第1216話「情報的喪失」※
全てを破壊する光輪は止まった。近づくものを無慈悲に破壊する光線も止まった。干潟を埋め尽くしていた尖兵たちは残らず消え去った。
しかし、歓声は上がらない。
「逃げろ逃げろ逃げろ! あれに触れたら終わるぞ!」
「水中だと少し速度も落ちる。今のうちに距離を取るんだ!」
代わりに聞こえるのは悲鳴。果敢に攻め立てていた調査開拓員たちは、一転、船のエンジンを最大まで動かして逃走していた。
扉が開けば中へ向かう道が続くが、それは同時にその内に留められたものも出られることも意味する。
空から落ちてきた巨大船艦によって強引に破壊された〈エウルブギュギュアの献花台〉からとめどなく溢れ出してきた黒い粘液は、瞬く間に白神獣の尖兵たちを飲み込んだ。
それの意味することを即座に察することができたのは、最前線へ至れるほどの実力を持つ調査開拓員たちの優れた判断力が故である。彼らは逡巡の間もなく撤退を即決し、鮮やかなほどの避難を開始した。
その判断は間違っておらず、今の時点で調査開拓員に被害は出ていない。だが、彼らの背後に迫る黒粘液は確実に距離を詰めている。
「船をいくつかバリケードにしろ! 荷物は全部捨てて、速度だけを優先するんだ!」
混乱が最小限に収まっているのにはもう一つ理由があった。ちょうどこの時、〈大鷲の騎士団〉の主力が上陸間近まで迫っていたのだ。騎士団長アストラの的確な指示は騎士団外の調査開拓員たちまで動かし、数百人規模での連携を確固たるものとする。彼の脅威的なカリスマ性によって、初動は完璧と言えるほどの結果を出した。
「バリケード焼失しました!」
「物質鑑定終わりません。情報量が多すぎる――いや、全くないんです!」
クチナシ級調査開拓用装甲巡洋艦一番艦には、毎秒ごとに膨大な情報が飛び込んでくる。〈大鷲の騎士団〉の第一戦闘班に所属する精鋭の情報解析専門家たちが、険しい表情で声を上げていた。
彼らは黒粘液の正体を看破するため、最新鋭の精密観測機器を使い観察をしていた。だが、いくら鑑定を行なっても黒粘液に関する情報が全く現れないのだ。鑑定対象の力が、観測者よりもはるかに高い場合、得られる情報が断片的なものになることはある。しかし、手練の解析班はそれとは状況が異なることを察知していた。
「情報が全く無いとは?」
報告を聞いていたアストラが尋ねる。
周囲の船が全速力で波を切って退避し、クチナシ級一番艦もまた全力退避の真っ最中だ。安定性を度外視した航行は、船体が上下左右に激しく揺れて、三半規管の弱いものから倒れていく。にも関わらず、金髪を揺らす彼の表情は全く曇っていない。また、手すりなどに頼っていないにも関わらず、上下反転すらする船内で二本の足で直立不動を保っていた。
「か、鑑定結果が返ってこないんです。強いて言うなら、
「情報的空白か。全く、レッジさんはいつも俺たちを驚かせてくれる」
柱にしがみ付きながら困惑する騎士団員から視線を外し、アストラは艦橋の窓から背後にある塔を見る。その口元には、ゆるやかな笑みが浮かんでいた。
「あの粘液は今後“NULL”と呼称する。管理者から何か情報がないか注意するように。簡易アイテム投擲試験の結果、あれに触れると消失することが分かっている。特にタンク諸君はあれに触れないように最新の注意を。解析班の観測では、少なくとも“スキルレベルの消失”が確認されている」
アストラが騎士団全体に向かって通達する。その内容を聞いた団員たちは、思わず身震いする。アストラの指揮による迅速な撤退劇は人的損害こそ出さなかったものの、NULLに触れた調査開拓員が皆無というわけではなかった。彼らに起こったのは単純なLPに対するダメージではなく、触れた箇所の喪失。そして、スキルレベルの減少であった。
NULLに触れると装備とスキルが消える。
この事実は、何よりも彼らを恐れさせた。この最前線へ向かうため、彼ら攻略組はそこに全ての力を注いできたからだ。ただ死に戻りするだけなら、彼らは臆さない。しかし、苦労して手に入れた装備や血の滲むような鍛錬の果てに得た力を失うことには恐怖を伴う。
勇猛果敢で知られる攻略組がすんなりと反転して逃げる判断を決めたのは、その理由も大きかった。
「現在のところ、NULLの進行を止める手立ては発見されていない。これが〈ナキサワメ〉に到達するまでのタイムリミットは、現在の概算で10日と出ている。これまでの間に、なんとかして対抗策を見つけるぞ」
「はいっ!」
絶望的な状況にも関わらず、アストラの呼びかけの多くの声が応じる。
彼らは攻略組である。
全ての調査開拓員の前に立つ、尖兵だ。
苦難など、いくつも乗り越えてきた。どれほどの傷を受けようと、立ち上がり、歩き続けてきた。なればこそ、この苦難もまた乗り越えることができるだろう。彼らはそう確信していた。
「――とりあえずのところはNULLの研究を進めつつ、レッジさんたちの帰りを待とう」
そして、彼らには希望がある。
アストラの視線の先、折れた塔に突き刺さる巨大船艦。それに乗り込んでいた男たちの安否はまだ確定していない。ということは、彼らはまだ生きている。生きて、活動を始めているのだ。
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◇名無しの調査開拓員
NULLやばすぎる
なんだこれは
◇名無しの調査開拓員
おっさんとんでもないもの出してきやがったな
◇名無しの調査開拓員
ヌルヌルのwww NULLがwww
◇名無しの調査開拓員
触れたら部位欠損とスキルレベル喪失だっけ?
やばくね?
◇名無しの調査開拓員
めちゃくちゃやばいよ。俺の200時間返してくれ
◇名無しの調査開拓員
〈戦闘技能〉昨日ようやく83に上げたのに71まで下がっちまった。デスペナよりはるかにキツい。ついでに“黒鱗の大盾+12”も消えたんだが。
◇名無しの調査開拓員
どんまい・・・
◇名無しの調査開拓員
oh
◇名無しの調査開拓員
レベル10以上減るのつらすぎるだろ
戻すのにどんだけ時間かかるんだ
◇名無しの調査開拓員
しかもレベルキャップも元に戻るからな。源石から集め直しだわ
◇名無しの調査開拓員
ひえええ
◇名無しの調査開拓員
何気に装備消えるのが一番キツい可能性あるな。
黒鱗の大盾+12とか作るのに何Mかかるんだよっていう
◇名無しの調査開拓員
金もそうだけどボスクラスのレアドロ使いまくる特大大盾だからなあ
バリテン2000匹くらい倒さんと
◇名無しの調査開拓員
えぐい
今回のイベントエグすぎる
◇名無しの調査開拓員
結局あの光輪とかはただのセキュリティだったってこと?
◇名無しの調査開拓員
エウルブギュギュアの献花台の情報更新されてるやん。
第零期先行調査開拓団の活動を支援する高度な技術研究を行う拠点であり、特に時空間構造に関連する様々な研究が行われていた。
しかし、不明な時期に突如として原因不明インシデントが発生し、施設は完全封印状態へと移行した。内部の研究員は全て喪失したと判断され、施設は放棄されている。また二次被害の拡大を防止するための影響拒絶機能が発動しており、指揮官権限保有者であっても、内部へ侵入することは叶わない。
これにより、インシデントの詳細や発生の原因、また内部の状況に関しては一切が不明である。
◇名無しの調査開拓員
〈イザナミ計画実行委員会時空間構造部門研究所〉ってのがパブリックデータベースに出てるな。まあほとんど情報はないが。
◇名無しの調査開拓員
じゃあもともと零期の施設で、なんか事故って封印状態にあったのを俺たちが強引にこじ開けたってことか?
◇名無しの調査開拓員
俺たちっていうかおっさんだけど
◇名無しの調査開拓員
いや、おっさんがやらなくても誰かしらが開けてただろうし
◇名無しの調査開拓員
あの黒粘土はなんなんだ?
◇名無しの調査開拓員
ウェイドちゃん名義で情報公開されてるわ。
要約すると触れたものの情報を吸い取るヘドロ。
◇名無しの調査開拓員
根源的存在意義って物質系スキルのテクにあるやつか
◇名無しの調査開拓員
そもそも時空間構造部門ってそこに書いてあるやつだからな
◇名無しの調査開拓員
うーわぁやばいじゃん
◇名無しの調査開拓員
なんでも破壊できる便利テクが牙を剥いてきたってことか
◇名無しの調査開拓員
とりあえずアストラがあれにNULLって名前つけて、管理者側でも承認されてる。
あらゆる鑑定スキルが効かないから、性質調べるのも大変っぽいけど、あれをなんとか防がないと十日後には〈ナキサワメ〉が崩壊するっぽい。
◇名無しの調査開拓員
それよりも先に〈ポセイドン〉がやばいんじゃないの?
◇名無しの調査開拓員
〈怪魚の海溝〉のスタンピードが強引に押さえつけられたのはいいのかわるいのか。
◇名無しの調査開拓員
活性化して出てきた原生生物が次々呑まれててなんか可哀想だったわ
◇名無しの調査開拓員
とりあえず全裸になって飛び込んでみた。
完全に機体消えるとセンターの緊急バックアップで蘇るけど、スキルは全部レベル0になる。ついでに手持ちの金も消し飛んだ。
◇名無しの調査開拓員
ファーーーーーーwwwwww
◇名無しの調査開拓員
金も消し飛ぶんやば
口座は無事?
◇名無しの調査開拓員
口座は無事っぽい
ただちょっと奇妙なのが、センターでバックアップ取った後に買い物してから消失すると、購買記録自体も消えるっぽいんだよね。試しに友人に露店だして貰って適当に買ってから死んだら、買ったアイテムは消失じゃなくて友人の手元に戻ってた。友人に渡った売り上げは消えた。
◇名無しの調査開拓員
なんか複雑だな
◇名無しの調査開拓員
バックアップ取った後の行動が全部リセットされてんのか
◇名無しの調査開拓員
情報的に消えるってそういうことなの?
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Tips
◇NULL
〈最重要奪還目標地域;エウルブギュギュアの献花台〉内部より噴出した黒色で粘性のある液体。その詳細はまったく不明であるが、接触した物質が全て根源的存在意義のレベルで破壊、消失することのみが判明している。
物質的に存在する情報的な空白。故にNULLである。
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