第1223話「魅惑のボタン」

 〈エウルブギュギュアの献花台〉第三階層へと到達した。そこは、無人の部屋が並んでいた第二階層とは趣が異なり、高さ2メートルほどのガラス管が規則的に並んでいた。


「なんでしょうか、これは」


 レティがガラス管の前に立ち、中を覗き込む。中身は緑色に濁っており、詳しいことは分からない。ガラス管は天井から伸びるパイプと接続しており、何かの実験器具のような印象を抱かせる。


「これは完全に砕けてるな。中身は……蒸発したか?」


 ガラス管は全てが無事というわけではなかった。おそらくは経年劣化だろう。全体の二割程度は粉々に砕けており、中身もほとんど痕跡を残していない。


「レッジ、ちょっと来て」

「どうしたミカゲ。何か見つけたか?」


 ガラス管が林立する中を広がりながら探索していると、ミカゲが声を上げた。駆け付けると、彼は大きな制御盤のような機械の前に立っていた。

 建物と同じ白い建材で作られており、傷ひとつない筐体はガラス管とは違って年月を感じさせない。表面にはいくつもの計器類が埋め込まれているが、どれが何を意味しているのかは分からない。レングスのように高い〈解読〉スキルを持つ調査開拓員でなければ、これを解き明かすことはできないだろう。


「とりあえず写真だけ撮っとくか」


 カメラを構え、ファインダーを覗き込んだところで、ふと気づく。


「これ……まだ動いてるのか?」


 薄暗いなかで分かりづらいが、ランプが微かに色づいている。それだけでなく、メーターの指針も小刻みに揺れていた。

 シャッターを切り、画像データをパブリックデータベースへアップロードする。これで、ひとまずの役割は果たせただろう。


「下手に動かすと、大変なことになりますかね?」

「まあ大体の映画じゃロクな結果にならないよね」


 興味津々といった様子で計基盤に手を伸ばしていたレティは、ラクトの言葉で素早く腕を引っ込める。とりあえず、彼女が押そうとしていた、わざわざガラスで守られて周囲にトラ柄の警告枠が取り付けられた真っ赤なボタンは、押さない方がいいだろう。


「レッジ、すごいもんが見つかったぞ!」


 計基盤を眺めていると、カエデが叫ぶ。今度はそちらへ向かうと、彼はさっと腕を真横に伸ばして俺たちの動きを制した。


「何を見つけたんだ?」

「見てみろ」


 百聞は一見にしかず。カエデの肩ごしに、地面を見る。ランタンドローンの光をそちらに差し向けると、砕けたガラス管の足元に何かが横たわっているのに気が付いた。


「これは……」


 白く細い、骨だった。風化が進み、ほとんど砂のようになっているが、ギリギリ面影を残している。

 キツく湾曲した背骨に、折り畳まれた四本の足。体を囲むように尻尾が丸まっている。前足の上に顎を載せるように、頭蓋骨も残っていた。


「犬の骨だな」

「犬ですね」

「……狼に近いけど、たぶん、犬」


 それを見たカエデ、トーカ、ミカゲの三人は異口同音に骨の正体を看破する。


「一目見ただけでよく分かりますね」


 即座に判断した三人を見て、レティは驚いたように言う。たしかに犬は現実でも馴染み深い動物だが、その骨格だけですぐに分かるかと言われると自信はない。しかも、かなり風化の進んだものともなれば尚更だ。

 しかし、三人はこれくらい分かって当然とでも言いたげな顔をしていた。


「骨格の理解は義務教育じゃないのか?」

「一般的な畜獣の構造は、幼稚園までに習得しますよ」

「トーカたちはどんな魔境で暮らしてるんだ……?」


 少なくとも、一般人は学校でそんなことは習わないはずだろ。〈鑑定〉スキルも使わずに、よく分かるもんだ。


「……これ、もしかして、ゴーストドッグの体、かな」


 しゃがみ込んで調べていたミカゲがそんなことを言う。


「体の大きさとか、特徴が、合ってる気がする」

「ふむ? ……なるほど、首を斬った時の感触が同じになる気がしますね」


 弟の指摘を受けて、トーカは妖冥華を抜く。そして刃を骨の首元に当てて、何やら納得したように頷いた。トーカは首を斬った時の感触で個体を識別してるのか……?


「ということは、このワンちゃんはガラス管の中で飼われていたのでしょうか?」


 光が骨の側にある、中腹の破れたガラス管を見上げる。骨格の位置からして、ガラス管の中から飛び出してきた可能性は大いに有り得ることだ。

 そして、第二階層のゴーストドッグは夥しい数だった。

 俺は改めて周囲を見渡し、整然と並んだ無数のガラス管を見る。そして、思わず背筋が凍った。

 まさか、ここに並んでいるガラス管の数だけ、ゴーストドッグ――つまり霊体になった魂があったと言うことか。総数は予想すら難しい。果てしないほど大量である。


――ピロンッ


「うおっ!?」


 思わず呆然としていたその時、システムの通知音が鳴って心臓が飛び跳ねる。慌ててログを見ると、アストラからのメッセージが届いた音だった。


「なになに……?」


 おそらく、こちらが戦闘中だった場合を危惧して文章にしたためてくれたのだろう。その気遣いに感謝しつつ封を切る。そこに書かれていたのは、先ほどパブリックデータベースにアップロードした画像データの解析に関わることだった。

 どうやら〈大鷲の騎士団〉の誇る優秀な解析班が、早速計基盤を調べてくれたらしい。

 アストラの推測も交えた解析結果を読み進め、思わず笑みが漏れる。


「レッジさん? 何が書かれてたんですか?」

「レティ、一緒に来てくれ!」


 レティが怪訝な顔をしてこちらを覗き込む。俺は彼女の手を握り、急いで計基盤の方へと戻った。


「ちょ、れ、レッジさん!? そんないきなり、大胆な!」

「レッジ!? わ、わたしも!」


 後ろからラクトたちも追いかけてくる。

 再び計基盤の前にやって来た俺は、ガラスで保護されたな雰囲気を纏う真っ赤なボタンを指し示す。


「レティ、こいつをぶっ叩いてくれ!」

「えええっ!? い、良いんですか!?」


 目を丸くするレティ。俺はアストラから届いた解析結果を見せる。


「どうやらこいつは、緊急停止ボタンらしい。これを作動させればNULLの流出が収まる可能性が高いと騎士団の解析班が言ってる」

「なるほど。それなら、アストラさんたちもこちらに来られるようになるんですね」


 やはり持つべきものは頼れる仲間だ。

 第一階層から際限なく湧出するNULLは〈塩蜥蜴の干潟〉だけに留まらず、〈怪魚の海溝〉にまで広がっている。それらを全て除去するにはかなりの時間と手間が掛かるだろうが、根源を断ち切ることができれば大きな一歩となる。


「ウェイド、やってもいいよな?」


 一応、この場にいる最高権限者に確認を取る。


『そんな、レッジが事前に確認を……!? あなた、もしかして不調でも? 今すぐ帰還してフルオーバーホールした方がいいのでは?』

「なんでそんなに愕然としてるんだよ……」


 俺だってちゃんと学ぶのだ。確認が取れるなら、取っておいた方がいい。その後起こったことの責任を取らなくて済むからな。


『――分かりました。レティ、お願いします。緊急停止を発動させることができれば、この塔の調査が大きく進むはずです』


 管理者の承認が得られた。レティもそれを確認し、ハンマーを取り出した。


「それじゃあ、行きますよ!」


 おおきく振りかぶって。黒鉄の巨大なハンマーが勢いよく落とされる。あまりに過剰な打撃のように思われたが、相手は第零期先行調査開拓団の遺構だ。彼らの用意している緊急停止ボタンならば、これくらいしなければ砕けないかもしれない。


「せいやああああっ!」


 レティが吠える。

 その勢いを全て載せて、ハンマーがガラスを叩き砕いた。

 そして――。


『システム、緊急停止シーケンス実行します』

『館内の職員は速やかに避難してください』


 塔全体が大きく揺れ始めた。


━━━━━

Tips

◇謎の骸骨

 〈エウルブギュギュアの献花台〉三階にある実験施設の中で発見された正体不明の骸骨。四足獣のようだが、劣化が著しく一目見ただけではよく分からない。

 詳しい解析をするには〈鑑定〉スキルが必要そうだ。


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