第1251話「星砕く兎」
宇宙というのはほとんど何もない空間だ。その大部分をダークマターが占有し、深い闇が広がっている。だが〈エミシ〉から見上げる空には満天の星が浮かんでいる。キラキラと輝く無数の光は、その一つ一つが巨大な恒星なのだ。
そして、恒星があるならば惑星もある。いま、クチナシ級十七番艦に乗り込んだ俺たちの眼下には、巨大な巨大な岩石惑星が浮かんでいた。
「惑星軌道上にドローンと中継装置の投下完了しました。通信状態は良好。観測の結果、惑星の組成はほとんど岩石、鉄、一部の希少金属です。大気はなく、地表温度はマイナス170℃、水はごく微量が確認されていますが、当然液体ではありませんね」
直径3,000km。現実の空に浮かぶ月よりもわずかに小さな天体を取り囲むのは無数の宇宙航行ドローン。それは惑星イザナミの軌道上に浮かぶ通信監視衛星群ツクヨミと同様に、その無骨な岩石惑星を見下ろしている。
高速で岩石惑星の上空を周遊しながら、地表の様子を確認する。時に電磁波や赤外線、放射線なども用いながら、星の情報を集めていく。
「原生生物らしき影はありません。そもそも、生命の痕跡が見つかりませんね」
「ならいいだろう。早速やろうじゃないか」
〈大鷲の騎士団〉解析班の総力を借り受けて行われた惑星鑑定。その結果は満足のいくもので、俺は内心で安堵した。これで何か重要なモノでも見つかっていたら、その調査のために地表へ人員を送る手間がかかる。
「レッジさん、本当にやるんですか?」
レティが不安げに肩を寄せてくる。俺は頷き、早速オペレーターに指示を出した。
「ブラックシード投下」
「了解。ブラックシード投下します」
「投下シークエンス発動。照準設定完了。バレル固定。レーザーレール展開。進路安全確認。投下まで3、2、1――」
オペレーターの澱みない声。
カウントダウンが進み、ゼロになった瞬間。
「投下」
「投下!」
「投下しました」
クチナシ級十七番艦の下方甲板から、眼下の惑星に向けて伸びていた銀の銃砲。その先から放たれた青いレーザーの細い線にそって、黒い種が一粒落とされた。
「……」
ブリッジに詰める全員が固唾を飲んでその行方を見守る。わずかな勢いだけをつけられて落とされた種は、やがて岩石惑星の引力に絡め取られる。徐々に速度を上げていきながら、地表へと向かう。大気という緩衝材のない裸の大地に向かって、躊躇うこともなく。
そして――。
「ブラックシード、着地確認」
「ブラックシードの着地を確認しました」
「目標捕捉完了。映像出ます」
クチナシに積み込んだ高性能望遠鏡も全て使い、地表に落ちた種を見る。細かな砂がわずかな重力の中で波打ち、舞い上がる。その中心に、確かに黒い種が落ちている。ガラス瓶の中に封じられている、太古の種。黒々としたそれが、静かに時を待っている。
「タイマーカウントダウン」
「残り3分25秒、24、23――」
再びのカウントダウン。
今度は万が一を考えてかなりの余裕を取ったものだ。
緊迫のブリッジに数える声だけが空虚に響く。
205秒後。種瓶に仕込まれた機構が自動的に動き、内部の栄養液が黒い種に流れる。そして、眠っていた記憶が目を覚ます。
「萌芽確認!」
「ブラックシードから芽が出ました!」
「よし、全速後退!」
種が割れ、黒い芽が出る。
それを確認した瞬間、俺は退避を指示した。既に万全の状態にあったバイオエンジンが最大出力で稼働し、ブースターが豪炎を吐き出しながら船体を押し上げる。星の引力を振り切って、猛烈な勢いで宇宙へと。
ブリッジの大きなディスプレイには、地表の様子が映し出されている。そこには、急速に真紅の根を広げる禍々しい植物の姿があった。
ブラックシードから芽吹いた原始の植物“深淵望む闇喰いの紅根”は、硬い地殻さえも貫き、星に無数の亀裂を走らせる。
「ドローン三十機一気にやられました!」
「中継機も芋蔓式だ! 高かったんだぞ!?」
次々とオペレーターから悲鳴が上がる。紅根が飲み込まんと手を伸ばすのは足元だけではない。地表から1000km以上も離れた飛行物体にまで貪欲に狙っている。次々と高価な精密機械が破壊され、反応を喪失していく。ディスプレイの映像も大きく乱れ、やがて途切れる。
クチナシ甲板上の観測機器へとスイッチされ、遠方からの視点が映し出された。
「うわぁ……」
それを見て、レティが思わずといった様子で声を漏らす。
月ほどもある惑星が、赤い植物によって喰われていた。
酸素も、大気も、水もほとんど存在しない、土と岩だけの乾燥した星。そこに落とされた種はたったの数分で地表を覆うほどまでに急成長し、その内部にまで根を伸ばしている。
あまりにも凄惨な光景は現実味がない。まるで細菌の培養を倍速で眺めているかのようだ。赤いカビのようにも見えるそれが、星を覆い尽くす。
「萌芽から5分経過」
時間を注視していたタイムキーパーが、規定の時間を報告する。船は後退を止め、十分な距離を保ったまま宇宙空間に停泊する。
「ドローンも中継機も全滅ですよ」
「これで何にも収穫がなかったら大赤字だね」
緊迫した空気の中、調査開拓員たちが小さく囁き合っていた。
俺もこのプロジェクトにかなりの期待を寄せているし、それだけの借りを方々に作っている。成功すれば、一攫千金。失敗すれば、借金漬け。ハイリスクハイリターンの分水嶺を迎え、思わず手を強く握る。
「萌芽から8分経過」
紅根はいまだ星を蹂躙している。地表を抉り、より深くへと根を伸ばし、岩を砕き、殻を貫いている。真空や極低温、さらに星中心部の高熱、それらをものともせず、星を嬲っている。
「萌芽から10分経過しました」
カウントが止まる。
その報告の直後、映像が異変をきたした。あれほど活発に動いていた紅根が、ぴたりと動きを止めた。凍りついたように硬直し、微動だにしない。
次の瞬間、繁茂した真紅の根が、先端から灰に染まり始めた。
「自己破壊トリガーの発動を確認。ブラックシードの崩壊が始まりました!」
ブリッジがひとまずの安堵に包み込まれる。際限なく物質を飲み込み、やがて宇宙にまで広がる危険性すらあった原始原生生物の、遺伝子に組み込まれた自爆装置が無事に起動したのだ。
紅根の灰化現象は急速に進行し、惑星の周囲に雲のように浮かぶ。
たっぷりと30分の時間をおいて、紅根が完全に無力されるのを確認した。再び岩石惑星に静寂が戻る。だが、ここからが本番だ。
「レティ、出番だぞ。よろしく頼む」
「わ、分かりました! 任せてくださいよ!」
レティがクチナシの甲板に立っていた。巨大なハンマーを持って。
船は再び岩石惑星へと接近し、灰の雲を抜けて地表へ肉薄する。レティはケーブルがしっかりと自分と船を繋いでいるのを確認して、船縁から下方を見下ろした。
「レティ、いきます!」
3、2、1、0。
カウントダウンの後、レティが飛び出す。重力のまま、巨大な星へと落ちていく。
「うううわああああああああああああっっ!!!!!!」
絶叫はこちらまで響かないが、表情からよく分かる。
彼女は阻むもののない空中を自由落下しながら、巨大な黒鉄のハンマーを構える。彼女こそが、この惑星資源回収作戦“ブラックシード”のキーマンなのだ。
「咬砕流、六の技――!」
空中で、グルングルンと猛烈な縦回転。その勢いが最高点へ達した。
「『星砕ク鋼拳』ッッッ!」
ハンマーヘッドが地表を叩く。
大地が、星が、全てが揺れる。
“深淵望む闇喰いの紅根”によって内部まで深く亀裂が入り、脆くなった星に、とどめの一撃が叩き込まれた。無防備な体に、巨大な打撃がそのままに打ち込まれた。
上空1,000kmからの超高高度落下。その猛烈な位置エネルギーを全て一打に込める。勢いを付けて放たれた一撃は、星すら砕く。
「ケーブル回収!」
「全力で引っ張れ!」
レティの腰を固定していたケーブルが勢いよく巻き取られる。同時にクチナシが再び距離を取る。粉々に砕けた星の欠片が猛烈な勢いで飛び交い、その一つ一つが致死のダメージを孕んでいた。
「ほわあああっ!?」
「ひええっ!?」
「ぎゃあっ!」
レティが悲鳴を上げながらも辛くもそれを避ける。スキンに傷が付き、腕が多少曲がっているが、生きているなら大丈夫だ。彼女の体を、甲板で待ち構えていた調査開拓員たちが受け止める。彼女の無事を確認して、俺は賞賛の声を送った。
「やったな、レティ! 作戦は成功だ!」
眼前には粉々に砕けた岩石惑星。数億年もすれば再びお互いに引き合って一つに戻るのだろうが、もうそんな未来はやってこない。遠方で控えていたアサガオ級の小型宇宙船艦が次々と殺到し、魚群をつつく鮫のように宇宙空間を漂う岩石をかき集めていく。
重量いっぱいになったものからクチナシ級の甲板に戻り、コンテナの中身を流し込んで再び収穫に向かう。
星を破壊し、その資源を回収する。
宇宙にはまだまだ、無数の星が浮かんでいる。今の俺たちには、それが無数の資源と同等に見えていた。
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Tips
◇ 惑星資源回収作戦“ブラックシード”
管理者エミシによって提案された、第四階層内部の宇宙空間に浮かぶ星を破壊し資源として回収する作戦。作戦には原始原生生物“深淵望む闇喰いの紅根”が使用されることから非常に高い危険が予測されたが、〈エミシ〉の深刻なリソース枯渇状況を鑑みて指揮官全会一致によって実行が許可された。
岩石惑星に“深淵望む闇喰いの紅根”を落とし、萌芽させることで内部までを脆弱化させ、強い衝撃によって破壊することで、効率的に資源を回収することを目論む作戦である。
“こんなこともあろうかと種を用意しておいて良かった”――調査開拓員レッジ
“嘘をつかないでください”――管理者ウェイド
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