第1165話「大海原へ征け」

「――というわけで、これから〈怪魚の海溝〉奥地へと向かいたいと思います」

「どういうわけですか」


 仕上げが着々と進んでいる〈ナキサワメ〉の一角、〈怪魚の海溝〉の洋々たる海を望む港湾区画に集められた〈白鹿庵〉の面々は更なる説明を求めてきた。


「さっきも言った通りだよ。ミートたちを海水浴に連れ出したのがバレて、ウェイドにペナルティとして〈怪魚の海溝〉の未踏破区域を調べてこいって指示されたんだ」

「何度聞いても分かんないねぇ」

「何やってたのよ、本当に」

『バカなの?』


 ラクトもエイミーも肩を竦め、シフォンに至ってはもはや聞いてすらいない。

 レティ、ラクト、エイミー、トーカ、ミカゲ、シフォン、Letty、そしてカミル。久しぶりに〈白鹿庵〉が全員集まったというのに、あまりにもいつも通りすぎて拍子抜けだ。


「ウェイドさんもなんだか味をしめていませんか?」

「とりあえずレッジを行かせれば、何かしらの成果が出ると思われてそう」


 トーカとミカゲが何やら囁きあっている。ウェイドからはたしかにペナルティという名目だが、具体的に何か成果を挙げろとまでは言われていない。とりあえず、地図を作らないまでも、調査開拓員が踏み入れたという実績を作ればいいらしい。


「でも、〈白鹿庵〉だけでの探索は久しぶりだね」


 波止場でカモメと戯れていたシフォンが、妙にぷにぷにした一羽を抱えたまま戻ってくる。

 彼女の言う通り、〈白鹿庵〉だけで活動するのは久しぶりだ。先日の第二次〈万夜の宴〉はアストラを筆頭にした大軍勢の中に紛れていたし、イベント終了後はなかなかメンバー同士の予定が合わなかった。俺がカミルを連れて回っていたのも、他のメンバーがリアルで忙しそうにしていたからだ。


「そういえば、ネヴァは加入しなかったんだね。てっきり〈白鹿庵〉に入るのかと思ってたけど」

「ああ。そういう話もしてないわけじゃないんだけどな」


 ネヴァはFPOのプレイ当初から付き合いのある名うての職人だ。俺だけでなく、レティや他のメンバーも合わせて〈白鹿庵〉そのものが彼女の助けを借りてきた。それに先日のイベントで彼女は〈戦場鍛治師バトルスミス〉という複合ロールに就いてまで、俺たちを助けてくれた。

 そんな縁もあって、俺も彼女に〈白鹿庵〉のメンバーにならないかと誘ったのだが……。


「自分は無所属の方が気軽だからいいとさ」

「そう? ま、レッジは外から見てるぶんが一番面白いしね」

「ええ……」


 ラクトが猫のように笑う。見ていて面白いのはレティやトーカの方だと思うんだけどなぁ。


「とにかく、今日は9人と1匹だけだ。みんな油断しないでくれよ」


 日向の方で丸くなってスピスピと寝息を立てている小鹿を見ながら。白月は相変わらず俺の後ろをピッタリついてくる癖に微塵もやる気を感じられない。

 白神獣の幼体――“神仔”と呼ばれる特殊な存在も、〈白神獣の巡礼〉イベント後から多くのプレイヤーと契約を結んできた。〈調教〉スキルがあれば神仔もスキルレベルを上げて頼もしい相棒となるのだが、あいにく俺はそんな余裕がないためただのマスコットになっている。

 というか、白月はレベル関係なく使える『夢幻の霧』と『幻惑の霧』が便利すぎるんだよなぁ。


「じゃあ、とりあえず蒼氷船作るね」


 いよいよ出発となり、ラクトが張り切って動き出す。だが、俺は彼女を引き留める。


「すまん、ラクト。今回は蒼氷船はいらないんだ」

「えっ? そうなの?」

「船を借りてるんだよ。ラクトにはアタッカーをしてもらいたいしな」


 桟橋に停泊している船舶のうち、立派な装甲船を指し示す。未踏破領域への進出ということで、ナキサワメがレンタル料金を割り引いてくれたのだ。


「ふーん。了解」


 肩透かしを食らったようなラクトだったが、すぐに納得してくれた。

 なんだかんだ蒼氷船は俺とラクトとエイミーがいないと成り立たない。普通の海なら別にそれでもいいが、流石に最前線へと挑むには心許ない。


「でも、なんだか意外ですねぇ。〈怪魚の海溝〉の未踏破区域って呑鯨竜のいた珊瑚礁地帯よりも向こうのことですよね? 〈大鷲の騎士団〉なんかがもう詳細な地図まで作ってそうですけど」


 船に荷物を積み込みつつ、レティがそんなことを言う。


「実際、アストラたちも頑張ってるみたいだぞ」


 攻略最大手である〈大鷲の騎士団〉が未踏破区域を放置しているはずもない。彼らは〈万夜の宴〉が終わる前から、すでに〈怪魚の海溝〉の西方へと進出していた。もちろん、他の攻略組も競うように繰り出している。


「問題はそれでも未踏破区域が残っているってことなんだ」

「はぁ……。つまり?」

「バカ広いフィールドってことだよ」


 第三開拓領域〈イヨノフタナ海域〉。その一番の特徴は、個々のフィールドがそれまでの比ではないくらいに広いことだと言われている。

 領域拡張プロトコルを推進することを目的とした〈万夜の宴〉を経てなお、まだ全容が見えないほど広大な海は、縦にも深い。それにより、ただ地図を埋めるだけでも多大な労力がかかる。


「〈ナキサワメ〉が完成して拠点機能が整ったら、効率よく調査できるようになるんだろうけどな。今はとにかく人手が足りないんだ」

「レティたちは猫の手ってことですか」


 少しつまらなさそうに唇を尖らせるレティに苦笑する。

 実際、これだけの期間を経てなおボスエネミーの発見どころかフィールドの終端すら見つかっていないのは異常と言わざるを得ない。猫の手だって借りたいところだろう。だからウェイドもわざわざ俺たちを探検に向かわせているのだ。

 広大なフィールドを探索するというのは、純粋に物資の問題が顕在化する。わざわざ蒼氷船をやめて船を借りたのも、少しでも長く航海するためだ。

 俺はフィールドで休息が取れる〈野営〉スキルや〈料理〉スキルを持っている。カミルもいるし、とりあえず食事は問題ないだろう。装甲船も9人と1匹には大きすぎるほど立派なものを借りられたので、かなり大量の物資も積み込めた。

 これなら、かなり長い期間を探索に充てられるはずだ。


「ウェイドもレッジさんの活動継続能力を見越して指示したんでしょうか」

「それもあるだろうな」


 テントは長期間のフィールド活動のためにあると言っても過言ではない存在だ。ウェイドがそれを加味していないわけもない。


「昔は『フィールドでテント張るとか、普通に町に帰って休めばいいじゃん(笑)』なんて言われたもんだがな……」

「めっちゃくちゃ初期の〈野営〉スキルへの評価じゃないですか」


 いつまで根に持ってるんですか、とレティが呆れる。

 実際今まではスサノオやらワダツミやらアマツマラやらと言った拠点がかなり間隔を詰めて置かれていたおかげで、どこに出かけても日帰りで十分活動できたのだ。そのせいでテントの存在意義が疑われていた。

 今だって、テントの真価が完全に知られたわけではない。俺とネヴァで開発した装甲テントなんかが有名になったせいで、むしろ本来の役割が忘れられている節すらあるのだ。


「つまり、今回の作戦はテントの真価を発揮するまたとない機会というわけだ! 気合い入れていくぞ!」

「おー」


 全然みんなテンションが上がっていない。

 唯一レティだけが棒読みながら拳を上げてくれた。


『力説してる暇があったら木箱の一つでも運びなさいよ』

「腕力ゼロには酷なんだよ……」


 粛々と荷物の搬入を手伝ってくれていたカミルに冷淡な声を掛けられ、俺はしょんぼりとしながら船に向かう。

 何はともあれ、出航である。


━━━━━

Tips

◇クチナシ型調査開拓用装甲巡洋艦

 海洋フィールドの未踏破領域調査開拓のために開発された大型装甲巡洋艦。定員は250名。大型ブルーブラストエンジン24基、大型ブルーブラスト増幅動力炉3基を搭載し、最大45ヶ月間の無補給航行が可能。艦体管理システムSCS-クチナシを備え、〈操作〉スキル80以上の調査開拓員2名での操船が可能となっている。また、200m圏内を射程とする近接防御システムを搭載し、軽度の原生生物襲撃には自動的に対応可能。船体各所に合計で2,000以上搭載された各種センサー類と接続することで、より柔軟な運用も可能。

 設計は造船専門バンド〈すっげぇ緑のクソデカタンカー運輸局〉、製造は〈プロメテウス工業〉によって行われている。

 同型のクチナシ型は現在十七番艦までが製造され、海洋資源採集拠点シード03-ワダツミに配備されている。将来的には50隻まで造艦される予定となっている。

“〈剣魚の碧海〉の調査開拓活動で活躍したヒナゲシ型調査開拓用装甲巡洋艦の後継艦です。より広大かつ過酷な海洋フィールドの探索のため、耐久性と巡航能力を強化しました。船体の大部分に高度上質精錬合金を使用しているため、非常に高価な船となりましたが、価格以上の能力をお約束します”――クチナシ造艦計画責任者ナキサワメ


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