第1173話「異界打破」

 ――11:35、第三開拓領域〈イヨノフタナ海域〉第一域〈怪魚の海溝〉未踏破領域侵入から32時間経過。


「どすこい!」

「はっけよーーーぉぉい!」

「ぬぅんっ!」


 天候、晴天。波、低し。周囲に敵影なし。

 クチナシ型一番艦にて、有志によるヌルヌルオイル相撲トーナメント開催中。


「ぐわーーーーっ!?」

「よっしゃあ!」


 ヌルヌルオイル相撲トーナメント結果については、別途補足資料を確認のこと。


「うん。ちょっと変化がなさすぎるな」

「はい?」


 艦橋から和気藹々とした声の響く甲板を眺めながら報告書を執筆していた青年は、隣に立つ男の声に顔を上げた。


「どうかしましたか、アストラさん」


 最大手攻略バンド〈大鷲の騎士団〉リーダー、アストラ。彼は真剣な表情をして眼下に広がる大洋を見渡していた。

 ナキサワメから最新鋭の船艦を五隻も借り受け、艦隊を組んで未踏破領域へと侵攻して丸一日と半日。航海は順調で、多くの新種原生生物を発見、捕獲しながらもかなりの距離を航行してきた。

 団員たちの大半も張り詰めていた気を緩め、しょうもない遊びに興じている。

 しかし、一番艦艦長を務めるアストラだけは、一分たりとも油断せず、常に緊張を保っていた。そんな彼が、穏やかな海を見て何かに気が付いた。


「何にもなさすぎるんだよ。平和すぎる」

「はい? いいことじゃないですか」


 一番艦に乗り込んでいるのは、騎士団最精鋭の第一戦闘班だ。数千万人とも噂されるFPOプレイヤーの中でも上位1%に入るような、歴戦の猛者たちである。記録係の青年もまた、並外れた胆力を武器にこれまでずっと最前線で詳細な記録を取り続けた解析班のエースだ。

 しかし、彼らもわざわざ自ら危険を願っているわけではない。航海が順風満帆であれば、それに越したことはないと分かっている。


「いや、良くない」


 だが、彼らの団長はそうではなかった。穏やかで平和な時間が流れる今の状況を良しとしていない。

 彼は解析班が常に取り続けている記録を眺め、そこに異変がないかを確認する。だが当然、解析班のプロフェッショナルたちも目を光らせているのだ。そうそう見落としがあるはずもない。


「――総員、第一種戦闘配置」

「ッ!?」


 前触れなく、アストラが全艦に向けて通達する。

 油まみれで絡み合っていた男たちも即座に立ち上がり、迅速に動き出す。

 平穏にすぎるほど平和なこの状況でなぜ、と考えることもない。指揮系統の頂点にあるアストラが命令を発せば、それを忠実にこなすのが彼らに求められる唯一のことだった。


「団長!? 一体何が!?」


 艦橋へ飛び込んできた騎士団員たちが血相を変えて尋ねる。抜き打ちの訓練という可能性も捨てきれないが、それにしてはアストラの気迫が違う。


「本艦はすでに攻撃を受けている可能性が高い。全艦、全周囲に向けて一斉射撃」


 説明もほとんどなさないまま、指令が下る。次の瞬間にはクチナシ級一番艦から五番艦までの全てが砲塔を動かし、装填した特大の砲弾を射出する。

 轟音と共に無数の水柱が立ち上がり、穏やかな凪の海を掻き乱す。


『兄貴! 何があったの!?』

『言われた通り攻撃してるが、何を的にすりゃ分からんぞ』


 すぐに艦橋に取り付けられたスピーカーから、僚艦の船長たちの戸惑う声が届けられる。〈大鷲の騎士団〉の中核を担う副団長のアイ、銀翼の団のアッシュたちだ。彼らもまた、アストラがなぜそのような行為に走ったのか理解できていない。


「何もなさすぎるんだ。平和すぎる。これはおかしい」


 アストラは周囲の状況を睨みながら言う。


「あまりにも広すぎるし、果てがない。極め付けは、船の後ろだ」

「後ろ?」


 団員たちが一斉に艦の後方へと目を向ける。そこに見えるのは一番艦の後を追う四隻の僚艦と、五本の白い波の跡だ。


「何かおかしなところでも?」

「さっき全方位に向けて一斉射撃をしただろう」

「ああっ!?」


 アストラの一言で、ようやく団員たちも気がつく。

 海が明らかに穏やかすぎるのだ。特大の砲弾が雨のように降り注いだというのに、すでに波一つ立たない凪に戻っている。


「団長、これはどうすれば?」

「何かしらの特殊な空間に侵入したと考える。一斉射撃で何か変化は起きたか精査しろ」

「クチナシの演算リソースを使います」


 異変を自覚した途端、団員たちが動き出す。解析班は船に搭載されたランクⅨ人工知能の高い演算能力も利用して、詳細な解析を始める。


「解析結果でました。一斉砲撃を行った一瞬だけ、僅かに弾道がブレているみたいです。誤差の範疇かもしれませんが……」

「それが手掛かりだろう。攻性機術師は50cm間隔の計測爆撃を」


 アストラの指示に従い、甲板に出てきた攻性機術師たちが詠唱を始める。

 展開するのは、拳大の小さな爆発点。それを50cmの間隔で上下左右にずらりと並べていく。広範囲に網の目を張ることで、見えない存在を炙り出すために使う戦法だ。


「爆破」


 合図を受けて、爆発点が一斉に火をあげる。即座に解析班がそれを調べ、空間に異変がないかを調べる。

 一度だけでは足りない。二度、三度、と空間中に並んだ爆発点が起動する。


「解析できました!」


 隊員が歓声をあげる。


「本艦を中心に半径1km圏内の爆発点に僅かなラグが発生しています!」

「よし、敵の効果範囲が見えたな」


 得られた情報をもとに、アストラは戦略を練る。


「物質系スキルでの破壊はおそらくできるが、それでは意味がない。後続の攻略に役立つ手法を試さないとな」


 〈大鷲の騎士団〉は攻略組と呼ばれるバンドだ。誰よりも早く最前線を攻略し、その情報をより多くのプレイヤーへ知らせることを活動の基本方針としている。そのためには、使用者が限られる手法だけではダメだ。


「団長! 四番艦が正体不明の攻撃を受けています!」

「攻撃当たっていません。そもそも姿が見えない!」


 平穏が破れ、被害報告が上がる。

 アストラは静かに考えを巡らせて、そして決断した。


「魚雷をありったけ、全方位に向けて撃て」


 10秒後、海が爆発した。


━━━━━

Tips

◇高機能潤滑油

 様々な機械に使用される潤滑油。摩擦や抵抗を軽減し、損耗を抑える。これを数滴床に落とすだけで、広範囲がツルツルで立つことさえままならなくなる。

 有毒成分が含まれているため食べてはいけない。


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