第1231話「喰らい尽くす」
NULLの侵蝕が止まり、白化した結晶が洋上を覆い尽くしている。
それは一見すると静寂と青空に彩られた美しい光景だが、実際には看過できないほどの問題を孕んでいた。
脆い結晶を竜骨で割りながら、数隻の船艦が〈塩蜥蜴の干潟〉に向けて航行していた。複数のバンドで結成された船団に所属するクチナシ級二十九番艦は、他の周囲の船と同じく〈エウルブギュギュアの献花台〉に向けて全速力で進む。
だが。
「直下から巨大生物接近!」
「回避間に合いません!」
「衝撃備え!」
次の瞬間、真下から突き上げられ、その巨大な躯体を大きく曲げる。現れたのは巨大な顎。クチナシの鋼鉄装甲を容易く食い破り、真っ二つに破壊する。水飛沫を上げながら現れたのは、分厚い鱗を身に纏う濃緑色の怪物だった。
ワニに似た外見だが、それは六つの眼と足を持ち、その全長は100メートルに迫る。船艦と張り合えるほどの巨体を力強く動かして、ぐるりと身を捻る。大型艦に分類されるクチナシ級装甲巡洋艦が、ダイナミックなデスロールによって木っ端微塵に破壊された。
「退避! 退避ーーーッ!」
僚船の無惨な姿を見た周囲の船は即座に撤退を選ぶ。甲板に積み込んだ荷物や人員を無視した急速旋回で反転し、次々と碇やコンテナを海に投げ捨てる。全てのブルーブラストエンジンをフルスロットルで動かし、一気に加速する。
「ぐわあああああっ!?」
「ダメだ速度が足りない。逃げきれない!」
「メーデーメーデー!」
だが、巨大ワニは一体ではなかった。水面下から次々と顎が突き出し、船の横腹に穴を開ける。水が流れこみ動きを鈍くする船に次々と一回り小さな個体が群がり、水中に落ちた獣を食い散らすように頑丈な装甲を引き剥がしていく。
「クソクソクソクソ! な――なんだあれは!?」
ワニの大顎が迫り、ある船員は全てを諦めかけた。その時、勢いよく迫る大鰐が横から放たれた高圧の水によって頭を吹き飛ばした。驚く船員が見たのは、はるか遠方に浮かぶ小島――。いや、小島ほど巨大な亀だった。
「なんだよ、これ……。怪獣映画でも見てるのか?」
船員は顔を青ざめさせて甲板に膝を突く。
亀のゴツゴツとした甲羅に等間隔で並んだ噴出孔から、超高圧の水流が放たれる。鉄板すら容易に切り裂くウォーターカッターが全周囲に放たれ、海に浮かぶものを全て木っ端微塵に破壊した。
広い海に次々と現れるのは、〈海魚の邂逅〉の深淵に潜んでいた巨大な原生生物たちだ。彼らは表層を泳ぐ魚たちよりもはるかに原始の時代に近い種族であり、天変地異が巻き起こる時代の記憶を有する生きた火石だ。それが、次々と目を覚まし、久方ぶりに日の光を求めて浮上してきた。
原始の時代に感じた、懐かしい匂いを捉えたのだ。
「はえええ……」
首長竜や巨大魚、サメ、タコ、イカ。あらゆる意味で規格外な怪物が次々と現れ、白い結晶を砕いて海を撹乱する。あちこちで悲鳴が上がり、それ以上の数の船が沈む地獄のような惨状だ。
そんな荒波の影に隠れるように、一隻の小船が浮かんでいた。定員十人という近海向けのクルーザーに乗っているのはシフォンとLetty。そしてミートやワイズといった比較的泳ぎが得意ではないマシラたち。クルーザーの周囲には、サイズ的に乗れないものや、泳ぐのがすきなマシラたちがプカプカと浮かんでいる。
「な、なんだか凄いことになってるね……」
『レッジさんがクチナシ十七番艦に原始原生生物を組み込んで飛ばして、〈怪魚の海溝〉に著しい環境汚染が広がったんです。更にNULLの流入も原生生物の大量死や環境の破壊に繋がったため、フィールドは非常に不安定になっているんです』
「はええ。うちのおじちゃんが、ごめんなさい」
NULLの脅威が去った今、入れ替わるように現れたのは史上最大規模の
制御塔から指揮をとるナキサワメも、海面下で光輪の被害を免れていたミオツクシが次々と破壊されて悲鳴を上げていた。
「よし、それじゃあみんな。よろしくね!」
『まかせろー!』
『いれぐいだ!』
『ビュッフェって言うんだよ!』
だが、この地獄のような世界に一条の光が差し込んだ。無邪気な声は天からもたらされた福音か。
シフォンの呼びかけに応じて、準備万端と体を動かすのは27体の変異マシラたち。先ほどナキサワメによって正式に作戦参加が承認された、レッジ組の面々である。
「オペレーション“薬食い”開始だよ!」
『うおおおおおおっ!』
『食べ放題だー!』
シフォンの合図で、船の周囲に集まっていたマシラたちが一斉に散開する。彼らは手近なところにいた原生生物に飛びかかり、尻尾や首に噛み付いたり千切ったりとやりたい放題だ。そうしてあっという間に肉塊に変わったそれを、おいしそうに頬張っている。
際限ない食欲を持つ変異マシラたち。その飢餓からくる暴動を抑えるため、管理者ウェイドが制定したプロトコル“アラガミ”。それは恣意的にフィールドの環境負荷を高め、“
オペレーション“薬食い”は、そのプロトコルを流用した作戦だった。
「怪物には怪物をってことね!」
『むぅ。ミートたちは怪物じゃないよ!』
クルーザーの甲板に立つLettyが声を上げ、ミートが不満そうに唇を尖らせる。
だがそのLettyの言葉こそが、この作戦の本質だ。
海という非常に不安定なフィールドにも関わらず、マシラたちは次々と原生生物を喰らっている。その力量の差はあまりにも圧倒的だった。統率が取れてさえいれば、マシラたちほど心強い味方はいない。
自分よりもはるかに巨大な海獣を、千切っては投げ千切っては投げと八面六臂の活躍で圧倒している。やがて、原生生物の暴走に襲われていた他の調査開拓団の船も、マシラたちの活躍に歓声をあげ、支援の攻撃をしはじめた。
『うわぁ、す、凄いですよ! ものすごい勢いで環境負荷が低下しています!』
「はええ。ほんとかなぁ」
興奮した様子のナキサワメの声にシフォンは懐疑的な顔をする。各地の環境測定機器の観測データを見れば確かに環境負荷が下がっているのだろうが、現地で繰り広げられているのは殺戮である。
海水が赤く濁るほどの、まさに血で血を洗うような戦いが行われている。もっとも、原生生物の血で原生生物の血を洗っているのだが。
「開拓ってなんだっけ?」
「これも開拓だよ。間違いないわ」
思わず首を傾げるシフォンに、Lettyが軽い調子で答える。
調査開拓員たちによる活動は問題なく進行しているのだ。
「ミートたちは食べに行かないの?」
クルーザーの甲板には、ミートやワイズが乗っている。彼女たちはオペレーション“薬食い”には参加せず、荒波に揺られる船の上で過ごしていた。シフォンが尋ねると、ミートは胸を張って答えた。
『パパを助けに行くんだもん。ごはんはそのあと!』
「なるほど。――それじゃあ、おじちゃんたちのところに行こっか」
ミートの言葉を受けて、シフォンは船のエンジン出力を上げる。荒波を次々と乗り越えながら、小さなクルーザーは遠くに見える白い塔を目指して走り出した。
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Tips
◇クロコダイル・オブ・ジ・ヘル
〈怪魚の海溝〉深海層に生息する巨大なワニに似た水棲原生生物。非常に生命力が高く、数百年生きる個体も存在する。大きい個体は大型船艦に匹敵するほどであり、鋼鉄の装甲も容易く破壊するほど力強い顎を持つ。
“大いなる深き漆黒の闇の奥に潜みし巨大なる悪。瞳に憎悪の炎を燃やし、血肉を喰らい骨を砕き、動くもの全てを破壊する。故にその怪物は、地獄の名が与えられた”――ブラックダーク
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