第1181話「塩蜥蜴の干潟」

 〈ナキサワメ水中水族館〉は水棲原生生物の研究拠点として始動し、さっそく目覚ましい成果を立て続けに上げてきた。そのおかげで“封絶のポリキュア”の討伐方法が確立され、安定的に多くのプレイヤーが撃破できるようになっている。もちろん、その功労者には〈大鷲の騎士団〉や〈黒長靴猫BBC〉、〈七人の賢者セブンスセージ〉といった攻略組の存在も欠かせない。

 そして、〈怪魚の海溝〉のボスエネミーであるポリキュアが打ち倒されたことで、第三開拓領域〈イヨノフタナ海域〉の第二域が開放された。そこは下にも深く続いていた海溝とはまた趣を異にした、風光明媚な土地だった。


「うわぁあっ! すごい、綺麗ですね、レッジさん!」

「そうだな。ここが〈塩蜥蜴の干潟〉か」


 クチナシ型は吃水が深すぎるために接近できず、急遽ラクトに小型の蒼氷船を作ってもらって、俺たちは新天地へと降りたった。見晴らす限りの水平線は〈怪魚の海溝〉とほとんど変わらないが、俺たちはその水面に立つことができている。


「うへぇ。歩きにくいね……」

「〈歩行〉スキルがないと常にデバフが掛かってる感じなんだろうな」


 ラクトが口をへの字にして俺へ寄りかかってくる。彼女は足首まで深く、泥の中に沈めてしまっていた。

 ここ、〈塩蜥蜴の干潟〉はどこまでも続く広大な干潟だ。表面に薄く水が張り、そのすぐ下にはきめ細かいねっとりとした泥がある。うまく歩かなければすぐに沈んで、足を取られてしまうだろう。


「よいしょっと。ほら、岩のうえなら大丈夫だろ」

「えへへ。ありがと」


 一応、ところどころに平たい岩が点在しているので、ラクトもそこに乗せてやると問題なく歩けそうだ。


「しかし、綺麗なところじゃないか」

『ま、絶景なのは認めてあげるわ』


 青空に浮かぶ白い雲の群れが、水面にも映し出されている。まるで世界が二つ重なり合ったかのような幻想的な光景で、思わずシャッターを切る指にも力が入る。着いてきてくれたカミル的にはあまりそそられないのか、反応が薄味だが。


「レッジさん、見てください! 大きなエビです!」

「おおー。そんなのもいるのか」


 絶景に圧倒されていると、早速干潟を駆け出していたトーカが2メートルはあろうかという巨大なエビを背負って帰ってきた。一見すると殺風景にも思える干潟だが、泥の中には多くの原生生物が隠れているらしい。


「エビは後で船で焼くとして、もう少し回ってみるか」


 軽くエビを解体し、レティのインベントリに納めてもらう。俺が持てたらいいんだが、腕部BB0にはキツい。


「ふーん。……せいっ!」

「うわっ!? なんだエイミー」


 軽く歩いていると、エイミーが突然足元の地面に拳を突き込んだ。驚いて振り返ると、彼女は手に細長い貝を掴んでいた。


「干潟は生き物の宝庫なんて言ったりするけれど、潮干狩りもできそうね」

「おお! 楽しそうですねぇ」


 エイミーが戦果を上げたのを見て、レティもハンマーを構える。それでどうするのかと思いきや、彼女は特大武器を勢いよく振り下ろした。


「うおおおおっ! 『アルマゲドン』ッ!」

「なんて技使ってるんだ!?」


 衝撃が周囲に広がり、干潟が膨れ上がる。泥が勢いよく舞い上がり、雨のように降り注いできた。ラクトが慌てて氷の屋根を作らなければ、全身泥まみれになっていただろう。


「ほら! いっぱい取れましたよ!」


 自分は泥んこになるのも構わず、レティは眩しい笑顔ではしゃいでいる。彼女の周囲には、ハンマーの衝撃で地面から飛び出した大量の貝が散乱していた。


「め、めちゃくちゃだぁ」


 シフォンが頭に小魚を茫然と立ち尽くしている。彼女もそろそろレティの動きに慣れてきたと思ったのだが。


「レティさーん、クレーターからバカデカいハゼが!」


 その時、クレーターの縁に立っていたLettyが焦った声をあげる。彼女の背後から飛び出してきたのは、ハゼっぽい見た目をした泥だらけの大魚だ。どうやら泥中で眠っていたところを起こされたのか、ご立腹の様子である。

 大きな口を開けて、Lettyを飲み込もうとしている。


「〈塩蜥蜴の干潟〉初戦ですね! 張り切っていきましょう!」


 だが、レティたちもやる気いっぱいだ。即座に飛び出し、泥を跳ね上げながら巨大ハゼへと飛びかかっていく。


「わ、わたしも――きゃっ!?」


 彼女たちを追いかけてラクトも飛び出すが、すぐに泥に足を取られて転倒してしまう。顔面をべっとりと汚した彼女は憮然として立ち上がるが、そこへ勢いよく大量の泥が降ってくる。


「うわーーっ!?」

「ラクト!?」


 巨大ハゼが吐き出した泥をもろに浴びるラクト。体が小さな彼女は、あっという間に埋まってしまう。

 慌てて彼女を掘り出すも、全身余すことなくベトベトだ。


「だ、大丈夫か?」

「ぜんぜんだいじょうぶじゃない……」


 すっかりテンションだだ下がりのラクトである。

 しかも、この泥は全身にまとわりつくほど移動能力低下のデバフが付くらしい。全身泥ダルマになってしまった彼女は、ほとんど動くこともできない。自然に落ちるか、頑張って落とすか、どちらにしても復帰は時間がかかりそうだ。


「うわーーーっ!? なんですかあれ!?」

「ぎゃわーっ!?」


 ラクトの髪にへばりついた泥を取るのを手伝っていると、レティたちの方からも悲鳴が上がる。今度はなんだと見てみれば、巨大ハゼが宙を舞っていた。


「なんだ!?」

「シャコです! あそこにシャコが!」


 Lettyがクレーターの底を指さしている。そちらを覗いて見てみると、体長30センチほどの小さなシャコがいた。しかし、なぜか全身から白い湯気を発している。

 とてもあのサイズのシャコが、体長5メートル越す巨大ハゼを吹き飛ばせるとは思えないのだが――。


「レッジさん、伏せて!」

「うおっ!?」

「きゃあっ!?」


 その時、パンッと乾いた音がする。レティの忠告を受けて咄嗟にラクトを抱えながら泥に飛び込むと、頭のすぐ後ろを猛烈な衝撃が飛んで行った。後頭部に感じるその圧力だけで、背筋が凍る。

 そういえば、現実のシャコも結構とんでもないスペックをしていた。惑星イザナミの現世生物ともなれば、体長30センチでもかなりの破壊力を秘めているらしい。


「うぎゅぅ……」

「っと、ラクト大丈夫か?」


 ともあれ、シャコはレティたちがなんとかしてくれることを祈ろう。

 俺はせっかく泥を落としたのにまた泥の中へ突っ込むことになったラクトを抱えて、流れ弾の来ない位置へと運ぶのだった。


━━━━━

Tips

◇〈塩蜥蜴の干潟〉

 第三調査開拓領域〈イヨノフタナ海域〉第二域。広大な干潟地帯で、浅く張った海水の下に深い泥が堆積している。泥はきめ細かく粘度があり、足が沈みやすい。また、全身にまとわりつくとうまく動けなくなってしまう。

 生息する原生生物の多くは泥の中に潜むように進化しており、一見何もないように見えてもその足元には多くの生命が息づいている。


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