を相手取っているのは、彼が〈大鷲の騎士団〉団長であるからという説明だけで十分なのだ。
「ていうか、俺たちもぼさっとしてる場合じゃないな。早く団長に加勢しないと――ッ?!」
はっと我に返った青年が、ガスマスクを装着しながら動き出そうとする。その時だった。共有回線に広域レーダーで周辺の警戒に当たっていたブリッジから緊急の声が入る。
『レーダーに未確認の反応を確認! これは――機械人形のようですが様子がおかしいです。対象の形状は、メインアーム一対にサブアーム三対、槍とナイフを装備し、下半身は蜘蛛型多脚パーツで――あれ、おっさん!? あ、いや、レッジさんの機体に酷似しています!』
「なにっ!?」
その報告に、第八次大規模攻勢の参加者たちが緊張を弛緩させる。
レッジであれば、先んじて第五階層に侵入していたプレイヤーだ。つまり、敵の背後から挟み込む形で増援が来たというわけだ。
「待て。ソイツはレッジさんじゃない」
「えっ、団長!?」
だが、その空気に喝が入る。いつの間にかクチナシの甲板に戻ってきたアストラが、険しい表情を浮かべていたのだ。
「レッジさんじゃないって、どういうことですか? あんなトンチキな格好してるのは彼くらいでしょう」
「レッジさんは必要もないのにその形態を見せびらかしたりしないさ」
そう断言するアストラの顔を見て、団員は思わず飛び出しかけた悲鳴を抑える。
「彼の姿を借りるなら、もう少しリスペクトを持ってもらわないとな」
調査開拓団最大戦力を誇る最大手攻略系バンドの長は、強い怒りの表情を浮かべていた。
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Tips
◇吸気保護フィルター
メイドロイド用アタッチメント。清掃活動中に舞い上がる埃や粉塵を誤って機体内部に取り込まないよう、フィルタリングする。多層構造になっており、スムーズな通気性を維持しながらウィルスレベルの微小な粒子も全て取り除くことができる、最先端技術の結晶。
“ウチの可愛いメイドちゃんたちが風邪でもひいちゃ困るからねぇ”――ソロモン
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