第1233話「停滞突破」
一面に広がっているのは果てしない宇宙だ。いくつもの星が散りばめられて、キラキラと輝いている。その群れは大きな流れをつくり、銀河を形成していた。
「おっ、流れ星」
「ハンバーグ食べたいハンバーグ食べたいハンバーグ食べたい!」
きらりと星が瞬き、細い尾を引いて翔ぶ。レティが指を組んで願い事を捲し立てた。
「そんな願い事でいいの?」
「だって、もうお腹すいちゃって」
ラクトが呆れた様子で言うと、レティは腹をさすって唇を尖らせる。俺たちが持っている食料は残り僅か。それも全部、味気ない携行食料ばかりだ。
せめて食材が残っていればフゥが何か作ってくれるのだが、そんなものも見当たらない。
〈エウルブギュギュアの献花台〉第四階層に広がっていたのは、広大無辺な大宇宙。俺たちを乗せたテントは、その紫紺の世界をゆっくりと流れていた。
「ウェイド、どうしたもんかね」
『う、うぐぐぐっ。もう少し待ってください。今状況の解析と危険性のシミュレーションを行なって……』
ちらりとテントの奥に目をやると、ウェイドがガリガリと頭を掻きむしっている。さっきからずっとこの調子だが、なかなかその計算が終わる気配は見えない。
調査開拓団にとって全く未知の空間だ。計測機器も限られた状況では、解析しようにもデータが集められない。そもそも、もっと重要な事実がある。
「なあ、ウェイド」
『なんですか! もうすぐ計算が――』
「今、スタンドアロンモードなんだろ?」
『……ッ』
俺の指摘にウェイドは反論しない。言葉を詰まらせ、押し黙るだけだ。その沈黙が何よりも雄弁に答えていた。
明らかに通常世界とは異なる場所、異空間に迷い込んだ俺たち。なんとかテントを建てて身を守ることができたものの、この茫洋とした世界を揺蕩うこと以外には何もできない。
外部の仲間たちともコンタクトは取れない。通信監視衛星群ツクヨミとのコネクトが断絶しているからだ。当然、ウェイドも本体である〈ウェイド〉の中枢演算装置クサナギとの通信が途切れている。だから、今の彼女は管理者というよりは、管理者機体にインストールされている非常用自律プログラムという方が正しい。
今のウェイドの最優先事項は、機体の通信を回復させること。言ってしまえば、この異空間から脱して、通信圏内に戻ることだ。しかし、クサナギの強力な演算リソースを使えない今、管理者機体に搭載されている計算能力だけでは平時の数%程度の力しか発揮できない。
『だ、だだだ、大丈夫です。私は管理者ですよ? この程度のイレギュラーもスパッと解決してみせます! だからあなたは大人しくしていてください!』
あからさまに動揺しながらも、ウェイドは管理者として俺たちを統率しようと躍起になっている。いつもなら頼もしい彼女も、今は憐憫の目を向けざるを得ない。
「ラクト、ちょっといいか」
「なに?」
俺はウェイドを説得するため、ラクトを呼び寄せる。レティと共にテントの外を眺めていた彼女は、とことことこちらへやって来た。俺はラクトに、ウェイドが床に広げて何やらペンを走らせていた紙を見せる。
「これ見て、何か気付いたことがあったら教えてくれ」
「これ? ええ、なんの数字だろ……」
書かれているのは無数の数字の羅列だ。一見すると不規則に並べられた乱数のようにも見える。一定の桁ごとに区切られているわけでもなく、数字の周囲には複雑な数式なんかも書き殴られている。
ラクトは戸惑いながらそれを眺め、すぐに指摘する。
「11次元的な座標証明かな。こことここ、計算間違えてるけど」
『なっ!? そ、そんな……本当に間違えてる……』
数秒後、ラクトは数字の意味を言い当て、さらに計算ミスまで見つけ出した。ウェイドは愕然として紙を手に取り、改めて見直した末に計算ミスを認めた。
「ほらな、ウェイド。今のお前はこういう単純な計算も間違うくらい演算能力が落ちてるんだ」
「ラクトと比べるのはどうなんですかね……。ていうかこのケースはラクトがすごいのでは?」
後ろからレティの怪訝な声がする。
まあ、なんにせよウェイドがミスを犯しているのは間違いない。俺もさっき検分したしな。
もちろんいつものウェイドならこんなミスは犯さない。そもそも、この程度の計算なら紙に書き出さずとも暗算で、0.0000001秒以下で算出できるはずだ。そんな問題一つに苦労しているのは、管理者機体の演算能力がそこまで高くないことの証左だった。
『でも、私は管理者なので……。皆さんを守り、導かなければ……』
これだけのことを言っても、まだウェイドは諦めがつかないらしい。唇を噛み締め、管理者としての責務と自分の状況の間で板挟みになっている。
「今は非常事態だ。普段の立場は忘れていい。ほら、クチナシを見てみろ」
俺が目を向けた先では、クチナシがサングラスを掛けたままハンモックに寝転んでスピスピと寝息を立てている。自分の本体であるクチナシ十七番艦が消失してしまったこともあり本来の力を発揮できなくなった彼女は、すっぱりと諦めて省電力モードに入っている。
『あれは流石にだらけ過ぎでは?』
「いいんだよ。ここに居ても物資は減っていくだけだからな。一人でもああやってくれてると、俺たち全員の寿命が伸びる」
クチナシはかなり思い切りがいいが、彼女の行動は合理的だ。自分ができることはないと判断し、いずれ出番が巡って来た時に備えて体力を温存しているのだから。
「とにかく、今は特例的な状況だろ。ウェイドも立場とか一旦忘れて、頼れることは頼ってくれ。管理者の仕事は、俺たちに仕事を投げることだ」
中枢演算装置クサナギから切り離されたウェイドは、とても小さく見えた。おそらく彼女自身も、世界が広く恐ろしいものに見えているのだろう。それも、いまだ調査開拓団が誰も知らないような未知の空間に投げ出されたのだ。彼女の抱える不安は、俺が推し量るよりも遥かに大きいだろう。
『……ラクトさん。この計算をしていただけますか』
「ん。んー、ちょっと時間かかりそうだけど、分かった。やってみるよ」
だからこそ、ウェイドは一歩踏み出す。
彼女はラクトに自分の仕事のひとつを任せた。ラクトも、それを快く引き受ける。
『エイミーさん、いくつかの星を見て、動きを予測することは可能ですか?』
「流石に厳しいけど、今の速度とか星の距離とかなんとか分からない?」
「それなら俺が画像解析してみるか。ドローンのジャイロセンサーも使えるだろ」
『ミカゲさんは周囲の索敵を更に網目を細かくしてください。動くものは星であれなんであれ、報告してください』
「……了解」
ラクトへの委任を皮切りに、ウェイドは矢継ぎ早に指示を送り出す。それを受けた仲間たちも、一つ返事で頷く。弛緩していた空気が、次第に張り詰めていく。
「ウェイドさん、ウェイドさん。レティは何をすれば?」
ワクワクとしながら自分の出番を待つレティ。そんな彼女を見て、ウェイドは少し考えたのちに口を開く。
『レティさんは力を温存していてください』
「そんなぁ」
しょんぼりと肩を落とすレティを乗せて、宇宙を漂うテントは忙しくなる。
━━━━━
Tips
◇非常用自律プログラム
管理者機体と本体となる中枢演算装置との通信が断絶した際に自動的に発動する緊急プログラム。管理者機体の非常用演算領域が解放され、通信回復に向けた行動を起こす。
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