第1221話「怪火の狗」

 解放された六つ首の猛犬ギガヘルベルスは多重の咆哮を放つ。


「ぐっ!?」

「きゃああっ!?」


 強力な威圧攻撃に、耐性の低い俺やラクトは体が硬直する。石のようになってしまった体では“型”を取るどころか“発生”も、その場から動くことすらもできない。そうしている間にも猛犬は力強く床を踏み締めて一息にこちらへ迫り来る。


「『勇ましき騎ブレイブ・士の雄叫びウォークライ』ッ!」


 俺たちの前に飛び出し、果敢にも猛犬に立ち向かったのは光だった。〈紅楓楼〉の盾として攻撃を一身に引き受ける彼女は、平時から高い威圧耐性を備えている。どれだけ強大な敵であっても、臆することなく動けるように。

 光は黄金の特大盾を地面に突き立て、明朗に声を放つ。自身のヘイトを急激に高めたことで、ギガヘルベルスの注目が強引に彼女へと誘導された。


「光! そいつは霊体だぞ!」


 カエデが叫ぶ。

 だが、盾の後ろに立つ少女は優雅に笑っていた。


「承知の上ですの。高貴なる身なれば、切り札の一つや二つ、持っていて当然でしょう?」


 六つの顎が大きく開き、無数の牙が襲いかかる。狙うは黄金の盾。

 光は真正面から、猛犬の咬撃を受け止める。


「『眩耀する聖騎士のパラディンズ・守護寺院テンプル』ッ!」


 神々しい光が広がり、周囲を白く染め上げる。天使の羽のようなエフェクトが光の黄金盾を包む。その直後にギガヘルベルスの頭が盾に衝突し、強烈な音が響き渡った。


「霊体を受け止めた!?」


 光の盾は物理特化型。物理的な障害をすり抜けることができる霊体に対してはほとんど意味をなさないはずだ。しかし今、彼女は間違いなく自分よりも遥かに巨大な異形の幽霊犬を真正面から受け止めている。


「初動は防ぎましたの。あとはよろしく頼みますの」


 数秒後、『眩耀する聖騎士の守護寺院』の効果が終了する。それと同時に、光はぐったりとして膝を付いた。一時的とはいえ霊体に干渉できる特殊なテクニックだ。その反動もかなり大きいのだろう。

 だが、彼女のおかげでパーティの全員が威圧から抜け出すことができた。そして――。


「咬砕流、三の技、『轢キ裂ク腕』ッ!」


 一足早く動き始めた者から順に、熾烈な反撃を繰り出していた。

 レティのハンマーが翻り、目にも止まらぬ連打を叩き込む。彼女のハンマーは聖水に濡れ、高い霊体特攻を付与されていた。だが、その効果は一時的で、15秒ほどで効果は切れる。

 レティの殴打に怯んでいたギガヘルベルスが再び暴れ始める。


「『霊獣召喚』“血塗れの鎌鼬ブラッドサイス”――」

「彩花流、肆之型、一式抜刀ノ型――『花椿』ッ!」


 瞬間、飛びかかった二つの影が同時に斬撃を繰り出す。

 二振りの小太刀による微塵斬りと、身丈を超える大太刀による一刀両断。二つの鋭い斬撃が、揃って犬の首を断ち切った。


「一本ッ!」

「まだまだぁっ!」


 トーカとカエデがギガヘルベルスの首を落とした。四つに減った犬の頭は、怨嗟の声を響かせる。


「せいやぁっ!」


 だが、猛犬が動き出す直前にその足元で激しい爆発が巻き起こった。炸裂したのは聖なる手榴弾だ。技の反動で動けないレティの代わりに、フゥが中華鍋を振って打ち込んでいる。

 すると、ギガヘルベルスの行動が変わる。グルルル、と低い声で唸り、巨体を震わせる。そして、直上へ頭を上げたかと思うと、突き抜けるような声で吠えた。塔全体に響き渡るような遠吠えだ。


「ちっ、仲間を呼ぶタイプか!」

「うひゃぁっ!?」


 その声に呼応して、周囲の壁から次々とゴーストドッグが現れる。

 頭を落としたことがトリガーにでもなったのか、ここからは大量の雑魚も交えた乱戦を強要される。


「カエデ、雑魚は俺たちに任せろ!」

「頼んだ!」


 聖水の瓶を割り、中身を槍の穂先に注ぐ。これで15秒だけとはいえ霊体と戦える力を得た。


「……僕も雑魚処理に回る」


 更にミカゲも動き出す。彼は呪文を唱え、次々と黒い炎で犬を燃やして行った。普段は対単体特化の暗殺スタイルを得意とする彼だが、呪術師としては広域群体殲滅戦法に秀でているようだ。

 彼が幣帛を振るうだけで、目に見える範囲の霊犬が爆散していった。

 流石は三術連合を取りまとめるだけのことはある。


「ぐぬぬぬっ!」

「こんなに力になれないと、ちょっとショックね」


 一方でラクトやエイミーは手持ち無沙汰気味だ。霊体に対抗できる聖水の数も限られているため、ジャブジャブと使うわけにはいかない。生身の敵がいないこの状況では、本来の能力をほとんど発揮できないでいた。

 あるいは、そんな彼女たちに活躍の場を与えようという粋な計らいなのか。


『オオオオオオオオンッ!』


 ギガヘルベルスが突如吠える。そして、他の首が大きく口を開き、灼熱の炎を吐き出した。


「うわっ、これ物理攻撃!?」

「障壁で受けられるってことはそういうことみたいね」


 それは、物体をすり抜けない物理攻撃だった。その証明にエイミーの障壁がそれをしっかりと受け止める。


「げぇっ!? 全身に炎が!」


 レティが悲鳴をあげる。

 見れば、ギガヘルベルスは自身が吐き出した炎を身に纏い、赤熱していた。その焔は激しく揺らめき、近接攻撃を主とするレティたちは近づけなくなってしまった。


「これが第二形態ってわけか!」


 霊体であることを十全に活かした第一形態。そこから大量の配下を呼び寄せた上で、炎を纏う第二形態へと移行する。今度は霊体の物理攻撃カットを維持した上で、自身は特性を変えるといういやらしい状態だ。


「ええい、犬のくせに小賢しい真似を!」


 燃え盛る炎に追われてタタラを踏むレティ。彼女は苛立ち混じりに悪態をつく。だが、どれだけクレームをつけても幽霊犬には通じない。


「レティ、少し離れてて!」


 その時、ラクトが術式を完成させる。


「『侵蝕する絶零の白牙アブソリュートゼロ』ッ!」


 白い氷が地面を走り、ギガヘルベルスに到達する。それは太い足を伝って炎を覆い、絶対零度の氷で凍つかせる。それは、炎が収まると同時に、霊体が物理空間に固定されることを意味していた。


「ナイスですよ、ラクト!」

「ふふん。わたしだって幽霊と戦えるんだよ!」


 直感的に理解したレティが勢いよく飛び出す。トーカとカエデもまた、すでに動き出していた。


「彩花流、肆之型、一式抜刀ノ型――」

「『霊獣演武:四連八撃十六波』ッ!」

「咬砕流、七の技――ッ!」


 三者三様の攻撃が刹那の間に繰り出される。

 一太刀に全身全霊を掛けた、鋭い抜刀。霊獣と共に繰り出す無限の斬撃。そして、敵を体内から破壊する崩壊の打撃。

 それらを同時に引き受けたギガヘルベルスは、全身が歪に膨れ上がる。頭が落ち、体が微塵に斬られ、そして氷と共に砕かれる。暴力が蹂躙し、理を超えた存在を完膚なきまでに破壊する。

 氷の残骸がガラガラと音を立てて崩れ落ちるなか、レティたちは大きな歓声を上げて勝利を喜んだ。


━━━━━

Tips

◇『霊獣演武:四連八撃十六波』

 〈霊術〉スキルレベル70、〈剣術〉スキルレベル80のテクニック。近接斬撃攻撃を有する霊獣と共に、目にも止まらぬ高速連撃を繰り出す武技。霊獣との深い絆が必要不可欠であり、また双方に高い技術を求める。故に、その百撃は全てを討ち倒す。


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