第1164話「管理者のお仕事」
――指揮官の朝は早い。
というか、そもそも指揮官は眠らない、休まない。指揮官の本体は惑星イザナミの静止軌道上に停泊している開拓司令船アマテラスに存在する中数演算装置〈タカマガハラ〉であり、その職務は24時間365日(惑星イザナミ標準時刻換算)で調査開拓団の指揮を取ることであるからだ。
そのため、たとえT-1、T-2、T-3の三体が外部端末を休止状態にしていたとしても、それは指揮官が職務を遂行していないということではない。
『おはようなのじゃ』
惑星イザナミ標準時刻06:00。指揮官T-1の外部端末が起動する。タイプ-フェアリーとタイプ-ライカンスロープ・モデル-ヨーコのハイブリッドという特殊な機体を動かし、彼女は居候していた地上前衛拠点シード02-スサノオのアップデートセンターから出る。
指揮官は管理者とは違い、特定の拠点というものを持たない。各地に同等の指揮官機体が存在しているため、どこへでも行けるのだ。それでもT-1が〈ウェイド〉を拠点としているのには重大な理由があった。
「お、T-1ちゃん! 今日も早いね」
『うむ。やはり朝はショコラ抹茶あんみついなりが一番なのじゃ。渋い茶も一緒に頼むのじゃ』
「はいよっ」
〈ウェイド〉の商業区画の一角にある和洋菓子〈天使の武士道〉。そこで朝6時から1時間限定で販売されるショコラ抹茶あんみついなりを食べなければ、彼女の一日が始まらないのだ。
待ち構えていた店主に慣れた様子で注文したT-1は店の奥にある座敷へと上がりながら、通信監視衛星群ツクヨミのネットワークに接続する。〈タカマガハラ〉とのデータリンクを行い、本体が収集と整理を行なっていたデータを閲覧する。行ってしまえば、朝食前に新聞を読むようなものである。
T-1はそこから現在の調査開拓団の状態を確認し、今日の計画を立てていく。
『なになに。〈マシラ保護隔離施設〉で大脱走発生、深夜4時に収束。〈植物型原始現世生物管理研究所〉で大規模収容違反発生、深夜2時におおかた収束。なお未回収のものが1種存在。〈アマツマラ地下闘技場〉で調査開拓員が立て続けに天井へ突き刺さる怪事件発生。――ふむ、いつも通りじゃのう』
テーブルに置かれた湯呑みを手に取り、T-1は和やかな表情で息を吐く。
今日も調査開拓団はいつも通りの波乱万丈具合である。
「おまちどう。ショコラ抹茶あんみついなりだよ」
『おほー! いつ見ても素晴らしいのう!』
さほど間をおかず、ショコラ抹茶あんみついなりが届く。大きな重箱にぎっちりと詰められたいなり寿司に、たっぷりとホイップクリームとチョコソースがかけられ、白玉や餡子、寒天で飾られた華やかないなり寿司である。おあげの中に包まれているのは濃厚な抹茶とチョコレートで、見るからに甘そうな糖分の塊だ。
T-1は頭に流れ込んできた情報の処理を一旦やめて、目の前のおいなりさんに集中する。やろうと思えば食べながらでも問題なく業務を遂行できるが、それは彼女のポリシーに反するのである。
『おいなりさんと対峙する時は、真剣にならねばならぬのじゃ。一人で、静かで、誰にも邪魔されず、ただ己とおいなりさんのみがそこに在ると……』
たっぷりのホイップクリームとチョコソースに絡めながら、おいなりさんを頬張る。
頭を直接殴りつけるような強烈な甘さは、〈オリゴ糖ありがとう〉というバンドが開発した超高糖度素材によるものだ。
この町の管理者であるウェイドが菓子に関連するあらゆる事業に補助金を注いでいることもあり、商業区画には〈天使の武士道〉以外にも多くの菓子店がひしめいている。
『――ごちそうさまでした、なのじゃ』
完食。
総重量6kgのショコラ抹茶あんみついなりがペロリであった。
『さて、とりあえずお仕事じゃのう。とりあえず、ウェイドから来ておる再発防止策を確認して……』
朝食を食べ終えたT-1は〈天使の武士道〉の店主に礼を行って退店する。歩きながらも思考は猛烈な勢いで回転し、次々と溜まっていた仕事をこなしていく。
調査開拓団員に直接的に関係するような業務は、すべて管理者が管轄である。そのため、指揮官の業務は管理者から上げられた許認可などが大半を占める。
深夜に発生したトラブルの顛末と、それを経て作成された再発防止策を確認し、それが妥当であれば予算の増額を許可する。そうした場合、割り当てていたものを再構築し、全体の収支を整えなければならない。
リアルタイムにピースが変形している複雑なパズルを次々と繋ぎ合わせていくような、途方もない作業である。
『む、これは新商品ではないか?』
「あらT-1さん、お目が高いわね。今日から発売のひとくちいなりよ。良かったら一箱どうぞ」
『おほーっ! これはこれは……。うむ、当然代金は支払うのじゃ』
「そんないいのに。T-1さんが食べてくれるだけでも結構な宣伝になるし」
『そう言う話ではないのじゃ。では!』
――だから、指揮官が露店で売っている一口サイズの稲荷寿司30個セットを抱えてパクついていても、仕方のないことなのである。
「T-1ちゃん! うちのおいなりさんも見てってくれよ!」
「新作作ったんだよ、ぜひ食べてくれ!」
「7875万目いなりだよ!」
『おほーっ!』
T-1が商業区画の目抜き通りを歩くだけで、軒先に次々と調査開拓員たちが現れる。彼女を待ち構えていた職人たちが、ここぞとばかりに自身が作った渾身の稲荷寿司を差し出すのだ。
指揮官は膨大な業務を猛烈な勢いで処理しながら、同時に膨大ないなりを猛烈な勢いで食べていく。工夫を凝らした変わり種から、素材にこだわった基本形まで、多種多様な稲荷寿司である。T-1はそれらに舌鼓を打ちながら、おいなりさんレビューも記録していく。
「よっしゃ、星3つだ!」
「くそぉ! 星2.5か……!」
「星5だ」
「「「何ィィィッ!?」」」
おいなりさんレビューとは、T-1が指揮官業務のかたわらで趣味として綴っている稲荷寿司の品評である。趣味とはいえ、中数演算装置〈タカマガハラ〉の強力な計算能力によって弾き出された評価は非常に信頼性が高く、いなり界隈における絶対的な指標となっている。
T-1も稲荷寿司は好きである。稲荷であればなんでも食べる。しかし、好きであるが故に、その判断も非常にシビアであった。星5を取ることができるいなり職人はそうそう現れず、たとえ星3つであってもその稲荷寿司は莫大な売り上げが約束されている。
『とりあえず、地下闘技場に行ってみるかの』
ぽんぽんと少し膨れた腹をさすり、満足げに息を吐くと、T-1はくるりと踵を返す。そのままアップデートセンターへと移動すると、機体を地下資源採集拠点シード01-アマツマラに存在するものへと切り替える。そうするだけで、主観としてはまるで瞬間移動したかのように一瞬で場所を移動できるのだ。
『はー、ヤじゃのう。調査開拓用機械人形の不具合調査が一番嫌じゃ……』
昨夜発生した、闘技場の天井に立て続けに調査開拓員が突き刺さるという
彼女は事件発生現場である小アリーナへと入ると、監視記録を呼び出す。ホログラムで表示された調査開拓員たちが、当時の行動を繰り返す。
『ふむ』
T-1は闘技場の売店で購入したイナズマいなりを摘みながらそれを見る。
調査開拓員は七名。お互いに肩を組み、円陣を組んでいる。その状態で〈武装〉スキルの『早着替え』を発動し、総金属製の全身鎧を高速で着脱し始めた。
「ホッホゥ!」
「ヒッホーゥ!」
同時に、円陣を崩すことなく一人ずつジャンプする。〈跳躍〉スキルのレベルが高いようで、それぞれが強力な勢いで地面を蹴っている。その間隔がだんだんと狭まり、掛け声が重なっていく。
「ホーゥッ!」
「ヒーヤッハー!」
「ポップー!」
やがて、七人の体がブレる。まるで分身が同じ位置で重なり合っているかのように、七人が何十倍にも増えていく。
そして――。
「ほっぺ、やべっ!?」
「ぎゃああっ!?」
「ほーーうっ!」
一人がタイミングを誤り、体勢を崩した。
その瞬間、封じられていたエネルギーが爆発したかのように、増殖した大量の調査開拓用機械人形が次々と直上へ射出される。そして頭から天井に突き刺さり、だらんと力なく四肢を垂らした。
『…………なんなのじゃ、これは』
あまりにも馬鹿げた挙動に絶句するT-1。彼女は記録データを解析し、原因を探る。そうしてレポートを作り、それをイザナミ計画実行委員会へと提出する。
『全く、真面目に仕事をするのじゃ!』
ぷんぷんと憤慨するT-1はふわふわの尻尾を振って、小アリーナから退出する。
『……そういえば、〈ホムスビ〉には金属いなりというものがあるそうじゃな。ちょっと寄っていくとするかのう』
途中、ふとそんなことを思い出したT-1は行き先を変える。
問題はない。彼女は優秀な指揮官なのだから。
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Tips
◇金属いなり
〈ホムスビ〉の第十一大坑道のどこかにある露店で販売されている稲荷寿司。坑道で採掘された上質な金属を配合した、鉄分たっぷりのおいなりさん。一日30個の数量限定販売。
“一見すると客を寄せ付けないような特殊な販売方法は、店主が独自に雇用したコボルドのノッカーが非常に繊細な性格をしておるからじゃ。しかし、ノッカーの腕は確かで、彼が集める鉄は本当に美味なのじゃ。鉄に対して美味と称するのはなかなかに不思議ではあるが、実際に美味なのじゃから仕方がない。不思議な金属いなり、お主が真に求めるのであれば、磁石のようにお互いが引き合うことじゃろう。星5つなのじゃ!”――T-1
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