第1278話「天空の町の人影」

 久しぶりの〈白鹿庵〉でのフィールド探索ということで、少しテンションも上がっている。ミカゲの先行偵察はやはり安心感があるし、エイミーがいれば不意を突かれても初撃は防げるという確信があった。レティ、トーカ、Lettyの布陣も心強く、ラクトも張り切っている。シフォンはいなり寿司を食べている。


「はええ。でもアストラさんたちが手こずるなんて意外だねぇ」


 一口サイズの携帯用いなり寿司でカルマ値を調整しながら、シフォンはなかなか合流できない〈大鷲の騎士団〉に思いを馳せる。俺もちょうどそれを疑問に思っていたところだ。

 アストラたちは現在、レティが破った大穴を通って第五階層へ侵入しようとしている。しかし、現地勢力の強い反発に遭い、なかなか踏み込めていないのだ。

 現地勢力、つまりはゴブリンのことなのだが。俺たちの印象としてはゴブリンがそこまで強いとは思わない。少なくとも、最強と称されるアストラが突破できないほどとは思えないのだ。


「私たちが出会ったゴブリンとは別のゴブリンとか? 何か条件を満たすと急に強くなるとか」


 Lettyが挙げた予想は十分に考えられる。ゴブリン自体は、俺たちも拍子抜けするほどに弱い。正直、大規模イベントの最前線に出現するエネミーとしては手応えがなさすぎるほどだ。


「正直、情報がなさすぎますね。レティたちも最近はゴブリンと戦えてませんし」

「砦に引き篭もっちゃったからねぇ」


 ゴブリンたちは連絡通路を起点に砦を作ってしまい、そこに引き篭もっている。俺たちは今度の大規模攻勢に向けた準備もあり、それを攻略する機会を逸していた。下手にちょっかいをかければワラワラと出てくるのだ。静かにしておいていいなら、そっちの方が楽でいい。


「地下街の探索もほとんど進んでないのよね。ゴブリン以外の原生生物は見つかってないの?」

「見つかってないな。とりあえず、ゴブリンの食料になるようなやつはいるはずなんだが」


 エイミーがもどかしそうに言うが、地下街はオフィーリアを救出して以降立ち入っていない。あの激しい揺れでゴブリンたちもかなり気が立っていて、それが落ち着くのを待っている間に砦で穴が塞がれてしまった。

 地下街は視界の悪さもあって、アイとの探索でもあまり多くの成果は得られなかった。ゴブリン以外の原生生物がいる可能性はあったものの、実際にそれを確認できたわけじゃない。


「情報が足りないわねぇ」

「ミカゲ、潜入してきてもいいですよ。ひとりならなんとかなるでしょう?」

「勘弁して」


 姉の無茶振りにミカゲも肩をすくめる。実際、ミカゲが本気を出せば潜入くらいはできるかもしれないが、流石に状況が悪すぎる。


「とはいえ、地上街は歩いていても退屈ですね」


 話しながら白い廃墟の街を歩いていたが、レティがついに口に出す。元々ひとけのなかった街中は、ゴブリンが引きこもってしまったため更に静寂に満ちていた。風も吹かず揺れる木々もなく、明るいのにしんと静まり返った世界は奇妙ですらある。


「はー、その辺の角から鬼でも飛び出してきませんかねぇ」

「私のこと言ってます?」

「トーカなら楽勝で勝てちゃいますし? もうちょっと手応えのある相手がいいですね」

「ほほう。言ってくれますね。人斬りと呼ばれた私の剣技を見せてあげましょう」

「トーカはその二つ名で納得してるんです?」


 始まったレティとトーカの応酬を聞き流しながら、周囲を見渡す。やはり何も出てこないフィールドというのは味気ないものだ。頭上を見上げると、鏡写しのように同じような街並みが逆さまに広がっている。


「うーん。……うん?」

「どうかしたの、レッジ?」


 ぼんやりと空を見ていると、ラクトが袖を引っ張ってくる。


「いや、なんか……。うーん、見間違いかもしれんしな」

「そういう時って大体見間違いじゃないし、後で重要なことだと判明するタイプのやつだから。今すぐ吐いた方がいいよ」

「なんで尋問受けてるんだ俺は」


 おらおら、と俺の腕を引っ張り始めるラクト。「故郷のおふくろさんが泣いてるぞ」なんて今日日聞かないようなセリフまで並べてくる。そのうちカツ丼まで出てきそうだ。


「ラクト、何やってるんですか」


 こちらの騒ぎに気が付いたレティたちが振り返ってくる。


「いや、ちょっとな。上の街に人影があったような気がしたんだ」

「ええっ!?」

「やっぱり重要なことだったじゃん!」


 騒然となるレティたちに慌てて手を挙げる。


「いや、多分見間違いだよ。そんなはっきりと見たわけじゃなくて、影が動いたような気がしたんだ」

「レッジさんが言うならある程度真面目に考えておいた方がいいですよ。これまでそういうこと何回あったと思うんですか」

「そ、そうか……?」


 真剣な顔をしたレティがより詳しい話を求めてくる。俺はぐいぐいと手を引っ張って勝ち誇るラクトを放置して、上空の街で見かけたものを思い返す。


「身長170cm弱。エルフっぽい細い体格。女性だと思う。髪は長い気がしたが、全身を包むような服を着ていて定かじゃない。街と同じく俺たちに対して逆向きに重力があるようで、天井に立っていた。一瞬こちらをちらっと見た気もする。多分青い瞳だ」

「めちゃくちゃ詳細に見てるじゃないですか! なんでそんなに自信なかったんですか!?」


 特徴を整理して並べていくと、レティが耳をぴんと立てる。あっという間にトーカたちも周囲に集まってきて、さらなる尋問が始まった。エイミーが双眼鏡を使って上の街を見上げ――見下ろし? まあどっちでもいいが、変わったものがないかと調べ始める。しかし、それらしいものは見つからないようだ。


「人影は見たんだが、輪郭が不安定だったんだ。なんというか波打ってたというか。池の中の魚を見るような感じで」

「それも結構重要な情報ですね。……上の街の探索はしてるんですか?」


 首を横に振って否定する。


「そこまで到達する手段がまだ見つかってなくてな。クロウリたちと合流できたら、飛行機なんかも飛ばせるんだろうが」


 こちらの物資は潤沢とはいえ完璧ではない。ドローンでは高度限界を迎えるほどに上は高く、遠いのだ。


「絶対、上の街に何かしらありますよ……」


 レティが頭上を睨み、しみじみと言う。

 それを否定するものはいなかったが、今すぐ行けるほど容易な場所でもないのだ。


「っ! 敵が近づいてきてる」

「なにっ」


 その時、油断なく周囲を警戒していたミカゲが声を上げる。その瞬間、レティたちも反射的に武器を構え臨戦態勢に入った。


「はええ、はええ」


 シフォンが慌てていなり寿司を飲みこみ、アーツを組み上げ始めたその時。

 廃墟の影、角の向こうから重い足音が近づいてくる。


「でかいぞ!」


 現れたのは、予想をはるかに上回る存在。

 体長3メートルに迫ろうかという、巨大なゴブリンだった。


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Tips

◇手毬いなり

 一口サイズの小ぶりな稲荷寿司。歩きながらでも食べやすく、携行食にぴったり。シンプルな五目以外にも、海鮮、中華、激辛、イタリアン、カレー、チョコレート、抹茶もずくなど、多くのラインナップをご用意しております。


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