第1186話「精彩な世界」

 民間警備会社〈シークレット〉特殊警備部門長、特別警護対象警護担当官、花山。彼女の一日は非常に退屈で、それでいてストレスフルだ。


「おはようございます、イチジクさん」

「花山と呼びなさい」


 早朝。清麗院グループが所有する巨大な医療都市の一角にひっそりと身を置く最先端科学技術研究所、仮想現実没入技術開発研究実験観察室にいくつもの煩雑な認証をパスして入り、その最奥で厳重に封印されている警護対象の様子を確認する。


「状況は?」

「問題ありあせん」

「だといいんだけど」


 夜間の警護任務を行なっていた職員から引き継ぎを行う。記録されたバイタルデータ、施設の電源監視記録、イントラネットアクセスログ、その他諸々の細々とした記録をざっと確認し、不審な点がないか確認しなければならない。

 特殊警備部門に配属されるのは、例えば天眼流の門下生などといった政府機関でも重用されるような優秀な人材ばかりだ。それでも、警護対象が対象だけに、油断することはできない。

 以前は「散歩してくる」といって忽然と消え、研究所内が大騒ぎになって花山の責任問題に発展しそうになった直前にひょっこりと帰ってきた。警護対象でなければ首の骨を折っていた。


「まったく、なんであの体で動けるのかすら分からないっていうのに……」

「はは、まったくですね」


 分厚い積層ガラスの向こう側、真っ白な病室の真ん中に高級なVRシェルが鎮座している。無数のケーブルが繋がった、魂の牢獄だ。花山の警護対象は、あの中に囚われている。

 枯れ枝のように細い手足に筋肉と呼べるようなものはほとんど付いていない。身長と体重の乖離が著しく、骨と皮だけ、という表現がよく似合う。医師の見解では立ち上がることすらままならないはずなのに、どうやって動いているのか。最先端科学技術研究所の生物化学系のラボが興味津々なのもよく分かる。

 彼があそこまで痩せ衰えているのは、特段花山達が食事の提供を止めているからではない。むしろその逆で、彼には高カロリーの特濃栄養液が常に供給されている。問題なのは、胸焼けするほどのブドウ糖液を接種したそばから消費してしまうという、燃費の悪さだ。


「……今日はずいぶんとバイタルが安定しているわね」


 データを確認していた花山は、記録された数値が穏やかなことに気がつく。

 警護対象は一日の大半を眠り続けているが、活動を停止しているわけではない。本人たっての強い希望でVRシェルを導入し、FPOの略称で親しまれるVRMMORPGの世界へと意識を飛ばしているのだ。

 ゲームの世界は波瀾万丈。巨大な敵に襲われたら恐怖するし、倒せば喜びが湧き上がる。感情を強く揺さぶることこそ、面白いゲームの本懐だ。

 それゆえ、彼もまた穏やかに眠っているように見えて、各種計測データには変化が現れることが普通だった。最近で言えば新たなフィールドに到達した時など、脈拍が上昇していた。

 しかし、記録されたデータを見ると、昨日の深夜帯の数値が軒並み落ち着いている。警護対象がかなりリラックスした状態にあったことがそれで分かる。


「この時間、中で何かあった?」

「えっ? そうですね……。〈白鹿庵〉のメンバーと共に〈角馬の丘陵〉で活動していたようですが」

「ゲームプレイはしてたのね? ……珍しいわ」


 穏やかな脈拍を眺めて、花山は考え込む。

 警護対象の特異性は、その頭脳にある。過去のとある事故が原因で、彼は異常な頭脳になってしまった。否、異常が開花したというべきか。常人であれば耐えられないほどの情報量の流入に、幸か不幸か耐えられてしまったのだ。

 その結果、彼は常に感覚が鋭敏となり、常人の数千倍という解像度で世界を認識してしまう。その莫大な情報を処理脳は常に過剰に動き続ける状態にあり、大量のエネルギーを際限なく欲するのだ。

 眠っている時でさえ、彼に平穏は訪れない。たとえ視覚が閉じていても、聴覚、嗅覚、味覚、触覚は封じることができない。意識が覚醒していなくても、体は過剰なほどの情報を摂取しつづける。

 閉じることのできない口に、延々と味の濃い食事を無理やり流し込まれているようなものだ。

 そんな拷問のような状況に、常に身を置いているのだ。10年以上もの長期間晒され続けると、普通は精神が崩壊する。まともなコミュニケーションが取れる状況が異常ですらあるのだ。

 仮想現実は制限されたデジタル的な刺激を供給する。世界から受ける刺激が強すぎる彼にとって、物理的な制約から解き放たれて感覚を大幅に制限される世界は唯一の楽園だ。だからこそ、研究室も彼がFPOをプレイすることを許可したのだ。

 彼とてゲームをプレイしていれば多少の喜怒哀楽を発生させる。感情の揺らぎはバイタルの乱れとなって現れる。そのはずだった。


「これだけリラックスした状態、何年振りでしょう」


 花山の指摘を受けて、研究員たちも興味を示す。

 眠っている時でさえ過敏に情報を拾っている彼は、常に興奮状態にあると言ってもいい。だが、昨夜のごく短時間だけではあるが、花山でさえ初めて見るほど、彼はぐっすりと眠っていた。


「ゲームのログ出せる?」

「持って来ました」


 該当する時間帯、彼が惑星イザナミで何をしていたのか。花山の指示を受けてすぐにログが提出される。清麗院グループと密接に連携しているこの研究室では、運営母体が清麗院家であるFPOとも繋がりがある。というより、そもそも花山が警護任務も兼ねてGM権限を持っているのだ。プレイヤーひとり、それも警護対象のログを確認するくらい容易である。


「本当に〈角馬の丘陵〉にいるのね……。何やってるの?」

「キヨウから任務を受けているみたいです。普通の任務ですよ」

「ウェイドから何か促されたみたいですね」


 ログの解析が始まり、状況が理解されていく。

 彼女たちも警護対象のモニタリングは欠かしていないが、ゲーム内で何をやっているかまでは特に気にしていない。計測データが安定していれば、それでいいのだ。

 そのため、詳しい状況を知るにはログを読み解いていく必要があった。


「ウェイドか……」


 FPO内で管理者として存在するAI搭載NPCに、花山は親近感を覚えていた。なぜかといえば、もちろん同じく振り回される可哀想な存在だからである。

 ともあれ、警護対象はウェイドの言うことは割合素直に聞いている傾向が若干見て取れると指摘されることもある、ような気がする。ウェイドが他都市の管理者が少し困っていると伝えれば、彼はすぐに動き出したのがその証左だ。

 まあ、その百倍以上の苦労を負っているので、プラスマイナスで言えばものすごくマイナスな苦労人であることには違いないのだが。


「ウェイドに促され、活動が水準を若干下回っているキヨウとサカオの支援のため、任務を受注したようですね。それで……ええと、これは」


 報告を読み上げていた職員が突然口ごもる。花山は彼からログを奪取し、内容を確認する。


「……草原でお昼寝?」

「みたいです、ね」


 監視ルームに奇妙な沈黙が広がる。

 バイタルのポジティブな異常を見つけて、ログをひっくり返して確認してみれば、まさか草原のど真ん中で友人たちとスヤスヤ眠っていただけとは。


「……コイツ、もうぽかぽかの草原で眠り続けるVR見せてればいいんじゃないの?」

「そう言うわけにもいきませんよ……」

「分かってるわよ」


 自分たちはこんなに気を張って監視を続けていると言うのに、なんだこの穏やかな寝顔は。

 花山はVRシェルに収まる男の顔を睨む。

 完全密閉され、温度も完璧に管理されているジェルの中に浮かんでいるはずの彼は、今も苦悶の表情を浮かべている。研究室の技師や精密機器の測定でも分からないほどの誤差が、針の筵のように彼を取り巻いているのだ。


「……まあ、少しでもリラックスできたのなら良いでしょう」


 彼にとって、この世は地獄だ。

 その辛さをわずかにでも忘れることができたのなら、それはとても良いことだろう。

 花山は小さくため息をついて、業務を始める。夜間の監視は特に問題なし、と判断する。


「――げっ!? イチジクさん、この人いま〈角馬の丘陵〉で“猛獣侵攻スタンピード”起こしまくってますよ!? 環境汚染が著しくて、このままでは環境シミュレーションシステムにも影響が……ッ!」

「はっ!? 何やってるのこのおっさん! あと私のことは花山と呼びなさい!」


 ゲームログを辿っていた職員が悲鳴を上げる。さっきまで穏やかだった花山は急激にストレスを受け、思わず監視ルームのガラス窓に拳を打ちつける。ミサイルの爆発にも耐えるという触れ込みの高耐久積層防弾ガラスに放射状の亀裂が走って職員たちが顔面を蒼白にするが、彼女はそれに気付かない。急いで身を翻し、監視ルームに並べてあるVRシェルの一つに飛び込んだ。


「今すぐあいつを止めてきます。場合によっては、鎮静剤の投与も許可します」

「い、いってらっしゃい!」


 怒りの形相で眠りに落ちた特殊警備部門長を見送って、監視ルームの職員たちも慌ただしく動き出す。監視業務は今日も続くのである。


━━━━━

Tips

◇“天峰のペルシア”

 〈角馬の丘陵〉に生息する非常に希少な原生生物。この地に災禍が訪れた際、救済のため天より舞い降りるという。大きな白翼を持つ優美な馬の姿をしている。

 “猛獣侵攻スタンピード”発生時、低確率で出現する。


Now Loading...

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る