第1234話「天才的発想」

 エイミーの目は正確無比だ。僅かな星の瞬きも見逃さず、また一瞬の間に微々たる隙間を開けた位置も細やかに察知する。俺もカメラやドローンで支援するが、そんな測定機器も必要ないのではと勘繰ってしまうほどだった。


「いくらなんでも、目が良過ぎませんか?」

「そう言われてもねぇ。視力は生まれつきだし」


 レティが怪しげな顔を向ける。エイミーは困ったように頬を掻く。

 物理的制約から解き放たれる仮想現実世界では、基本的に大体の人が裸眼でも十分活動可能な程度の視力を得られる。わざわざ視力矯正器具を付けるというのは、データ的にも不要だからだ。とはいえ、レティの大食い同様に、どれくらいは個人の資質によって大きく変わるらしい。

 流石にエイミーも現実では多少目が良いという範疇に収まっているが、仮想現実内だと更に目が良くなっているのだろう。


「レティだって1.0はあるんでしょ?」

「そうですけど。やっぱり視力1000とか憧れません?」

「眼精疲労一直線ね」


 ワクワクとした顔で小学生みたいなことを言うレティにエイミー以下周囲の全員が呆れる。サバンナの民族でもそんな視力は必要ないだろ。一応、今の医療技術をフルに活用すればかなり視力を増強できるらしいが。


「ラクト、次は11.002、52.277、マイナス9.101、1、77.53、マイナス6.552よ」

「はいよー」


 天体観測をしていたエイミーが次々と数字を口述する。それを後ろで控えていたラクトがメモアプリに打ち込み、記録する。彼女はそれをざっと眺めた後、人差し指をくにくにと動かして頭を働かせる。


「大体、時速28,300kmくらいかな」

「凄まじいな」


 ラクトが算出したのは、現在のテントの移動速度だ。エイミーが星の位置を記録し、10秒ごとにその誤差を出す。ラクトがそこから座標のズレを算出して速度に変える。そうして弾き出された速度は、予想を遥かに上回るものだった。

 おそらく、エイミーの観測は〈鑑定〉スキルを、ラクトの計算は〈制御〉スキルを用いるのが正道なのだろう。そうでなければ、二人のような超能力じみた特技を持ったプレイヤーを必須とする歴代最高のクソゲーになる。

 思わず口から溢れた言葉は、テントの速度に対するものでもあり、二人の能力に対する感想でもある。


「ウェイド、どう考える?」

『どう考えるも何も……。我々がどこへ進んでいるのかも分からないですし』


 現在地というものは分からない。座標の手がかりとなる原点がないからだ。俺たちは宇宙を遭難しているとも言えるし、一箇所に止まっているとも言えてしまう。ざっくりとした速度が出てきても、ウェイドは困り果てている。


「やっぱり、ここはレティがハンマーで空間を破壊するのが良いのでは?」


 先ほどから全く仕事の与えられていないレティがハンマーを手に取って立ち上がる。だが、ラクトたちが左右から彼女の肩を抑えて座らせた。


「むぅ!」

「むくれないでよ。一応、時速28,000kmで移動してるのは事実なんだから。こんな状態で空間を割ったらただじゃ済まないよ」


 頬を膨らませて不安を露わにするレティ。ラクトが優しく諭す。

 レティやトーカの物質系スキルを使えばこの異空間を破壊できるかもしれない。とはいえ、あまりにも不確定要素が多すぎる。俺たちが静止しているならばともかく、今の状況では元の空間に戻った瞬間地面に衝突して木っ端微塵もあり得るのだ。


「一応救難信号ビーコンは付けてるんだけどなぁ」


 テントの屋根にはピコピコと点滅するビーコンが取り付けられている。周囲の調査開拓員に救難を知らせるもので、特にスキルを持っていないプレイヤーであっても俺たちの存在と大まかな方角を把握できるようになっている。これがこの大宇宙でどれくらいの効力を発揮するのか怪しいところではある。


「ビーコン……。ビーコンかぁ」


 その時、誰かが声を漏らした。狭いテント内を探すと、ずっと静かだったラピスラズリが顔を上げていた。


「どうかしたか?」

「ビーコンって、要は標ですよね」


 首を傾げると、ラピスラズリは語り出す。何か思いついたらしい。

 彼女はテントも中央までやってくると、ウィンドウを目一杯広げたメモアプリに書き込み始めた。


「ビーコンを落としていくんです。等間隔に、こうやって」


 最初に描いた三角はおそらくテント。彼女はそこから尻尾のように線を伸ばし、その上に丸印を並べる。これがビーコンなのだろう。まだ、彼女が何をしたいのか理解できない。


「禁忌領域の本質は仕切ることです。彼岸と此岸の狭間に三途の川が横たわるように、領域と別の領域の内外を明確にすること。根底にあるのは〈呪術〉スキルの一分野である結界術系統の思想です」


 突然始まったレクチャーにレティたちも興味を示す。三術系スキルに興味がなさそうだった光たちも近寄ってきた。


「更にそこに〈罠〉スキルが標の役割を与えられます。地面に楔を打ち込むように、罠を仕掛けることで明確に場を固定するのです。標が最低三つあれば、そこに三角形の領域が生まれます」


 それは、俺にとっても馴染み深い。

 マーカーを用いた作業は、つまり領域を設定することなのだから。


「〈罠〉の標で領域を設定し、〈呪術〉によって意味を持たせる。まあ、詰まるところこれが禁忌領域の仕組みなのですが……」


 ラピスラズリはテントから伸びる線を湾曲させて描き足し、円に変える。


「このようにすれば、ほら。領域が完成します」

「領域って……。どれだけの広さになるんだよ」


 テントは時速28,000kmで動いている。まずこの宇宙空間でどうやって舵を切るのかという問題もあるが、舵を切って円を描けたところで、その面積は広大だ。

 思わず呆れてしまうが、そんな俺をラピスラズリは好戦的な目で見る。


「レッジさんも随分と弱気になってしまったようですね。物事は見方が肝要ですよ」

「見方……?」

「この広大無辺な宇宙を見てください。この限りのない広さに比べたら、この円のなんと小さなことか。バカデカいフィールドのほんの少しを仕切ったと考えれば、なんということもないのでは?」

「な、なるほど……!」


 ラピスラズリの言葉は衝撃的だった。この宇宙は時速28,000kmの速度で突き進んでも果てのない無限の世界。そんななかで多少の円を描いたとて、遠くから見ればゴマ粒程度ですらない。なるほど、完璧な理論だ。


「レッジさん、冷静に! なんか騙されてますよ!」

「いや、一度やってみるだけの価値はある」

「ほんとに言ってます!?」


 レティが引き留めようとしてくるが、俺は乗り気だった。

 現に今、俺は宇宙にテントを張っているのだ。それを多少拡張するくらい、なんてことはないだろう。


「よし、やるか」

「やりましょう!」


 俺とラピスラズリは、固い握手を交わした。


━━━━━

Tips

◇緊急救難ビーコン

 テントに取り付けることができるアセット。救難信号を広域に発信して、救助を求める。救難信号は範囲内の全ての調査開拓員が受信できる。

 有効範囲はビーコンの等級によって変化する。最低で半径500m範囲。


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