第1283話「ガス注入開始」

 ジャイアントゴブリンにやられてしまった俺たちは、機体回収も兼ねた大規模攻勢を仕掛けることとなった。銀の弾丸として用意したのは騎士団調剤師渾身の麻酔薬。オフィーリアの協力を得て、エルフ的に問題がない程度に調整されたこれを、地下街に送り込むのだ。


「送風機、準備できました!」

「よし。じゃあ早速やるか」


 ポータブルエンジンが起動し、大型送風機のファンが回り始める。ダクトは地下街へと繋がる秘密通路に突っ込まれている。そこに向かって、騎士団員が早速、ガス状の麻酔薬を注入していった。


『ポイントβ、注入開始!』

『ポイントγ、注入開始しました』

『ポイントδ、始めましたー』


 広大な地下街に満遍なくガスを充満させるため、同時に多数の地点から同じようにガスを送り込む。それでもかなり時間はかかるため、しばらくは暇な時間になるかと思えば、そういうわけではない。


「ラクト、あっちから漏れてますよ!」

「はいよー」

「ガス漏れを見つけたらすぐに塞げ! 確実に地下街全体に行き渡らせますよ!」

「イエスマム!」


 回収用臨時機体のレティたちや、アイたちが地上を走り回る。彼女たちはガスが漏れ出す穴を見つけては塞いでいくという忙しい仕事をこなしていた。


「案外穴が空いてるものねぇ」

「見えてなかったやつもあるが、ゴブリンが隠してた秘密通路も多いんだろ。エイミー、そこの瓦礫で塞ごう」


 ガスは黄色く着色しているため、少し高いところから見渡せば漏出箇所もよく分かる。俺はエイミーとペアを組み、目についたところから瓦礫で塞いでいった。

 そうして確実に地下へガスを送り込めるように環境を整えてやっていると、やがて監視員から報告が上がってきた。


『ゴブリン要塞が騒がしくなってます。地下の異変に気が付いたようですね』

「よしよし、いい感じだな。逃げてくる奴がいたら殲滅しつつ、深追いはするな。ジャイアントゴブリンが出てきたら全力で逃げろ」

『了解っす』


 地上の連絡通路に砦を構えたゴブリンたちも、足元の騒ぎに勘付いた。しかし、助けに行こうと地下に潜れば、ミイラ取りがミイラになる展開が待っている。逆に砦の外へと出てきてくれれば、事前に待ち構えていた騎士団の精鋭が各個撃破していく。

 そうやって、じわじわと戦力を減らしていくのだ。


「普通のゴブリンは普通に弱くて助かったよ。全部が全部ジャイアントゴブリン並みの強さになってたら、作戦なんて考えるだけ無駄だからな」

「流石にそこまで運営も考えなしってわけじゃないでしょ」


 ひとつ懸念していたのは、ノーマルゴブリンが知らない間に強化されている可能性だった。しかし、異常に強いのはジャイアントだけで、他のゴブリンは変わらずさほど強くはなかった。


「まあでも、あのジャイアントゴブリンも絶対倒すけどね」

「エイミーもなんだかんだ負けず嫌いだよなぁ」


 ぐっと拳を握りしめて迫力のある笑みを浮かべるエイミー。攻撃を防いだにもかかわらず、なす術なく吹き飛ばされて即死したことをよほど根に持っているらしい。


『レッジさん、レッジさん。少しいいですか?』


 エイミーと穴埋め作業を続けていると、アイから連絡が入る。


「どうした?」

『少し奇妙というか、こちらとしてはありがたいことなんですが……』


 アイはそう前置きして、現在の状況を伝えてきた。


『ジャイアントゴブリンが地上で見られません。ガス注入を開始すれば、反撃のために出てくると思っていたんですが』


 ジャイアントゴブリンは十中八九ガスも効かない。俺たちはそんな予測を前提として作戦を練っていた。ガスの注入と同時にジャイアントゴブリンが地上へ出てきて襲いかかってくると考えて、それなりの対策を講じていたのだ。

 しかし、ガス注入が始まってしばらくしても、ジャイアントゴブリンは出てこない。ありがたいといえばありがたいが、少し奇妙でもあった。


「もしかして、ジャイアントゴブリンもスヤスヤ寝てるのか?」

『どうでしょうか……』


 一番嬉しい予測を立ててみるも、アイは懐疑的だ。隣で聞いていたエイミーも眉を上げている。俺自身、その可能性は低いだろうと見積もっていた。

 仮にジャイアントゴブリンに強い耐性がなかったとしても、エルフよりもかなり大きな体である彼らを眠らせるのに必要な麻酔は純粋に多い。エルフに害がない程度に調整された麻酔ガスで動きを止めることはできないだろう。


「偵察班に様子を探らせるには、まだ早いか」

『そうですね。計算上、まだ地下街の30%程度にしか行き渡っていないはずですし』


 地下街は広大だ。地上街ほどの面積はないとはいえ。その空間の隅々にまで麻酔を行き渡らせるには、かなりの時間を要する。そもそも麻酔薬もガスにする前の原液の状態でも巨大なタンク数十本分を用意したのだ。


「そういえば、エイミーもガスマスクは持ってるよな」

「当然でしょ。私だってカチコミに行くんだから」


 ふと気になって横を見ると、エイミーは物々しいガスマスクを装着した。

 麻酔薬はゴブリン向けとはいえ、調査開拓用機械人形にもある程度影響がある。死にはしないが、動きが鈍くなってしまうのだ。それを防ぐため、俺たちも地下街に攻め込む際にはガスマスクを着用することになっていた。

 ちなみに、ガスマスクは騎士団の備品だ。どんな状況のフィールドも探索できるよう、常にこういったものは常備されているらしい。


『レッジさん、副だんちょ、ちょっといいですかー?』


 その時、偵察班の団員から声が上がる。


『どうかしましたか?』

『いやー、ちょっと思ったんですけどぉ。大穴開いてんのにガス送っても
いいんですか?』


 投げかけられたのは素朴な疑問。しかし、アイは怒ることもなく答えた。


『大丈夫です。大穴はすでに三術連合や各バンドの協力を経て安定しています。そのままの穴が開いているわけではなく、フィルターのようなものが付いていると思ってもらえればいいですね。自由に出入りできますが、こちらの空気が宇宙に漏れたりすることはありませんから』

『なるほどー』

『何か気になることでもありましたか?』

『んー、そうですねぇ』


 騎士団第一戦闘班に所属する精鋭中の精鋭である少女は、この状況においてもリラックスしている様子だった。アイから尋ねられ、しばし考える。


『そういえば、第八次大規模攻勢ってそろそろ始まるんじゃなかったかなーって。だんちょたち、こっちに入ってきても良いんですか?』


 少女の放った言葉。


『………………あっ』


 しばらくの間を開けて、アイが小さく声を漏らした。


━━━━━

Tips

◇ゴブリンスヤスヤガス

 〈大鷲の騎士団〉によって開発された、ゴブリンを無力化するための麻酔ガス。これを吸引したゴブリンは、10分程度で昏睡状態に陥る。エルフにも影響はあるものの、生命には問題がない程度の濃度に抑えられている。

 調査開拓員にも行動阻害の影響を与えるが、ガスマスクなどを用いれば問題ない。


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