第1219話「幽霊を斬る人」
“ゴーストドッグ”――それが塔の内部に潜んでいた敵の名前だった。原生生物ではない。四本の脚で駆け、鋭利な牙で襲いかかる、大柄な犬に似た姿をしているが、その体は半透明で蒼白い。更に厄介なことに、それは入り組んだ壁や天井を突き抜けてどこからでも飛び出してくるのだ。
幽霊犬の名にふさわしい奇怪な存在だった。
「ひえええええええっ!」
「お、落ち着けレティ。こいつら自体はそんなに強くない!」
「そう言う問題じゃないんですよ!」
突然現れたゴーストドッグによって窮地に立たされているのはレティだった。彼女は顔面を真っ青にしてブルブルと震えながら俺の背中に隠れている。〈冥蝶の深林〉のボスである“教導のパラフィニア”を見た時もそうだったが、彼女は実体のない存在――言ってしまえば幽霊が苦手なのだ。
「あいつら、物理攻撃が九割以上効かないんですよ!」
そう。彼女が幽霊を苦手としている理由。それは、彼女の最大の武器である物理攻撃が全くと言っていいほど通用しない点にあった。
こういった敵はFPOにおいてはかなり珍しい。ほとんどの場合、敵として対峙するのは原生生物であり、実体のある存在だ。ゲーム内用語で高度残留霊体と呼ばれる存在は、“教導のパラフィニア”のようなごく一部のエネミーか、各地にある白神獣の古祠に出現するものくらで、普通にプレイしていればそうそう出会うことはない。
だからこうして不意打ちで霊体が出てきたということも、レティがパニックを引き起こす原因になっているのだろう。
実際、霊体のエネミーは厄介だ。物理が通用しない相手と戦えるのは、一部のアーツかもしくは――。
「『滅霊斬』ッ!」
三術系スキルを習得したプレイヤーの攻撃。
たとえば、霊装を纏うカエデによる激しい斬撃。“喰鬼刀・赤骨”と“呑傷刀・青虚”、二振りの小太刀による熾烈な連撃が幽霊犬の群れを切り刻む。
魂魄を扱うことに長けた〈霊術〉スキルは、特に霊体に対する強みを持つスキルだ。彼ひとりであっても、霊体相手ならば十倍の数を圧倒することができる。
「『怨嗟反転』『爆滅練呪』」
また、一方で立て続けにゴーストドッグが爆発する。それを引き起こしたのは、衣装を忍装束から陰陽師っぽい狩衣へと変えたミカゲである。相変わらず顔は仮面で隠しているが、手にはクナイや手裏剣の代わりに呪符を持っている。
彼が扱う〈呪術〉もまた、霊体に対して高い威力を発揮する。霊体というものは現世に強い恨みや悔いを残している存在であるため、その怨嗟を利用するのだ。
「ふはははははっ! 霊体は動きが鈍くて切りやすいですね! 手応えがなさすぎるのが悲しいくらいですよ!」
あと、トーカもなんか次々と斬り倒している。
たぶん、妖冥華に霊体特攻の特性でも付与されているのだろう。
「ほら、レティ。ミカゲたちが頑張ってるよ」
「うぅぅぅ」
すっかり力が抜けてしまった様子のレティを、ラクトが鼓舞する。レティもミカゲから〈呪術〉スキルのバフを受けたり、聖水というアイテムを使用すれば、ハンマーで霊体を殴ることもできるのだ。
しかし、当の本人はすっかり牙が抜かれてしまったようだ。俺の装備を握って離さない。
「『ロングスロー』ッ!」
カエデの連撃、ミカゲの呪殺、そしてトーカの乱れ斬り。だが、それにも関わらず幽霊犬の猛攻は抑えきれない。物理的な障害を無視して次々と現れるのだから、三人では到底抑えきれないのだ。
モミジが聖水を投げて牽制しているが、それも焼石に水のようだ。
「仕方ない。一旦体勢を立て直そう。ミカゲ、適当な部屋の安全を確保してくれ!」
「分かった」
このままでは埒が明かないと判断し、ミカゲに頼む。彼は早速動き出し、手近なところにあった部屋の中を爆撃して一掃。更に札を壁に貼り付けて、一時的に霊体の侵入を阻んでくれた。
「『野営地設置』ッ!」
その隙に俺はテントを建てる。それほど大きなものではないため、すぐに完成する。シンプルな山小屋テントだ。屋内にあると若干シュールだが、機能に問題はない。
俺はそこに、モミジから聖水を受け取って組み込んでいく。テントが神聖属性を獲得し、霊体を遠ざけるのだ。
「ほら、レティ。もうここは安全だぞ」
「うぅぅぅ」
言語能力まで失くしかけているレティを軽く揺さぶって気付かせる。見慣れたテントの中であることに気付いたのか、彼女はしばらくしてようやくはっと顔を上げた。
「すみません……。幽霊はどうしてもダメで……」
「こればっかりは仕方ないな」
ぺたんと力なく耳を垂らすレティ。いつもの元気もどこへやらだ。
誰にでも得手不得手はあるし、彼女に強要させることでもない。
「ログアウトするか? それか、ここで死んでアップデートセンターに戻ってもいいが」
「うぎぎ、い、嫌です! レティもレッジさん達と一緒に行きたいです!」
だが、レティはぎゅっとハンマーを握りしめて健気に言う。手足は震えて、顔色も悪いが、彼女の意思は硬いらしい。
こちらとしても、レティという戦力がいないのはかなりの痛手だ。なんとか彼女が幽霊とも戦えるように手を施したい。
「仕方ないですね……。レティ、これを」
頭を悩ませていると、トーカがおもむろに歩み寄る。彼女は幽霊だろうがなんだろうが臆せず切り掛かる勇敢さを持ち合わせているし、何か恐怖心を抑えるような秘策を持っているのかもしれない。
「あの、これは……?」
「目隠しです」
トーカが手渡したのは、黒い遮光布。それ以上でも、それ以下でもない。
「視界を隠せば、幽霊は映りません。であれば、他の敵と同じでしょう?」
「そう言う問題じゃないんですよ!」
自信満々に目隠しの有意性を説くトーカだが、レティは涙目で目隠しを叩き返す。まあ、見えないなら気配を感じ取って斬る、なんていうのはトーカにしかできない芸当だしな……。レティも耳は良いが、それだけで戦闘できるほどではない。
「それなら、俺がレティちゃんのハンマーにバフを付けてやろうか?」
「な、何かいいものがあるんですか?」
続いて立候補したのは幽霊退治のスペシャリストとも言えるカエデであった。彼の戦いぶりはレティもよく知っているため、期待に胸を膨らませる。
「一時的だが、ハンマーに“奪魂”の効果を付けてやれるぞ。そうしたらLPも回復する」
「いや、ドレイン効果があっても……」
「な、なに!? 敵を潰して回復もできて二倍お得なんだぞ!?」
あんぐりと口を開けるカエデ。やはり根本的なところが理解できていない気がするな……。
「レティちゃんは幽霊がぶっ叩けないのが怖いんだよね?」
山小屋テントの真ん中でキャンプファイヤーをして、そこで中華鍋を振っていたフゥが口を開く。いつの間にか美味しそうな中華料理がテーブルの上にずらりと並んでいる。レティは麻婆豆腐の丼を手に取りながらこくりと頷いた。
「聖水などで一時的に叩けるようにはなるんですが、それでもやっぱり気持ち悪くて……」
「まあ、霊体は物理攻撃大幅カットが最大の武器みたいなところあるしね」
物理攻撃カット能力を除けば、霊体の能力はさほど高くない。幽霊犬も、白神獣の尖兵などと比べれば優しいものだ。ミカゲ、トーカ、カエデのように対抗策を持ってさえいれば怖くない。
「聖水は一時的な処置だから、効果が切れたら終わり。……だったら、こういうのはどう?」
フゥは何か腹案がある様子で、レティに企み顔を向ける。そして、彼女は大きなリュックサックを背負っていたモミジに、とあるアイテムを取り出すように伝えた。
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Tips
◇聖水
占術師によって浄化された水。奇跡論的構造干渉理論に基づく強力な侵襲的性質転換作用を有する純粋秩序の物質的存在。カルマを大幅に下げる効果を持ち、魔除けとして非常に強い力を発揮する。ただし、非常に不安定な性質であり、清浄なガラス瓶に封入しなければ数秒で効力を失ってしまう。
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