第1171話「不可視の魚影」

 未踏破領域の調査開拓活動は順調に進んだ。といっても、広い海を突き進みながら立ち向かってくる原生生物をレティたちが返り討ちにして、ポイントに到着したら〈ミオツクシ〉を投下しつつ一夜を明かす、という生活だ。

 物資も潤沢で、クチナシも破損していない。順風満帆という言葉がよく似合う航海だ。


「暇です!」

「暇だねぇ」


 そして、航海が順調すぎるが故の弊害が出てきた。

 レティたちが飽きてしまったのだ。


「一体全体、この海はどこまで広がってるんですか? 普通にもう第一開拓領域を横断するくらいの距離進んでますよね」

「開拓領域の分割は、別に面積的に平等ってわけでもないらしいな」


 毎日毎日変わり映えのしない真っ青な景色に平穏な海。毎日豪勢なバーベキューはできるものの、連日シーフードではいい加減辟易としてくる。

 第三開拓領域〈イヨノフタナ海域〉はずいぶん広大なフィールドらしく、第二域どころか〈怪魚の海溝〉のボスさえ見つからない。


「レッジさーん。これ、あと何日くらい続くんですか?」

「一応、予定では一週間くらいだな」


 現在三日目。あと四日のスケジュールである。

 ちなみに各々リアルの予定もあるため好きにログアウトしているが、ログインしたら再び船上だ。それもまた鬱憤を溜める要因になっている様子だった。


「やっぱり海上にはボスはいないのかしらね」


 これまで、ネームド個体ならそれなりに遭遇したが、ボスエネミーはついぞ発見できていない。あまりにも手がかりがなさすぎるため、水中深くに潜っているのではないか、というのが有力な説となっている。


「しかしクチナシは潜れないぞ?」

『むり』


 いくらクチナシが拡張性の高い船だからといっても、流石に潜水艦にはできない。頑張ればできないこともないのかもしれないが、俺たちには改修するだけの部材がない。クチナシもはっきりと首を振っているし、そちらはまた別の船に任せるしかないだろう。

 ともあれ、俺たちの主要任務である〈ミオツクシ〉のポイント設置はあとひとつで終わる。そうすれば、来た道を戻って〈ナキサワメ〉に戻れるのだから。あともう一息だ。


「さあ、頑張ろう」

「うー。レッジさんにヨシヨシしてもらえたら動けそうです」

「どういう理屈だ、それは……」


 甲板の上で溶けているレティに呆れながら、ウサ耳の間に手を置く。赤い髪を軽く撫でてやると、彼女は驚いた顔で飛び上がった。


「ほわっ!? わ、わぁ……ッ!」

「ええ……。なんで驚いてるんだよ」


 あちらが言ったことをやっただけなのに、ものすごい反応である。少々ショックを受けてしょんぼりとしていると、レティは慌ててぶんぶんと首を振った。


「いえ、そうじゃなくて! も、もうちょっとお願いします!」


 ずい、とレティが頭を突き出してくる。

 よく分からないが、彼女がご所望ならしかたない。おっさんの手にそこまで価値はないだろうに。


「あ、あのー。わたしも……」

「ええ、ラクトもか?」


 とろけたような顔をしているレティに困惑していると、控えめに服の裾を引っ張られる。振り返ると、ラクトが緊張した面持ちでこちらへ頭を寄せてきた。

 両手でレティとラクトの頭を撫でる。なんだこれ?


「あーっ! おじちゃんが頭撫でてる!」


 そこへ船内へコーラを取りに行っていたシフォンが戻ってくる。


「シフォンも撫でてやろうか?」

「い、いいよ別に! わたしもう子供じゃないもん!」

「うぐっ」


 少し冗談の意味を込めて声をかけると、シフォンは顔を赤くしてそっぽを向く。そんな彼女の言葉が流れ弾となって当たったのか、レティとラクトが呻き声を漏らした。


「あ、ありがとうございました……」

「うん。まあ、うん……」


 二人ともぎこちない動きで後退り、そのまま離れていく。

 彼女たちもシフォンが年下であることは知っているだろうしなぁ。


「あ、あれ? わたしなんかやっちゃった?」

「いや、別にいいさ。二人ともすぐに立ち直るだろ」


 戸惑いの表情を浮かべるシフォンの頭をぽんぽんと撫でる。

 うーん、やっぱり彼女がもう少し小さい頃の方が馴染みがあるなぁ。


「レッジさーん。もうすぐポイント-κに到着しますよー」


 そんなことをしていると、船首に陣取っていたトーカが知らせてくれる。十番目のポイント、κが近づいてくる。そこに〈ミオツクシ〉のスターターキットを投下すれば、晴れて俺たちの任務は完了である。


「何事もなく終われそうで良かったな」

「なに言ってるのよ。帰るまでが遠足なのよ?」


 クチナシが徐々に速度を落としていくなか、すっかり安心し切った俺はほっと胸を撫で下ろす。思わず声を漏らすと、周辺を見張っていたエイミーが眉を寄せる。


「しかし、それらしい魚影も見当たらないしな。クチナシのセンサーにも引っかかってないし」


 クチナシは艦体の各所に高性能なセンサーを取り付けている。俺も〈撮影〉スキルをそれに接続して、船の各視点をいつでも確認できるようにしていた。とはいえ、いつ見ても広大な海しか見えないため、退屈極まりないのだが。

 ともかく、そのおかげで原生生物の襲撃があればすぐに分かる。分かってしまえば、あとはレティ先生たちの出番だ。


「仮にも最前線のフィールドが、そんな簡単に帰してくれると思わないんだけど」


 しかし、そんな俺とは裏腹にエイミーはなにやら不穏な予感を抱いているようだった。タンクとして〈白鹿庵〉を守る責任でも感じているのか、少し前からずっと熱心に海を見つめている。


「何かあったらクチナシがすぐに知らせてくれるし、エイミーは一旦休んで――」


 常に気を張っている彼女を和ませようとそう提案した、その時だった。


「うわあああっ!?」

「きゃあっ!?」


 突如、船が大きく揺れる。

 驚く俺をエイミーが咄嗟に掴み、船の外へ投げ出されないように甲板へと押し倒した。


「レティ、トーカ!」

「無事です!」

「ミカゲのおかげですね」


 すぐさま、船首にいるレティたちの安否を確認する。

 二人ともミカゲが糸で掴まえて、甲板に戻されていた。

 ラクトやシフォン、Letty、そしてクチナシ-17も無事なようだ。全員が揃っていることに安堵しつつも、俺は立ち上がって状況を確認する。


「クチナシ、なにがあった?」

『右舷に強い衝撃。各種センサー類に異常なし。装甲問題なし。しかし、衝撃の発生源は不明』


 俺の要請にクチナシが端的に答える。


「つまり、何にも見えてないのに衝撃だけが来てるのか」


 右舷の船縁に向かい、周囲を見渡す。しかし、何か強い力を放つようなものは見当たらない。


「レティ、トーカ、Letty、臨戦態勢は整えておいてくれ。エイミーはいつでも障壁を展開できるように。ラクトは船の周囲に氷塊をできるだけたくさん浮かべてくれ」

「分かりました」

「了解」


 甲板の上が緊迫した空気へと切り替わる。

 ラクトが船の周囲に氷を浮かべ、何かが接近した際に気付けるようにしてくれた。

 敵の正体は不明だが、可能性はいくつかある。一つは俺たちの認識の範囲外から、つまりはるか彼方からの狙撃。とはいえ、センサーが何かを感知する前に到達する弾速というのは、現実味がない。

 もう一つの可能性として考えられるのは――。


「うおわっ!?」

「またっ!?」


 再び船が大きく揺れる。今度は左舷からだ。

 ラクトの浮かべた氷を見るも、ほとんど微動だにしていない。そもそも、船が大きく揺れたことで起こった波以外が、水面にない。


「これはちょっと、厄介かもしれないぞ……!」


 残る可能性。それは、全く不可視の透明な幽霊のような敵からの攻撃を受けているというものだ。


━━━━━

Tips

◇『なでなで』

 〈調教〉スキルレベル5のテクニック。手懐けた原生生物を撫でることでスキンシップをとる。調査開拓員には効果がない。

“あら〜〜かわいいでちゅわね〜〜♡♡♡”――アニマルショップ〈ピンクの肉球〉店主ゲンゴロウ


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