第1227話「遅参二人」

「はえー。やっとログインできたよ……」


 海洋資源採集拠点シード03〈ナキサワメ〉の街角に現れたシフォンは、ぐぐっと両腕を空に突き出して背中を伸ばす。仮想現実内のシフォンと現実の志穂の体格には多少の差異があるため、ログイン直後は感覚を同期させるためにも軽く体操をすることが推奨されている。

 すでにゲーム内で遊んでいたレッジから、突発的な大規模イベント〈緊急特殊開拓指令;天憐の奏上〉が始まったという連絡を受けたのは、間の悪いことに放課後に予定がある日だった。自由参加の特別授業だったとはいえ、流石に事前申請しているものを欠席するわけにもいかず、彼女は1時間ほど悶々としながら特別講師の話を聞いていた。

 そうしてようやく解放された途端、弾かれるように教室を飛び出し駆け足で家に戻り、制服も脱ぎ捨ててベッドに横になったのだ。


「うわ、もう結構進んでる? 〈塩蜥蜴の干潟〉に〈エウルブギュギュアの献花台〉が出現して、回避不可能の即死攻撃が来て、おじちゃんがクチナシを改造したミサイル船艦で突撃して塔をぶっ壊して? うん、何を言ってるのか何にも分かんないね」


 ざっと掲示板を斜め読みして、シフォンは理解することを諦める。とりあえず、〈塩蜥蜴の干潟〉がイベントの開催地であることが分かればいい。

 現実時間では数時間ほど出遅れただけとはいえ、仮想現実内では時間の進行が加速されている。おそらく数日は経過していて、イベントも何段階か進んでいることだろう。

 FPOに限らず思考加速システムを採用しているMMOタイトルに寄せられる不満の一つが、リアルの事情で出遅れるとかなりの差ができてしまう点だった。


「とりあえず、おじちゃんに連絡を――あれ?」


 この遅れを取り戻すためにも、まずは仲間と合流したい。そう考えてフレンドリストを開いたシフォンは、そこで首を傾げる。

 レッジ、レティ、ラクト、エイミー、トーカ、ミカゲ。現在イベントに参加しているはずの〈白鹿庵〉の仲間たちが、軒並み通信不能になっているのだ。ログインしていないわけではなく、通信不能。つまり、以前の〈オモイカネ記録保管庫〉や〈窟獣の廃都〉のように通信監視衛星群ツクヨミの通信可能範囲に入っていない、いわゆる圏外の状態にあるということだ。


「おかしいなぁ。おじちゃんたち、どこにいるんだろ」


 はええ、と首を傾げるシフォン。その時、フレンドリストに並んだ名前のひとつが白く浮かび上がった。それと同時に、シフォンのすぐ隣に新たなプレイヤーがログインしてくる。


「っしゃぁ! 出遅れたけどやっとログインできた!」

「はええっ、Letty!?」


 ログイン完了と同時に歓声を上げたのは、赤いウサ耳の少女。以前、シフォンと共にこの場所でログアウトしていたもう一人の仲間だ。

 まるで示し合わせたかのように現れた彼女に、シフォンが驚愕して飛び上がる。そんな彼女に、Lettyも遅れて気がついた。


「あれ、シフォンじゃない。なんでこんなところにいるの?」


 普段は敬愛するレティのロールプレイをしているLettyだが、中身――リアルはシフォンとさほど年齢が変わらないことが最近判明した。そんなわけで二人は意気投合し、親交を深めていた。

 不思議そうに耳を揺らすLettyに、シフォンは自分もたった今ログインしてきたばかりだと伝える。


「そうだったの? まあ、今日平日だしね。いつもログインしてるレッジの方がおかしいんだよね」

「あーうん。まあ、そだね」


 Lettyはまだリアルのレッジについて知らない。そのため、FPOプレイヤーの大多数と同様に、彼を暇を持て余す中年男性程度にしか把握していなかった。シフォンもレッジの素性が素性だけに、安易に事情を説明するわけにもいかず、曖昧に頷くしかない。

 夕方とはいえ平日に突発的なイベントが発生したというのもFPO運営にはかなりのクレームが殺到しているはずだが、〈白鹿庵〉のほとんどのメンバーが直後にログインしてイベントのスタートダッシュに間に合っているのも、驚くべき話だ。


「ぎゃああああああっ!?」

「はえっ!?」


 大学生やフリーランスで時間の融通が利きやすいレティとエイミーはともかく、学生であるはずのトーカたちや自称普通の会社員のラクトはどうしているのか。などとシフォンが考えていると、突然Lettyが切り裂くような悲鳴を上げる。

 何事かとシフォンが顔を向けると、彼女はこの世の終わりのような顔をしてフレンドリストを可視化させた。


「し、シフォン……。レティさんと連絡が取れない!」

「ああ、うん。そだねぇ」

「なんでそんなに反応薄いの!?」

「わたしもさっき確認したから。多分だけど、みんな塔の中にいるんじゃないかなぁ」


 数分早くログインして、その時間で多少情報を集めていたシフォンは、涙目でよろよろと近くのベンチに座り込むLettyに、分かっている範囲で現在の状況を説明する。


「は、潜水艦? ミサイル? 船艦? え、今、原始原生生物って言わなかった?」

「まあそこは今はあんまり重要じゃないかも」


 途中、(主にレッジ関連で)ノイズがあったが、大事なのは彼らが揃って〈エウルブギュギュアの献花台〉へ突入しているということだ。今の所、彼らが死に戻って来たという話は聞かない。となれば、塔の中は通信圏外であると推測するのが妥当だろう。


「待っててください、レティさん! 今すぐ助けに行きます!」

「ちょ、待って!」

「ぐええっ!?」


 レティが塔の中にいると知り、おっとり刀で飛び出そうとするLettyの襟首を、シフォンがすかさず掴んで引き止める。潰れたカエルのような悲鳴を上げるLettyを〈ナキサワメ〉の高合成軽量樹脂舗装路に叩きつけ、じたばたともがく彼女の身体を押さえ付ける。


「今から行ってもミイラ取りになるだけだよ。NULLっていうよく分からない物質も広がってて大変らしいし、ちゃんと準備しなきゃ」

「わ、分かったから……。シフォンってたまに人の扱いがぞんざいじゃない?」


 反抗の意思がないことを示し、ようやく解放されたLettyはベンチに戻る。少し冷静さを失っていたが、シフォンの言葉も正しい。レッジたちは万全の準備をしてから挑んで、未だ帰ってきていないのだ。自分たちはそれ以上に周到な用意をしておかねばならない。


「とりあえず、一旦〈ワダツミ〉の別荘に戻ろう。装備も整えないと」

「うぐぅ。一刻も早くレティさんのところに駆け付けたいのに……」

「急がば回れ、だよ」


 いつもはレティたちから可愛がられているシフォンだが、そんな彼女もそれなりにプレイ歴は長くなった。Lettyよりも少し先輩なのである。

 彼女は少し新鮮な気持ちについ口元が緩むのを自覚しながら、Lettyと共に高速航空輸送網イカルガの発着基地へと向かう。ヤヒロワニやヤタガラスを乗り継いでいくこともできるが、今は時間が惜しい。多少金が掛かっても、ついでに安全性に若干の不安があったとしても、空路を選ぶべきだろうと考えたのだ。


「も、もしかして……飛行機乗ったりする?」


 しかし、隣を歩いていたLettyが行き先を察してか、珍しく弱気な声を漏らす。


「そうだけど、ダメだった?」


 そういえば、Lettyはこれまでイカルガを利用することを避けていたような気がする。そんなことを思い出し、シフォンは首を傾げる。Lettyはしばらく考え――おそらく陸路との時間差を比べたのだろう――覚悟を決めた表情で首を横に振った。


「大丈夫。今は一分一秒が惜しいんだもんね。これくらい、レティさんのことを思えば――」


 数分後。

 実は高所恐怖症だったLettyの悲鳴が大空に響き渡った。


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Tips

◇HS-15“ポラリス”

 〈ダマスカス組合〉によって開発された極超音速飛行機十五号機。更に機体の安全性と最高速度が向上し、非戦闘職の調査開拓員であってもかなり安心して利用できるようになった。全体を黒色の高耐久耐熱装甲で包み、俯瞰すると縦長の二等辺三角形に見える形状をしている。

 クラスⅧ人工知能を搭載した専用航行管理システムが採用されており、離着陸を含む九割以上の操縦が自動で行われる。現時点で3,000機が高速航空輸送網イカルガに編入されており、事故率は0.2%にとどまっている。


[記録が更新されました]


 〈ダマスカス組合〉によって開発された極超音速飛行機十五号機。更に機体の安全性と最高速度が向上し、非戦闘職の調査開拓員であってもかなり安心して利用できるようになった。全体を黒色の高耐久耐熱装甲で包み、俯瞰すると縦長の二等辺三角形に見える形状をしている。

 クラスⅧ人工知能を搭載した専用航行管理システムが採用されており、離着陸を含む九割以上の操縦が自動で行われる。現時点で3,000機が高速航空輸送網イカルガに編入されており、事故率は0.3%にとどまっている。


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