第1145話「賢白猿の交渉術」

 シード02-スサノオ近郊、〈マシラ隔離保護施設〉中央制御塔にて。


『我々もここから出せ!』

『ミートだけずるいぞ!』

『不平等だ!』

『格差だ!』


 当然のように収容棟をぶち壊して出てきたマシラたちが大挙して押し寄せていた。彼らは瓦礫で作った歪なプラカードなどを掲げて口々に主張を述べる。その総意として読み取れるのは、“なぜミートだけ施設の外へ出ているのか”というものだった。


『黙りなさい! み、ミートは今もお行儀よく収容室内に居ます! あなた達もそれを見習って、大人しく自分の部屋に戻りなさい!』


 彼らに対してスピーカー越しの声を返すのは、施設の管理者を務めるウェイドである。彼女は制御塔の上からマシラ達を見下ろして、なんとか暴動を収めようと躍起になっていた。


『嘘だ!』

『ミートいないもん!』

『証拠を出せ!』


 しかし、ウェイドの言葉を信じるものは誰ひとりとしていない。どういう理屈か全くの不明だが、マシラたちはミートの不在を確信しているようだった。


『う、嘘じゃないです! 映像だってあります!』


 ウェイドは負けじと主張する。彼女が空間投影で見せつけたのは、ミートが収容棟の中で退屈そうに寝転がっている様子だ。レッジが持ち込んだベッドの上で、これまたレッジが持ち込んだクッションに囲まれている。頭上の赤い花がふわふわと揺れている様子から、彼女が落ち着いているのがよく分かる。

 だが――。


『ギソーコーサクだ!』

『虚偽ホウドーだ!』

『な、何を――! 証拠があるんですか!』


 マシラ達は映像を信じない。ウェイドが顔を赤くして問いただせば、すぐさま反撃も返す。


『この映像、三日前のやつだ!』

『ループ処理してる!』

『欺瞞だ! 情報トウセーだ!』

『ぐぬぬぬぬっ! 無駄に賢いばかりに……!』


 マシラ達の指摘は事実である。この映像は三日前に撮影された監視カメラのデータであり、収容棟にミートはいない。完全な密室で他のマシラたちは確認できなかったはずだというのに、彼らは即座にそれを見破った。


『トーシ能力で全部分かるんだから!』

『かんねんしろー!』

『ああもう、本当にマシラは厄介ですね!』


 ウェイドは変異マシラの情報を更新しながら悪態をつく。透視能力を持つ個体など確認されなかったはずだが、どうやら今まで隠していたらしい。その個体がミートの収容棟が空であることを看破して、他のマシラたちに暴露したようだ。


『我々にも自由を!』

『おなかすいた!』

『セイトーな権利を主張する!』


 マシラたちの号令は勢いを増す。今は防御特化の警備NPCたちが物凄い勢いで文字通り身を粉にしながら阻んでいるが、いつか制御塔に辿りいてしまうだろう。


『あなた達、今日はもうお腹いっぱい食べたでしょう』


 本日のオペレーション“アラガミ”はつつがなく終了している。ここにいる変異マシラたちも、〈剣魚の碧海〉で引き起こした“猛獣侵攻スタンピード”に乗じて、大量のシーフードを踊り食いしていたはずだ。


『それとこれとは別もんだい!』

『我々はセーシン的なアンネーを求めている!』

『これは基本的マシラ権の侵害だー!』

『妙な権利を勝手にぶっ立てるんじゃありません!』


 なまじ力がある上に、知能は高いのに精神年齢は低いという厄介な集団だ。だからこそこうしてわざわざ柵で囲って厳重に押さえ込んでいたというのに。

 ウェイドは脳裏に浮かんだ男の顔を全力で殴る。自分に戦闘許可が降りていれば、まずあの男を殴り飛ばしたかった。

 彼が勝手なことをしたせいで、自分が要らぬ苦労を被せられているのだ。


『落ち着きなさい!』

『ぐわーーーーっ!?』

『げぇっ!? イザナギ!』


 ウェイドがギリギリと奥歯を噛み締めていると、突如マシラたちが吹き飛ばされる。彼らの悲鳴を聞いたウェイドが喜びの笑みを浮かべて顔を上げると、そこには黒髪の少女が立っていた。

 彼女は太い尻尾を鞭のようにしならせ、軽い一薙ぎで変異マシラを吹き飛ばす。別のマシラが果敢に飛び込んで来ると、背中から伸びた龍の羽を広げて跳躍し、華麗な飛び蹴りで反撃する。


『イザナギ! 待ってましたよ!』


 シワシワとしょぼくれていたウェイドが一気に勢いを取り戻す。

 マシラは強大で厄介で面倒臭い存在だが、調査開拓団にも唯一の対抗手段が存在する。

 それこそが総司令現地代理イザナギ――の残滓である。


『20体は収容した。残りはここにいる17体だけ』

『流石です! このままやっちゃってください!』


 イザナギは本来の姿から大きくかけ離れ、力もごく一部だけしか残っていない残滓だ。しかし、マシラの持つ術力を変異マシラへと変える過程で吸収することにより、大きく力を増していた。

 その体は痩せた少女のそれから、背が高く肉付きのよい女性のそれへと代わり、脊髄の延長からは長い尻尾が、肩甲骨のあたりからは立派な翼が、そして額からは鋭いツノが生えている。

 黒龍イザナギ本来の姿にこそ遠く及ばないものの、彼女がその延長にある存在であることを疑うものは、もはや皆無であった。


『大人しく、部屋に戻りなさい』

『ぎゃーーーーっ!』

『いやーーーっ!』

『ぼーりょくはんたい!』


 イザナギの登場によって、形勢は変わる。彼女はマシラに唯一対抗できるだけの力を持ち、この施設においては看守のように恐れられていた。

 あれほど調子に乗っていたマシラたちが、一転怖気付き弱腰になる。制御塔の上から見下ろすウェイドは歓喜に飛び跳ね、拳を振り上げてイザナギを応援した。


『ちょっとまったー!』


 イザナギが暴力でマシラ達を追い立てようとしたその時。突如、集団の中から声が上がる。それまでとは違う様子に、イザナギとウェイドも一瞬動きを止めた。


『我々には交渉の余地がある! 我々はただ己の快楽のみを求めているわけではない!』

『……また妙に知恵を付けたものがいますね』


 マシラを掻き分けて現れたのも、マシラである。しかし、その雰囲気が別格のそれを表している。イザナギも拳を下げ、ひとまず言葉を聞く態度を見せた。

 白い毛並みを綺麗に整えた大柄な猿型のマシラ。彼は〈花猿の大島〉で生まれ、レッジとミヤコ、ナナミの一団によって和解した個体だ。


『先ほどから通信監視衛星群ツクヨミとの通信を傍受していたのですが――』

『初っ端からとんでもないこと言いますね』


 猿型マシラ――個体名“ワイズ”の切り出した話に、ウェイドは早速頭を抱える。マシラの能力はまだ未知数なところがほとんどだが、まさか通信傍受までされているとは。情報的防御システムがそれを感知できていないというのもまた問題である。

 とにかく、そちらはT-1の領分である。ウェイドは彼女にマシラによる通信傍受を通報しつつワイズの話を先へ促す。


『どうやら、海の向こうにて我らが父が苦戦を強いられている様子。かなり大きな戦いとなっているようですね』

『……情報秘匿プロトコルに全面的な改修が必要ですね』


 ウェイドは愕然とする。

 ワイズは通信を傍受していた。それだけなら、まだ――全然良くないが――いい。問題は、彼が毎秒膨大な量の情報をやり取りしている通信の中から、その事実を掴み取っていることだ。まるで砂漠の中にある一粒の金を見つけるように――いや、山を砕く激流に放った大量のビーズの中から的確に目当ての色だけを見つけてつなげるような、そんな芸当である。

 彼は収容下にありながら、レッジ達の状況を把握している。


『ミートもそこにいるのでしょう。しかし、彼女がいてなお戦況は拮抗している。より、強い力が必要なのでは?』


 知性の光を宿す瞳が、塔の上に立つウェイドを見る。


『……それはこちらが考え、対策を講じることです。あなた達マシラには関係ありません』


 ウェイドは冷静な声で答える。

 ワイズの言葉は事実ではあるが、間違いでもある。レッジ達は調査開拓員としての活動に従事しているのであって、マシラがそこに参加する理由はないのだ。


『レッジたちを助けたいと思うのならば、大人しく収容棟に戻りなさい。こちらに割いている戦力を向かわせるだけでも十分でしょう』


 ウェイドには管理者として、ワイズの意見を聞く必要はない。彼らはあくまで収容対象であり、封じ込めておくべきものだ。助太刀に向かうと訴えられても、それを許すことはない。

 しかし、彼女は侮っていた。マシラの知性の鋭さを。


『イザナギ。あそこには汚染術式の中核実体があります』


 ワイズは語りかける先を変える。彼の放った一言は、龍の少女の目付きを変えるのに十分だった。


『イザナギ!』


 ウェイドが叫ぶが、遅きに失していた。


『――ごめんなさい、ウェイド。行かなきゃ』


 翼が大きく広がる。彼女は黒い力を漏出させ、羽ばたく。勢いよく飛び立つ彼女の尻尾に、次々とマシラが飛びつく。

 鈴のようにマシラ達をしがみ付かせたまま、彼女は猛烈な勢いで彼方へと飛び立った。


『ぬあああああっ!?』


 残るのは、出遅れたマシラ達とウェイドだけ。がらんとした施設に、管理者の悲鳴が響き渡った。


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Tips

◇変異マシラ“ワイズ”

発生地:ホノサワケ群島第一域〈花猿の大島〉

収容由来:調査開拓員レッジによる和解

概要:

 身長5メートルの猿型。全身に白い剛毛を有する。異常な筋肉密度と骨密度による破壊力と耐久力により、高い戦闘能力を誇る。概算戦闘レベルは15。ミート(概算戦闘レベル17)に次いで、収容下の変異マシラの中でも高い危険性を持つ。

 一方で知能指数も高く、この点ではミートを遥かに上回り、変異マシラ内でも最高値を記録している。故に言語による交渉も通用し、潜在的危険性の割には収容事故発生件数も著しく低い。

収容方法:

 Mサイズ標準強化装甲高耐久収容棟にて収容中。暴走を予防するため、書籍媒体での情報投入を行う。日に一度、オペレーション“アラガミ”への参加を認める。

管理者による所見:

 能力の割に温厚な部類の変異マシラです。暴動には積極的に参加しているものの、実際には他のマシラの暴走を抑えるような行動も多く見られます。

 難しい内容の本を支給すれば、基本的には大人しく収容棟内で過ごしています。一方で他の変異マシラほど行動や思考が単純ではないため、収容レベルを下げることはできません。

 また、同じ調査開拓員によって安定化したためか、ミートたちとも特に友好的な関係を築いています。


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