第1215話「避難勧告」

 白い塔が砕け、その内側から漆黒の粘液が勢いよく流れ出した。とめどなく溢れ出すそれは、瞬く間に白神獣の尖兵を覆い、押し流す。俺たちと戦っていた時ですら言葉を発しなかった尖兵たちが、苦悶の表情を浮かべて悲壮な叫びをあげている。それを聞きながら、俺たちは愕然としていた。


「れれれれ、レッジさん、これもしかして、めちゃくちゃヤバいやつですか!?」


 特に動揺しているのは、ハンマーで塔を壊したレティだ。顔を真っ青にして震える彼女の肩を抱き、大丈夫だと語りかける。


「まだ何も分からん。今は落ち着いて行動を――」

『総員、今すぐ退避してくださいっ!』


 だが、俺の声を遮って誰かが叫ぶ。視線を巡らせると、血相を変えたウェイドが見たこともないような目をして拳を握りしめていた。


「ウェイド」

『四の五の言わずに早く! あれには指先たりとも触れてはいけません。早く逃げて!』

「っ! 分かった。全員、ここから逃げるぞ!」


 いつもとは違う気迫のウェイドに、あの粘液の恐ろしさを知る。彼女は管理者だ。俺たちの知らない情報も多く持っている。そんなウェイドが即座に撤退を判断するということは、それだけの必要があるということ。

 最悪、機体を放棄して死に戻ることも考えていたが、どうやらそれも許されない。

 ウェイドの強い指示を受けて、俺たちはすぐさま動きだす。とはいえ、すでに粘液は広範囲へと広がっているし、クチナシは衝突の衝撃で半壊している。逃げ道を見つけるのは困難だ。


「『氷壁』ッ! ええっ!?」


 干潟に広がる粘液の上に足場となる氷を生成しようとして、ラクトが困惑する。彼女の術式は即座に破綻し、氷の形を取る前に砕けてしまったのだ。

 その様子を見ていたウェイドがぎゅっと唇を噛み締める。


『無駄です。その粘液は術式を著しく破壊する能力を持っていますから』

「なにそれ!?」


 目を丸くするラクト。エイミーが防御機術の障壁を触れさせてみると、それもまた一瞬で崩れてしまった。機術属性の攻撃に高い耐性があるとか、そういう話ではない。あれに少しでも触れたアーツは、そこから崩壊するのだ。


「とりあえず、みんな船尾の方に。少しでも時間を稼ぐんだ」


 船首から塔に突っ込んだクチナシは、船尾が高く空に向かって聳えている。粘液がそこまで到達するのには、まだ多少の時間が掛かりそうだ。俺はラクトとウェイドを両脇に抱えて、傾いた甲板を駆け上る。レティたちは素早くそれに追随する。


「でも、このままじゃジリ貧よ」

「どこにも逃げ場はないんじゃないか?」


 エイミーとカエデが走りながら話しかけてくる。二人の言う通り、船尾へ逃げるのはただの遅延にしかならない。すでに黒粘液は見渡せる限り干潟の全てにまで広がり、ポップした原生生物を次々と飲み込んでいる。ここから飛び降りることもできないだろう。

 そのことを承知した上で、俺はウェイドに情報を求める。


「ウェイド、あれは一体なんなんだ。触ったらどうなる?」

『……分かりました。説明しましょう』


 船尾へと到達し、ひとまずの時間が確保できた。

 俺の腕から降りたウェイドは周囲に集まった面々を見渡しながら口を開く。


『とはいえ、我々管理者もそう多くのことを理解しているわけではありません。確かなことは、あの黒い粘液が全ての生命、および機械に対して非常に有害な物質であるということです』

「全ての生命および機械ね」


 生命にだけ有害なのであれば、俺たちには関係ない。調査開拓用機械人形は、スキルシステムによって高い汎用性と極地行動能力を有している。

 だが、彼女は機械もあの粘液の影響を受けると言った。


「あれに触れたら、どうなるのでしょうか」

『情報を吸われます』


 トーカの問いに、ウェイドは端的に答えた。

 だが、その意味することをすぐに理解できたものはいない。奇妙な返答に首を傾げる俺たちを見て、ウェイドは詳しく説明する。


『あの粘液は、“触れたものの情報を吸い取る”という能力を有しています。これにより、あらゆる物質が根源的存在意義のレベルで崩壊するのです』

「根源的存在意義って、それはもしかして……!」


 何かに思い当たるレティ。ウェイドが頷く。


『そう。レティさんが使用した『時空間波状歪曲式破壊技法』と同じ力を持っているのです』


 それを聞いて愕然とする。

 『時空間波状歪曲式破壊技法』は、〈破壊〉というスキルに唯一存在するテクニックだ。その能力を簡単に言い表すならば、絶対破壊。たとえ非破壊オブジェクトに指定されている物体であったとしても、多大な負荷を代償に破壊することができる。

 〈破壊〉〈切断〉〈貫通〉という三種の物質系スキルにはそれぞれこの絶対的な破壊能力を持つテクニックがあり、それが調査開拓活動において強い威力を発揮していた。

 そんな『時空間波状歪曲式破壊技法』のフレーバーテキストに、“根源的存在意義”というキーワードが記されている。この破壊技法は、“多次元に渡る時空間そのものに干渉する特殊波形衝撃を放ち、物質をそのの段階から破壊する”という言葉で能力が表されているのだ。


「それじゃあ、あれに対抗する策はないのか」


 一縷の望みをかけて問う。だが、ウェイドは苦しげな表情をしながらこくりと頷いた。


『今の我々には、あれに対する対抗策はありません。ただ、希望が全くないというわけでも、ないのです』


 ウェイドが言う。

 彼女は半壊した〈エウルブギュギュアの献花台〉に目を向けて、何かを決意した瞳をした。


『この、全ての情報を破壊するという技術について研究することが、あの塔の本来の役割です。――〈エウルブギュギュアの献花台〉、その本来の名前は、〈イザナミ計画実行委員会時空間構造部門研究所〉なのです』


 時空間構造部門。

 これもまた『時空間波状歪曲式破壊技法』のフレーバーテキストに記されていながら、これまで全く意味の理解されてこなかった文言だ。その名称から調査開拓団の一部門であることは推察できるものの、それ自体がこれまで存在しなかったのだ。

 ウェイドの言葉が正しければ、この白い塔が時空間構造部門の本拠地であると言える。


「この粘液に対処する方法も、あの塔の中に?」

『……その可能性は、すでに検討していました。しかし、内部の調査には多大な危険が予測されるため――』

「だったら、行くしかないじゃないか」


 ウェイドが目を見開く。これまでの話を聞いていたのかと視線が詰める。だが、俺は彼女に対して真っ直ぐに視線を送り返した。


「ここで手をこまねいていても事態は好転しない。それに、こうなったのは作戦を立案した俺の責任だ。……自分のやった事は、自分で責任を取るよ」


 ウェイドが唖然としている間に、レティがぴょこんと飛び跳ねる。


「レティも実行犯ですからね。お供しますよ!」

「わ、わたしだって!」

「ふふふ。触れれば破壊される粘液は、どうやったら斬れるんでしょうね?」

「まったく、みんなバーサーカーなんだから……」


 次々と手を挙げるのは〈白鹿庵〉の面々。いや、〈紅楓楼〉の四人も誰一人臆していない。


『わたしも行く。ここにいても、危ないだけでしょ』


 更にクチナシまで参戦を表明する。いや、彼女も共にここまでやってきたのだ。

 俺たちを見て、ウェイドは瞳を揺らす。そして、こちらの意思が固いことを知ると、小さくため息をついた。


『馬鹿な方々ですね……。あなた方に任せて、自分だけ逃げることも、できないじゃないですか』


 そう言って、ウェイドは再び塔を睨んだ。


『――これより、〈エウルブギュギュアの献花台〉の調査を行います』


━━━━━

Tips

◇〈最重要奪還目標地域;エウルブギュギュアの献花台〉

[閲覧権限がありません]

[管理者T-1により、閲覧権限が付与されました]

[当該記録の閲覧が許可されます]

[情報機密クラスⅥ:許可なく閲覧した者は自動即応抹殺措置によって消却されます]

[当該記録に関連する全ての記述は情報保全検閲システムISCSによって監視され、情報漏洩のリスクが確認された際には即時の情報焼却プロトコル“鳥葬”が実行されます]

[当該記録の閲覧者には調査開拓団規則第三条における最大機密保持遂行責任が課せられます]

[全ての確認事項を完全に把握し、了承した場合のみ、閲覧を続行してください]


Y/N


[当該記録を開示します]

[当該記録の情報隠蔽措置を解除します]


◇〈最重要奪還目標地域;エウルブギュギュアの献花台〉

第零期先行調査開拓団の壊滅、および空白の3,000年の原因を解明する重要な手がかりが存在することが示唆される遺構。第零期先行調査開拓団員エウルブ=ギュギュアによって建設、管理が行われていた。

その全体規模は現在も不明であり、これに関する情報は全て管理者ブラックダーク、管理者ポセイドン、管理者コノハナサクヤ、管理者オモイカネからの断片的な記憶から得られた。その信憑性に関しては現在も極秘の調査が続けられている。

第零期先行調査開拓団の活動を支援する高度な技術研究を行う拠点であり、特に時空間構造に関連する様々な研究が行われていた。

しかし、不明な時期に突如として原因不明インシデントが発生し、施設は完全封印状態へと移行した。内部の研究員は全て喪失したと判断され、施設は放棄されている。また二次被害の拡大を防止するための影響拒絶機能が発動しており、指揮官権限保有者であっても、内部へ侵入することは叶わない。

これにより、インシデントの詳細や発生の原因、また内部の状況に関しては一切が不明である。


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