第1229話「お供のマシラ」

 シフォンたちが出発しようとした矢先、屋根を突き破って何かが落ちてきた。もうもうと舞い上がる土埃のなか、咳き込みながら瓦礫を押しのけて立ち上がったシフォンは、そこに小さな影を見つける。


「はええ……。な、なにが起こったの?」

『パパ! パパはどこにいるの?』


 海岸から吹き抜ける風が煙幕を払う。その中から現れたのは、頭に大きな赤い花を咲かせた少女――変異マシラのミートであった。


「はえええっ!? み、ミートちゃん、なんでこんなところに!?」


 その姿を認めたシフォンは驚愕する。ミートは容姿こそ小さくて可愛らしいがボスクラスのエネミーもオヤツ感覚で捕食する強力な存在だ。故に他のマシラたちと同様に〈ウェイド〉近郊にある〈マシラ保護隔離施設〉に収容されているはずだった。


『パパに会いに来たの!』

「パパって、おじちゃんのこと?」


 シフォンの存在に気が付いたミートは片手をあげて来訪の理由を語る。彼女がパパと呼んでいるのは、他ならぬレッジのことである。彼女は汚染術式の凝集体でしかなかった自分に形と名前を与えてくれた彼をそう呼んで慕っている。


「おじちゃんは今、ちょっとお出かけしてるんだよ。それより、ミートちゃんはどうしてここまで来たの?」

『パパに会いたかったから! 今日はウェイドもイザナギもいなかったから、外に出られたの』

「そ、そっかー」


 屈託のない笑みで語られる重大な収容違反の発生に、シフォンはおもわず頬を痙攣させる。たしか、ウェイドはレッジに巻き込まれて塔の中に行っているはずだ。管理者不在となったことで、施設の警備が破られてしまったのだろう。


「うわーーーっ!? ご、ゴリラ!」

「Letty!?」


 その時、Lettyの悲鳴が別荘に響き渡る。シフォンが慌てて声のする方へ振り向くと、そこには瓦礫を押し除ける白い毛並みのゴリラと青い顔をしているLettyがいた。


「ああ、ワイズも来てるんだ……」

「えっ? あ、ほんとだ、どこかで見た気がすると思ったら」

『どうもお騒がせしております。突然の来訪で申し訳ない』


 シフォンがそのマシラの名前を口にして、Lettyも平静を取り戻す。

 目に知性の光を宿す彼の名前はワイズ。ミートと同じくレッジによって和解した個体だ。

 ミートを筆頭とする彼らは、レッジが独自に行うプロトコル“御前試合”の影響なのか他の変異マシラよりも能力や知性が頭ひとつ抜けている。たびたび施設からも脱走し、デモも毎日のように開催し、ウェイドからすれば目の上の瘤のような存在だ。


「もしかして……」

『うわー、すっごい壊れてる』

『これ大丈夫? みんな怪我してない?』


 嫌な予感がよぎったシフォンが別荘の外に出る。するとそこには、ウェイドが特に注視している変異マシラ集団――通称“レッジ組”が勢揃いしていた。


『な、な、な……なんなのよアンタたち! 勝手に突然やって来て、ウチの建物こんなにしちゃって!』


 シフォンが愕然としているなか、瓦礫の中から赤髪を揺らめかせたカミルが飛び出してきた。彼女は憤怒の形相でミートたちを大声で威圧する。彼女が毎日念入りに掃除や修理を続けてきた別荘の屋根に大きな穴が空いたのだ。その烈火の如き怒りも妥当であろう。

 あまりにも勢いのついたカミルは、ボスクラスの実力を持つミートたちにずんずんと詰め寄り、ものすごい剣幕で指を突き立てる。その迫力は凄まじく、天真爛漫に服を着せたようなミートでさえ思わず狼狽える。


『あ、え……。ご、ごめんなさい……』

『謝罪で済んだら警備NPCはいらないのよ! アンタたちこの家を直せるの!? ここはレッジたちが帰ってくる場所なのよ!?』

『あぅぅ』


 変異マシラが一介のメイドロイドに怒られてたじたじの様子に、シフォンとLettyは我が目を疑う。カミルが優秀なメイドロイドであることは分かっていたが、まさかここまでだったとは。


「あ、あの、カミル。お家はまた〈鎹組〉の人たちに直してもらえるし、ミートたちも悪気は無かったんでしょ? その辺で許してあげたら?」

『――ふんっ!』


 あまりにも居た堪れなくなったシフォンがそっとカミルの肩に手を置いて宥める。ミートは完全に涙目で、白いワンピースの裾をぎゅっと握ってクシャクシャにしている。彼女の背後に並んだ他の変異マシラたちもずんと落ち込んでしまっている。

 彼女たちが明らかに反省している様子を見て、カミルもようやく怒りを収める。まだミートたちの事を許してはいないようだが、少なくともミートを泣かせることはなくなった。

 仮にミートが自暴自棄になったらそれこそ手が付けられない。シフォンは首の皮一枚で繋がったようなギリギリの状況に、ほっと胸を撫で下ろす。


『通信を傍受したところ、何やら大きな事件が起きている様子。レッジさんたちは、そちらに?』

「はえっ? ああ、うん。そうなんだよ」


 おずおずと手を挙げてから行われたワイズの発言にシフォンは頷く。平然と通信傍受などやっている変異マシラに、今更隠し立てすることもない。シフォンは現在、緊急特殊開拓指令という大規模な作戦が展開されていることと、その中心にレッジたちが赴いていることを話す。


『なるほど。レッジさんたちが通信途絶状態と……』

「だから、今からわたしたちが応援に行こうと思ってるんだよ」


 シフォンは自分とLettyの決戦装備を披露して語る。ついでに、カミルが詰めてくれた簡易保管庫の存在もようやく思い出して、瓦礫の中に埋もれつつも中の種瓶が損傷していないことに今更ながら安堵する。ミートの襲来で種瓶が暴発して居住区画壊滅というのは、冗談にしても笑えない。


『ふむ……。もし、シフォンさん』

「ど、どうかした?」


 何やら考え込んだ後、ワイズが話しかけてくる。まだ何かあるのかとシフォンがぎこちなく振り返ると、彼は真面目な表情で提案してきた。


『ぜひ、我々もお供させて頂きたい。我らは共にレッジさんには多大な恩がある身。あの方が窮地にあるとなれば、居ても立ってもいられません』

「はええ……」


 実のところ、彼の提案はある程度予想していた。ミートからして、急襲の理由がレッジに会いたいからなのだ。レッジ組と呼ばれる彼らは、特にレッジに対して深い信頼を寄せている。彼が助けを必要とするならば、たとえウェイドが止めてもそれを振り払って向かうだろう。

 管理者がリソースの消耗度外視で揃えた警備でも抑えられないほどの強大な力を前に、その提案を断れるほどシフォンは強くなかった。


「で、でも、どうやって行くの? マシラは公共交通機関使えないでしょ」


 せめてもの反抗で、シフォンはマシラがヤタガラスやヤヒロワニに搭乗できない点を指摘する。体格もそうだが、そもそも存在自体が危険な彼らはそれらの利用が禁じられている。

 だが、レッジ組の頭脳担当である賢者ワイズがそのことを考えていないはずもない。


『全く問題ありません。我々は下道で向かいますので』

「そっかー」


 ならばもう、何も言うまい。

 シフォンは自分には責任はないと言い聞かせて、天に賽を投げるつもりで頷いた。


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 バンドで所有するガレージに対して掛けられる保険。火災、地震、津波、隕石衝突など、様々な理由による住宅の半壊、全壊を補償する。補償額は保険の掛け金に応じる。

▶︎保険管理システムICSより注記。

 変異マシラの襲撃による建物損壊に対する対応は現在のところ協議中です。


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