第1226話「落下テント」
緊急停止ボタンを押した影響か、第四階層へ続く扉はすでに開いていた。ウェイドとクチナシに注意を払いながら螺旋階段を駆け上り、俺たちは上層へと到達した。
――のだが。
「……は?」
第四階層に雪崩れ込もうとした俺たちは、その寸前で立ち止まる。
そこに何かがいたわけではない。いや、その逆だ。
何もいない。
「なんですか、これは」
レティが困惑の声を上げる。そこにいる誰もが同じ気持ちだった。
塔の内壁を伝う螺旋階段の先、第四階層に続く扉。その先に広がっていたのは――どこまでも果てしなく広がる虚空だった。
「とりあえず、落ちたらやばそうだな」
「ライトボールを落としてみましょう」
階段の先が途中から滑らかに切り取られている。そこから先は上下左右に無限に闇が広がり、まるで星空のように輝く点が散らばっていた。モミジが注意深く慎重に前に出て、懐から取り出した光るボールを落とす。ライトボールと呼ばれるそれは、深さが分からない穴を調べる際などに使われるものだ。
彼女が落とした光球は水の中を進むようにゆっくりと落ちていく。
「うわっ!?」
「どうなってるんですか、あれは」
驚きの声が上がる。
真下に落ちていたライトボールが突如真横に進路を変え、更にグルグルと複雑な軌跡を描きながら暗い空間の中を移動する。まるで見えない鳥か何かに咥えられているかのようだ。
「これはつまり、どういうことなんだ?」
不可解な動きを見せるライトボールを眺めながらカエデが首を傾げる。
「透明な存在がボールを持って飛び回っているか、もしくは――重力が歪んでいる可能性もありますね」
モミジの出した推測はにわかには信じ難い。しかし、彼女は更にパラパラと他のアイテムも投げ落とし、それらもまた複雑な水流に巻き込まれたかのような動きを見せることを示した。
つまり、この異常な空間には異常な力場が乱立していて、縦横無尽に落ち続けることになるということだ。
「流石にこれは、俺たちでどうにかできるレベルを越えてるんじゃないか?」
強敵ならばともかく、環境自体に異常が生じているのはあまりに危険すぎる。無限に落下が続くということは、下手をすれば死ねないという可能性すら出てくるのだ。
「レッジ、まずいわよ。後ろもつっかえてきたわ」
どう動くべきか考えあぐねていると、後方に立っていたエイミーから声が上がる。螺旋階段を、第三階層のガラス管から生まれた骸骨犬たちが押し合い圧し合い登って来ているのだ。
前門の空間異常、後門の骸骨犬というわけだ。
なんてことを言っている余裕もない。
「ウェイド、どうしたらいい?」
『む、ぐぅ……』
この場にいる最高権力者、指揮官のウェイドに指示を請う。だが、彼女としてもイレギュラーすぎる事態なのか、即断即決というわけにはいかない。
そうこうしているうちにも、背後からは骨が打ち鳴らされる騒音が近づいてきた。
「しかたない……。好きにするぞ」
『なっ!? ちょ、ちょっと待ちなさい。もう少しでいい打開策が――』
ウェイドの銀髪に手を置く。彼女が何か言っているが、もう時間がない。
俺はインベントリからテントを取り出した。
「『野営地設置』ッ!」
テントセットからパーツが飛び出し、次々と組み上がっていく。エイミーと光が二人がかりで骸骨犬の群れを抑えていた。だが、際限なく増える犬の圧力は凄まじく、彼女たちもじりじりと後退を余儀なくされる。
「テントに乗り込め!」
完全にテントが組み上がるまで、30秒ほど。エイミーたちがその時間を稼いでくれている間に、レティたちを内部に呼び寄せる。
居住性は完全に切り捨てた、無骨な装甲テントだ。鉄板をそのまま継ぎ合わせたような三角錐で、サイズもギリギリまで切り詰めている。
「エイミー、光も!」
「くっ!」
「光は先に行きなさい!」
移動速度の遅い光が先に撤退を始める。彼女が抜けた隙は大きく、エイミーは数匹を後方へ逃してしまった。
「きゃあっ!?」
光の背中に飛び掛かる骸骨犬。だが、その牙が彼女の華奢な肩に突き立てられる寸前、鉄塊が骨を粉砕した。
「早く行ってください!」
「レティちゃん……。ありがとうございますっ」
テントから飛び出したレティが、エイミーの脇をすり抜けてきた骸骨犬を次々と叩き潰す。その間に、光がテントに飛び込んできた。
「エイミーもこちらへ!」
「ありがとう、助かったわ」
レティが大技を繰り出し、一瞬だが骸骨犬の波を押し留める。
その隙にエイミーも身を翻し、テントの中へと飛び込んだ。
「ふおおおおっ!」
大技の余波でレティは動きが鈍っている。彼女は懸命に足を動かし、テントを目指す。
「レティ!」
手を伸ばす。
レティの指先が触れる。
その時だった。
「うおっ!?」
ぐらりとテントが大きく揺れた。組み立てが進んだことで重心が移動し、異常空間の方へと大きく傾いたのだ。
「レッジさん!」
レティが叫ぶ。だが、彼女の足はまだ最速を取り戻していない。彼女の手が遠い。
彼女の赤い瞳に涙が浮かぶ。
「『換装』“針蜘蛛”ッ!」
「えっ?」
俺は機体に仕込んだパーツを展開する。背中から八本の長い腕が伸び、それがレティの手を手繰り寄せた。彼女は虚を突かれたような顔をしていたが、すぐに腕を掴み返す。お互いにしっかりと握り合い、俺はテントごと落下しながらもレティを引き寄せることに成功した。
「ふぅ。ネヴァにはお礼を言っておかないとな」
まさかこんなところで換装パーツが役に立つとは思わなかった。これを仕込んでくれた友人に感謝しながら、俺はテントと共に虚空へと落ちていった。
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Tips
◇ライトボール
強く揉んだり衝撃を与えたりすることで発光するボール。暗闇を照らしたり、目標にしたり、その使い方はさまざま。
内部の薬品は非常に危険なので、素手では絶対に触れないでください。
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